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2011-10-29

言ってる円と、やってる円

朝方、ストーリーがある夢からぽんと跳んで、別の短い夢をみた。夢は時間をもたないというけれど、こちら時間で感覚するに10秒くらいの夢だ。

私は遠くまでずっと白い空間にいて、音はなかった。風もなかった。目の前に、小さく薄っぺらの四角い面が次々に現れては、奥に引き下がって消えて行くのを観ている。入れ替わり立ち替わり、そこそこサイズのそれが4〜5個たちのぼっては、手前から奥へとアニメーションして消えて行く。

その動きはまさに人が画面の中に再現したアニメーションの動き。重力をもち風が吹く現実世界では、あんな弾力感をもって計画的に動く浮遊物、そうそうお目にかかることがないのに、画面に展開されていると、これこそ自然っぽく感じられるのはなぜなんだろう。そもそも画面の中の人口世界のお話、という前提が了解されているからなんだろうか。

で、この四角い面はいったい何なんだろうと目を凝らしてみると、一つひとつはどうやらWebサイトの画面(キャプチャ)らしいとわかる。ははぁ、と素人頭で解釈を始める自分。

私は最近、人にデザイナーを紹介してくれないかと言われて思ったことがある。私、みんなの言ってることばかり知ってて、みんなのやってることをほとんど知らない。

いや、やっていることを知っている人もいる。もちろん知っていることなんてその人のごく一部ではあるけれど、少なくとも職業として人を紹介するのに十分な、その人が何をやり、何を成すかという情報。一緒にお仕事させていただいている方に関しては、こういうことを考えてものを作ってくれる人だとか、こういう問題解決やこういう場面設定で素晴らしいパフォーマンスを発揮する人だとか、そのパフォーマンスを引き出すためにはこういう配慮をするといい人だとか、いろいろ自分なりの情報はもっている。

人がやっていることを成果とプロセスに分ければ、特にプロセスなんて一緒に仕事をしてこそわかるもので、そういうことを知ってこそ人に紹介できるものだと思ってしまうので、なかなか紹介ができないのだけど…、そういうことは別に昔から変わらない。自分のもつ情報の質と量は、年々でみれば増えているとも思う。

だけど、気づけば以前に比べて「人が言っていること」に触れる時間がものすごく長くなっていて、自分の中にもつ「人がやっていること」情報と「人が言っていること」情報の比率が大きくバランスを変えていて、その変化に無自覚だったということなんだろう。それが、今回の「みんなの言ってることばかり知ってて、みんなのやってることをほとんど知らない」感を呼び起こしたんじゃないかなと思った。

毎日SNSにアクセスして情報摂取する時間が一定量割かれるようになって、知らぬ間に自分の中でイメージする「みんな」の属性が変わっていたということなのかもしれない。自分が知っている「みんな」は、何をやっているかを知っている人から、何を言っているかを知っている人へと、対象者の円を拡張させていたということかもしれない。

そう捉え直すなら、もともともっていた内側の円からより深みあるものを生み出していけるよう努め続けつつ、新たにできた大きい円にいる人たちとお話をしたりお仕事をしたりして、自分の中の内側の円を大きくしていけたら素敵かなと思う。

人の言っていることに触れる時間をもう少し減らして、人のやっていることに触れる時間を増やせたらいいのかな。加えてやっぱり、自分がやっている時間を大事にすることだろうな、とも。いまやすべての問いは1日24時間の使い方に帰結する感じ。世の中のサービスも、これの取り合いという様相。なんて、今朝の夢を振り返りつつ思いめぐらす。

ふだんほとんど夢をみることがない(憶えていない)のに、夢について本を読んだ後から急に夢をみる(憶えている)ようになって、人間ておもしろいなぁというか、私って単純だなぁと思う。まぁ、たいてい数分経つと忘れてしまうのだけど、憶えていようと思えばメモに取るくらいの時間は許されるようになった…(でも短い)。

ユングの本とか読んでいると、人の夢の解釈なんて素人ができるもんじゃないなとつくづく思うけれど、一方で自分の夢をネタに自分の無意識を探ってみるという思索は、朝のコーヒーのおともにも、お酒の肴にも悪くないな、とも思う。

