特定の理論に固執する理由
この間、gihyo.jpの記事でも「変われる力」をもつ重要性をテーマに取り上げたのだけど、変わることを難しくしている要素の一つが、人間は知らず知らず「固執する」ことにあると思っている。
カウンセリング理論において折衷主義の立場をとる國分康孝さんが、著作「カウンセリングの理論」の中で、なぜ人は特定の理論に固執するのか、その理由の一つに「職業上の嫉妬心」を挙げている。
新しい理論が出る。それは治癒率も高く治療期間も短くてすむ。そのうえ、理論が単純化されていて大衆版である。素人でも少し勉強すればすぐ使える。新しい理論はざっとこんな印象を与えるのが普通である。そうなると既成の、あるいは伝統的理論に立つ臨床家は自分の面目がない。客(クライアント)や若い弟子たちがそちらの方へ関心を向ける。自分の存在理由が稀薄になる。人が離れていくので失愛恐怖にも似た感情におそわれる。それが新しい理論に対する嫉妬の起こりである。嫉妬が起こるので必要以上に自分の優位性を主張し、注目を引きたくなる。他の理論に同調することは自己否定になると思うからである。
来談者中心に考えれば、何回自己否定してもかまわない。自分の理論が老舗であることを誇る必要はない。効率のよい方法はどんどんとり入れるべきである。学問の世界は公共の世界である。
この精神性をしっかりもっておかないと、知らず知らず固執してしまうと思う。知らず知らずそうなっていてはコントロールがきかない。自分がその修得にどれだけ頑張ったかに振り回されないこと。
自分の理論が老舗であることを誇っているような節がみられたら、あるいは新しい理論の単純さを見下している自分を見つけたら、そこから脱しなくてはならない。単純で普及しやすいのは、理論の優秀性を示す要素の一つだと思う。もちろん、それだけじゃないけど、その理論がどんな目的の、どんな対象のもとで有効か、有効でないかを力まずフラットに吟味できるようでありたい。
振り回されない方法自体は簡単なのだ。上記で「来談者中心に考えれば」としているとおり、「常に目的と対象を中心に考えること」でいい。長い人生、嫉妬心に負けちゃつまらない。
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