ニーズや目的の取り違え
昨日は、UXD initiative( #UXDin )が主催する研究会に参加してきた。テーマが「インストラクショナルデザイン」ということで、UXDな人たちを対象に含むインストラクショナルデザインを仕事にしている身としては、双方関連づいてぜひ参加したいなと思い足を運んだ。
風邪ひいた上に仕事がてんこもりだったため懇親会に出られず残念だったけど、本編だけでもとても有意義だった。こんな場を作ってくださった主催者の皆さまに感謝。帰り際がばたばたでお礼を言い損ねた自分に反省。
今回お話しくださったのは首都大学東京大学教育センター助教の渡辺雄貴さん。それにしても、最近大学の准教授とか助教の方って普通に自分と同い年だったり年下だったりするからおののく。高校球児やアイドルが自分より年下なのに衝撃を覚えてから早10年以上経っているけど、あれの第二波、三十路バージョン的な衝撃だ。四十になると誰が衝撃をもたらすのだろう。
それはさておき昨日は、UXDご専門の参加者に、インストラクショナルデザイン(ID)の専門家がIDの基本を解説し、その関連性をみんなで探る的な会の第一弾だったので、講義内容としては既知のものも多かったのだけど、やっぱり専門で研究している方の生の話は面白いし、あれこれの概念を一つひとつこんな言葉で説明するんだなぁと耳をすまして聴いていると、これがまた味わい深かった。
お話の中で特に印象に残ったのは、先生が研究している「社会人の電車内での学習」の実験のお話。社会人向けに電車内で英語学習できるモバイルラーニングのコンテンツを作って、それを入れたモバイル機器を渡して被験者の社会人に電車で使ってもらう。長い実験では1ヶ月ぐらい。すると、みんな「これはいい!」と好反応を示したという。
しかし、「じゃあ、TOEICでも受けてみたら?」というと、一様に「そういうのはいいんだ」という反応。つまり、学習の結果パフォーマンスが上がっているかはわからない、わからなくていいんだと被験者は言っているのだ。これ、こういう心情ってわかるなぁとうなずきながら話を聴いていた。
つまり被験者は「隙間時間が有効に活用できたことに満足感を得ている」のであって、この被験者の真の活動目標は、英語力を身につけることではなく、隙間時間を有効に活用することになっているのだ、と先生。うむうむ。
これって肌感覚ですごいわかるなぁと思う一方で、英語学習コンテンツを提供する立場で、複数人で集まって机上で議論とかしていると、けっこう前者と後者の取り違えが起こりうるんじゃないかと思った。
ユーザーが「隙間時間を有効に活用したくて、英語を学習するのか」「英語を学習したくて、隙間時間を有効活用するのか」、これってユーザー本人の理解が曖昧なこともありうる。また、学習コンテンツを提供する側の企業が「英語学習コンテンツを利用して、ユーザーの隙間時間を奪い、自社の製品・サービスの理解促進を図りたいのか」「ユーザーの英語学習を支援するサービスを提供したいのか」も、けっこうこれに関連する組織間、個人間で認識のずれが起こりうるんじゃないかと。
こう書くと話は単純で、んなこたぁないだろうって感もあるけれど、最初からそれをきちんと関係者に明示して、常にその視点でぶれずに品質をマネジメントするキーマンが不在だと、けっこうあるんじゃないかなぁと思う。
目的が前者か後者かで、学習教材であるコンテンツも、それを包括するサービス全体もデザインの仕方は全然変わってくる。でも、「学習コンテンツを作る」という外見だけで捉えてしまうと、真の目的が捉えきれていないままにプロジェクトが走って、時の流れに身を任せているなんてことも起こりうる。そうすると、変にIDを取り入れて明後日の方向に走っていっちゃうことも。
とかなんとか、うにゃうにゃ考えていると、やっぱり目的をどれだけシャープに捉えられるかってとこかーと、結局いつもの場所に戻ってくる。以上、参加メモ。
« 演習問題をつくるとき | トップページ | 家族4人の食事会と、遺影の前の心持ち »
コメント