2011-10-26

10年経つ

もうじき2011年11月11日がやってくる。私がネット上にこんなふうに文章を書き出したのは2001年11月11日のことで、ちょうど10年ということになる。今のような調子で、数週間間隔があくこともあれば、連日書き続けることもあって、ずっと気ままにやってきた。

最初はブログではなく、いわゆるホームページという体裁だったけど、やっていることは変わらない。最初からひたすら文字で、心のうちを文章に表してきただけだ。ちなみに、ホームページに書いていたお話も一応こっちに持ってきているけど、1エントリーの中に半年分の話を突っ込むという粗い移行をしているので、なんとも微妙だ。

10年といってまず思うのは、10年前って今より10歳も若かったんだなぁということ。10年前の自分なんて、ほとんど他人のような気がする。一つのブログの中に自分の書いた文章が10年分連なっていることで、かろうじて「あぁ同一人物なんだなぁ」と思える、そんな感覚だ。

でも、この場所を作っていなかったら、ここに書き続けていなかったら、私は今の自分になっていなかっただろうなぁと思う。だから、この場所にはすごく感謝している。文章を書きながら、よくよく自分をえぐったし、それがどんな自分であっても直視してきた。本当のことはどこにあるんだろうと、できるだけ「すとん」とした気持ちでいろんなことを観るように努めた。そうして反省したり、発見したり、あきれたり、許したり。そして再び表に出て、前を向いて、歩いてきた。

どんなに時代が変わっても、文章を書きながら、本当に大事なことを探っていく時間と空間は、大切にしていきたいなぁと思う。今後とも、ごひいきに。

2011-10-25

未知と間違いの見間違い

ちょっと前ですが、gihyo.jpで連載している「Webクリエイティブ職の学び場研究」の第3回第4回が公開されました。よろしければぜひ食後のコーヒーのお供にしてやってください。クックパッドさんに訪問してお話を伺ってきた取材の前編と後編です。

この連載では、自分がその取材を通じて考えたことや、その取材内容に関連して普段自分が考えていることなど含めつつまとめているのですが、今回含めた考察の一つが、クリエイティブ職とマネジメント職について(第4回の最後のところ)。

「未知の仕事」をそのまま「自分にあわない仕事」とか「非クリエイティブな仕事」と位置づけてしまうのも早計という思いがあります。私は,社会的な目的を見据えて1つの仕事を捉えたとき,創造的でない仕事などないと思うのです。

これに限らず私たちは、自分が「知っていること/もの」と「知らないこと/もの」の間に立って、双方を見比べたりどちらかを取捨選択することがままあります。でもそんなことは日常茶飯事なので、人は徐々に「知らないこと/もの」のほうを相対的に無価値なもの、信頼をおけないものと視界から排除して、気にかけなくなったり存在を否定したりしてやり過ごすことを覚えていくのではないかと思ったりしました。

当たり前といえば当たり前の話ですが、自分がすでに「知っていること/もの」と「知らないこと/もの」が同じ領域の中で相反するものとして眼前にあったら、そしてすでに自分が前者に価値や信頼をおき、自分に適合する感じをもっていたら、あえて不安定な「知らないこと/もの」に向かう必然性がないわけです。

冒険心や好奇心をかき立てられて、あえて未知の分野に向かうことももちろんあるでしょうが、日常のあらゆる選択にいちいち立ち止まっても、立ち向かってもいられない。ささっと購入したい日用品は、知らないメーカーより、知っている/評判のよい/いつも使っているメーカーのものを買う。たいがいのことは「知っていること/もの」に自然と価値をおいて、そちらを選択することが自動化されているのではないかと思います。

でも、その自動化が知らぬ間に習慣化され、あらゆる選択に適用されていくと、ものすごーく大事なことでも立ち止まることなく知らぬ間に「知っていること/もの」を選び、賞賛し、「知らないこと/もの」を選択肢にあげず、軽視する状態にはまってしまいかねない。それは怖いなと思いました。まず一度は自分の意識の上にもってきて吟味したい。大事なことは。

