どれだけ血肉になっているか
昨日は会社主催のセミナーイベントだった。営業部門主催のイベントだったのだけど、講義・演習の設計部分を中心に関わった。書籍刊行にあわせた著者を招聘してのセミナーで、著者の方とはもともと知り合いだったのだけど、今回のセミナーの講義・演習設計で初めてお仕事をご一緒して、とても有意義だった。
参加者一人ひとりが何を持ち帰れたかは週明けアンケートをみてみないことには、ということになるけれども、参加者の表情、演習中の様子や質疑応答のやりとり、会場の空気感、帰宅後早々に濃厚なブログエントリーをあげてくださった参加者のレポートをみる限り、気づきや考える機会をもってもらえた方は一定数いたのかなと、まずまずの手応えを得られた。ほんとこればっかりは、参加者の生の声を確認してみてからじゃないとなんともいえないのだけど。
ただ講師の方にもセミナー後、自分自身もやって勉強になったし、私と話していると教育のプロだなぁといつも目から鱗だったというサポーター冥利につきる言葉をもらえて、ありがたく素直に喜んだ。わがやの家宝にしよう…。
私は、参加者は当然のことながら、講師の方にも、やってよかったなぁ、いろいろ気づくこともあったなぁと思ってもらえることをかなり大事に思っているので、セミナーを終えてこんな感想をもってもらえたこと、加えて自分がそこに貢献できたこと、すごく嬉しかった。
一方で、教育のプロと思ってもらえた働きを、私はどれだけ再現性を保障するスキルとして定着させられているんだろうか、とも思った。毎回、その案件で自分が考え、動けるかぎりのことをするようにはしていて、学習の場に組み込んでいく要素は確かに年々濃度高くなっている気はする。そして、結局そういうふうに体当たりで熟考してアクションする繰り返しが、一番実質的な成長、貢献度の向上につながるんだろうと信じている。
ただ、それが結局どれだけ自分の血肉になっているかについてはかなり言語化を怠ってきたので、自分の中でも意識化できていない部分が多い。ここ数年は基本、お受けしたクライアントの相談ごとに対して力のかぎり解決への貢献を果たす、という経験の積み重ねだった。もちろん1案件ごとに振り返りはしてきたのだけど、それをどれだけ汎用化して他案件につなげてこられたかは言葉にできるものがない。
経験の積み重なっていないうちに、自分の能力を言語化しようとしても素材自体がないので意味がない、とりあえず経験を積むのが良策と思うのだけど、数年経験を積んだ今、少し整理したり棚卸しして、その上に何を積み上げていくのかとか、自分にはどういう反省が必要だろうと考えてみる時期かなぁという気もしている。
振り返り大事!とは当たり前に語り語られるものの、自分のこととなると正直なかなかできていないもの…。少し、そうしたことも言葉に起こしていけたらいいなぁと思う。あれこれの経験を濾紙に通して下のビーカーを覗き込んでみるような時間がもてればなと。それはとても静かで、実りある時間だと思う。
« 天声人語書き写しノート | トップページ | 演習問題をつくるとき »
昨日はありがとうございました!
今回ご一緒してみて、林さんの視点って経験に裏打ちされた独自のフレームワーク的なものをお持ちのように感じましたので、多分再現性はあるんだろうなと思います。
僕自身も今回の書籍化を通して、言語化できていない部分をむりやり言語化したところもあったのですが、そのおかげでそれ以降書いたような内容の事柄に対して非常に考えやすくなったというか、塊として自分の経験にアクセスできるようになった気がします。自分の経験を客観視できるようになったような感じです。
もしかしたらインストラクショナルデザインとかである程度体系化されているのかもしれませんが、セミナーやワークショップの設計みたいなところで、何をどう考えて組み立てていくべきなのか?というような書籍とかドキュメントを林さんが書いてみたらいいんじゃないか?とか思いました(笑)
投稿: カタヤマ | 2011-11-14 00:49
カタヤマさん
昨日はおつかれさまでした!こちらこそありがとうございました。そして、コメントもありがとうございます。
無理やりでも言語化するってプロセスをたどると、自分のやってきたことの視界がまた変わってきますよね。自分で言語化するってことが、すごく効いているんでしょうね。
私も細々、ドキュメントというか、まぁこのブログあたりで言葉にしていけたらいいかなぁと思ったりしています。人に伝わる文章にまとめるのは、かなり難しいなぁとしみじみ感じていますが…。ほんと、書籍執筆にも脱帽。大変おつかれさまでした!
投稿: hysmrk | 2011-11-14 01:07