これは自分自身の選択においてもそうですが、専門家として人にものを言うときにも大切な意識だと思うのです。この間書いた「東洋と西洋のはざまで」の中で感じたのですが、西洋医学の先生が言う「首の痛みの原因は首にあるんだよ」っていうのは、その道の専門家の見立てとして「なるほど」と思う。けれど、東洋医学の「首の痛みの原因は小腸にある」という見立てに対して「それは間違っている」というのはちょっと違うなと思ったのです。その見立てについては、その専門でないなら「わからない」というのが本当であって、「わからない」と「間違っている」を混同してはいけないなと。

とか、そういうことは、その後に有意義な何かが生まれそうな気配を感じないかぎり話題にあげないので、そのお医者さんを前にしては言いませんでしたが…。その先生はその先生で、自身の専門性に誇りをもった、いいおいちゃんだったのです。

でも私自身のふるまいとして肝に命じたいと思ったのは、人は自然と既知のことに信頼をおくものなんだとわきまえて、自分にとって未知のものを意識的に取り込んでいく豊かさをもつこと、「わからない」と「間違っている」を混同しないこと。ごにょごにょとそんなことを思う日々です。

2011-10-16

東洋と西洋のはざまで

東洋医学寄りの先生の見立てによれば、ここ1ヶ月ほど悩まされている首の痛みは小腸に原因があるとのこと。根本的な解決法は、小腸に入った菌を体外に出すため、毎日水を2リットル飲むこと。これはこれで続けているのだけど、水を飲めば必ず出てくるとも言えないそうだし、その先生も忙しいので次の予約日は月末。では、小腸の問題解決を西洋医学にゆだねられないかと考えた。水を飲む以外に、その菌とやらを消滅させる手段はないものか。

しかし、これは危険な思いつきでもある。同じ状況なら多くの人が二の足を踏むのではないか。西洋医学と東洋医学は犬猿の仲という印象がある。特に西洋医学から東洋医学への眼差しは冷ややかそうなイメージだ。東洋医学の先生の見立てをもって西洋医学の先生を訪ねたら、ものすごい冷たい扱いを受ける恐れがある。それもまた偏見だが。

というわけで、少し躊躇して様子をみていたのだけど、そんなこと言っている場合でもない。月末まで保留にしておくわけにもいかないし、少しでも望みがあるなら、この体の持ち主としてできる限りのことをすべきだと思い、昨日ダメもとで胃腸科専門の病院を訪ねた。

一応頭では唖然とされることを想定していたが、それでも受付で「初診でお願いしたいのですが」「どんな症状で?」「いや、具体的な症状としては首の痛みなのですが、別のところで診てもらったら、首の痛みの原因が小腸にあると言われまして…」というやりとりに、受付の女性の怪訝な顔を目の当たりにして落ち込んだ。もっと良好な関係作りができるセリフを熟考して臨むべきだったか。

しばらく固まった後、受付の女性は「とりあえず保険証を…」と言い、私から保険証を受け取ると、何も言わず奥へ消えて行った。それもどうかと思ったが…。しばらくして、通常通り問診票のようなものを受け取り、記入して提出。その後2時間くらい、ひたすら待機。だいぶ無の境地に達したかというところで名前を呼ばれて診察室へ。

受付の女性以上に、ものの言い方に対策が必要なのが医師である。医師には、自分の専門であるところの西洋医学への誇りもあろうし、東洋医学へのなんらかの思いもあろう。でも別に、私は東洋医学の専門でもないし、それに傾倒しているわけでもない。盲目的に信じているわけでもないし、ただ一人の治りたい患者である。こちらに敵対意識をもたれてもまったく本質的でないので、私はできるだけそちらに向かわないよう気を配って話し出した。

1ヶ月前から首にむち打ちのような症状が出て、整形外科でみてもらったらこれこれ、東洋医学のほうで診てもらったらこれこれ、とにかくここ1ヶ月生活に大きく支障が出ている状況なので、私としては少しでも解決の望みがあるならその道の専門に診てもらいたいと思って来たのだと。

で結局まぁ、そんなまがいものの診断を真に受けて…みたいな展開になった。想定範囲内ではあったが、やっぱり実際に人の負の感情を患者の立場で受け取るのは、相当堪えるもんだなと、ぐっさりした気分に。ダメな整形外科、適当な東洋医学にかかるからいけないという感じ。「じゃあ、いい整形外科にかかれば治るということですか」と尋ねたら、「まぁそうだ」と返ってきた…。でもまぁ、先生には先生のいろんな思いがあるんだろう。とりあえず、ここでは胃腸は関係ないということだから、ここの病院は関係ないということになるなと診察室を失礼するつもりで「じゃあ、関係ないんですね…」と口にすると、「まぁ待ちなさい」と先生。

立ち上がって私の首根っこをつかまえ、小腸なんて関係ない、首が痛いのは首を痛めているからだとぐいぐい押し始め、「ここが痛いんでしょ、ここが悪いからだよ」とおっしゃる。続いて口にしたのは、「怖がることなんてない。ここを治せばいいんだから」と。捨て猫のような気分の私には、その言葉がずいぶん胸にささった。

ものを書きながら「小腸なんて関係ない」と言っているときの先生は、東洋医学に向き合ってそれをしゃべっているように思えたが、立ち上がって私の首を押しながら「怖がることなんてない。ここを治せばいいんだから」とおっしゃる先生は、私に向き合ってくれているように感じられたからだ。その後「また週明けいらっしゃい」と先生。あれ、そうなの?と意外に思ったが、そこで見放すわけにもいかなかったのかもしれない。

これ以上新しいお医者さんのところに行くつもりはないし、今まで得た情報の中で、自分なりに治療方法を統合しながらやっていこうと思う。少しましになってきている気もするし。というわけで、毎日2リットルの水を飲み続け、体を適度に動かして、来週は西洋医学の先生のところを再び訪れ、月末は東洋医学の先生のところで体をみてもらう。どれだけの情報収集をして、どう取捨選択して、どう治療方針を立てるかは、自分次第であり、自己責任なのだ。

帰り道に、中吊り広告で村上春樹のエッセイ「村上ラヂオ2」が出ているのを知り、近所の本屋で買って帰ってきた。その中の一つのお話。村上さんがアメリカの大学でクラスをもっていたとき、他クラスの女子学生が課題で書いた短編小説を読んでほしいともってきた。読んでみたら、比較的アドバイスしやすいもので、「説明的に流れる部分は冗長だが、そうではないところはけっこう生き生きしている」と批評したら、彼女は戸惑った顔をしたという。彼女のクラスの先生は、村上さんの褒めたところを批判し、批判したところを褒めた。村上さんは「創作というのはまあその程度のものなのだ」と書いている。

創作っていわれると、作品っぽいものをイメージするけれど、医療だってまぁ、どこに問題を置き、どういう問題解決策を導きだすかは、医師の創作活動みたいなところがあって、まぁ確固たるものなんてないんだよなぁと。極端なことを言っているかもしれないけど、そうだと思う。だからセカンドオピニオンとかがあるんだろうし。医師によって診断結果が違うのは、もちろん能力差による違いもあるだろうけど、タイプによる違いもあるんだろうなぁと。

アッシュさんの研究によれば、52人の患者を3人の精神科医がそれぞれ診断したところ、3人の診断が一致したのは約1/3、2人の診断が一致したのが約1/3、3人がばらばらの診断をしたのが約1/3だったという(「カウンセリングの技法」國分康孝著)。まぁどんな分野も、だよなぁと。月末には良くなっているといいなぁ。

2011-10-10

特定の理論に固執する理由

この間、gihyo.jpの記事でも「変われる力」をもつ重要性をテーマに取り上げたのだけど、変わることを難しくしている要素の一つが、人間は知らず知らず「固執する」ことにあると思っている。

カウンセリング理論において折衷主義の立場をとる國分康孝さんが、著作「カウンセリングの理論」の中で、なぜ人は特定の理論に固執するのか、その理由の一つに「職業上の嫉妬心」を挙げている。

新しい理論が出る。それは治癒率も高く治療期間も短くてすむ。そのうえ、理論が単純化されていて大衆版である。素人でも少し勉強すればすぐ使える。新しい理論はざっとこんな印象を与えるのが普通である。

そうなると既成の、あるいは伝統的理論に立つ臨床家は自分の面目がない。客(クライアント)や若い弟子たちがそちらの方へ関心を向ける。自分の存在理由が稀薄になる。人が離れていくので失愛恐怖にも似た感情におそわれる。それが新しい理論に対する嫉妬の起こりである。嫉妬が起こるので必要以上に自分の優位性を主張し、注目を引きたくなる。他の理論に同調することは自己否定になると思うからである。

来談者中心に考えれば、何回自己否定してもかまわない。自分の理論が老舗であることを誇る必要はない。効率のよい方法はどんどんとり入れるべきである。学問の世界は公共の世界である。

この精神性をしっかりもっておかないと、知らず知らず固執してしまうと思う。知らず知らずそうなっていてはコントロールがきかない。自分がその修得にどれだけ頑張ったかに振り回されないこと。

自分の理論が老舗であることを誇っているような節がみられたら、あるいは新しい理論の単純さを見下している自分を見つけたら、そこから脱しなくてはならない。単純で普及しやすいのは、理論の優秀性を示す要素の一つだと思う。もちろん、それだけじゃないけど、その理論がどんな目的の、どんな対象のもとで有効か、有効でないかを力まずフラットに吟味できるようでありたい。

振り回されない方法自体は簡単なのだ。上記で「来談者中心に考えれば」としているとおり、「常に目的と対象を中心に考えること」でいい。長い人生、嫉妬心に負けちゃつまらない。

2011-10-09

女心と秋の空

結局痛みが返り咲いてしまった。がんがんに痛い。先が見えないというのは、ほんときついもので、そりゃ治らないという先が見えてもたまらないわけだけど、治る見込みが立たぬまま1ヶ月というのもきつい。さすがに張った気も一瞬切れてボロボロ涙が出てきた。

横になりながら世の中見渡せば、頭に思い浮かんでくるのは頑張っている人の顔、頑張りぬいた人の顔。Steve Jobs氏の顔が思い浮かんでは弱音を吐く気もしぼんでいく。とはいえ、自分の心にわいた感情は抑圧せずに認める、それがどんなものであれ目をそらさずじっくり観ては吟味するようにしているので、「お客さん、そうとう弱ってますなぁ」と覗き込み、とりあえず涙は出るままに流しておく。

カウンセラーとはしたたかなもので、泣いている間も、この痛みの感情がいつかの誰かの痛みを心から共感するときの種になるのだと、昆虫採集でもするように感情採集しているところがある。そうでも思わないとやりきれないという思いもあるのかもしれないが、あらゆる自分の感情体験はカウンセラーにとってかけがえない財産であるという思いがある。

Steve Jobs氏の伝説のスピーチ。

毎朝鏡をみて問いかけました。“今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか”。長い間答えがノーであるときはいつも、何かを変える必要があるとわかるのでした。

私はここ1ヶ月、今日することが「できるだけ安静にすること」続き。本当にしたいことが存分にできていない。でも、治ることに期待を寄せているので、安静にすることを選んできた。そうして1ヶ月も経ってしまった。いつまで安静にしている気だ、今日終わるかもしれない人生なのに。そういう捉え方だってあって、しかもこれだけ治らないでいると、ほんと自分の1ヶ月はただ怠惰に過ごしていただけのようにも感じられてくる。治るか治らないかわからないようなものなら、痛み止めでもなんでも飲んで、いけるところまで毎日必死に生きてみろ。そういう一所懸命だってある。でも私はまだ、そう遠くないうちに完治することに期待を寄せている。そこをあきらめたくなくて、結局安静な生活を選んでいる。痛みのぶり返しにため息をつきながら。

そんなこんなで涙を流していたら、はぁ、くやしかっただろうなぁ、Steve Jobsも、母も…と思い至った。私の何百倍も、私も何万倍も、くやしかっただろうなぁと思ったら、違う涙が出てきた。

ひとしきり流れるものを流したら、荒治療でもしたくなったか、橋本治さんの「青空人生相談所」に手が伸びた。相談に対するこの人の回答は、いやほんとに芸術的に痛い返しのオンパレードなのだけど、これがかなり効いた。私の今の困りごととは全然関係ない相談ごとへの返しだけど。(注意:健常的な精神状態でないときは読まないほうがいいと思う…)

そういう時期なんだから、しようがないでしょう。あなたも、あなたのご主人も、そういうことを歯をくいしばっても我慢しなきゃいけないんですよ。あなたの他に、誰がその赤ン坊育てられるんですか?いないでしょう?引っ越したばかりでまだ近所に慣れてないからって、それで文句言ってたってしようがないでしょう。現実がそうなんだから、それに慣れるしかないじゃない。子供ーしかも自分の生んだ子供が嫌いな母親なんて、ゴマンといます。自分の子供を一度も嫌ったことのない母親なんて、いる訳がありません。赤ン坊というのは、子供というのは、それほど厄介なものなんです。<自信がない>なんて逃げ口上は、笑われるだけですよ。あなたには、他人に向って<よろしくお願いします>なんて、言っている暇さえもないはずなんだから。 なりふり構わず、血相変えて赤ン坊を育てなさい!育児っていうのは、ホントはそういうことなんだから。子供を生んだばかりの動物の雌が気が立っているのは、実はそういうことなんですよ。たかだか五年の辛抱じゃないですか。「五年も!」なんて言わないで下さいね。そういうもんなんだから。どうせ今まで大した苦労なんかして来なかったんだろうから、「ああ、ホントにいい経験させてもらってる」って、神様に感謝でもした方がいいくらいなもんですよ。

水飲も。

2011-10-07

ゴッドハンドに会ってきた

4週間ぶりに明るい光を見た…。首の痛みが一向に治らず、頭痛い、肩痛い、気持ち悪いを併発。2〜3時間起き上がった状態でいると痛みがひどくなってきて仕事にならないし、重たいどころか普通の荷物ももてず、会社にはキャスターつきのバッグをごろごろ。しかも電車に乗って通うとほぼ使い物にならない状態で会社に到着するので、行きも帰りもほとんどタクシー。タクシーでも必死。っていうか、歩いて息しているだけで必死。

会社は半日出勤/半日自宅作業を免じてもらい、なんとか客先訪問とメールチェックをこなす。客先行く時もぺたんこ靴に、バッグごろごろ、駅では階段の都度営業さんにキャスターつきのバッグを運んでもらう始末…。1日24時間は起床と就寝が何度も訪れる不思議サイクル。2時起床、5時就寝、7時起床、14時就寝、17時起床、20時就寝、また2時起床みたいな。都度都度「首休め」を入れないと、もたなかったのだ。

4週間前に症状が出て、そこから1週間はほぼ寝て過ごし、その後整形外科にかかってリハビリに通うことにしたものの治癒している感もなく。原因が首と腰の骨がちょっとゆがんでいるということだったから、リハビリを通じてゆっくり治していくほかないのかなぁと思いつつ、それにしたってまったく快復傾向がないとなると仕事もたまる一方、どうしたものかとほんと途方に暮れていた。

そんな中、一つ今週の頭から期待をかけていたのが、ゴッドハンドさんである。先週の金曜日、会社の人が「ゴッドハンドをもつすごい人がいるから、よかったら紹介するよ」と声をかけてくださったのだ。そのときは、とりあえず翌日のリハビリを受けて様子をみてみようと思ったのだけど、結局その週末を経ても一向に良くなる気配なく、むしろ今週は体調がどんどん悪くなっていったような…。

で、月曜日にその人に懇願してゴッドハンドさんを紹介してもらい、今日の夕方予約がとれたので会いにいってきたのだ。はぁ、ミラクル起こらないかなぁ、ミラクルー!と、今週はずっとそう思いながら過ごしていた。

これが噂通りのゴッドハンドで、施術によってとりあえず今日時点での痛みを消し去ってくれた上、この病の根源を言い当ててくれた。首の痛みの原因は小腸にある。そう、確かにここのところお腹のあたりがすごい固くなっていて、これ絶対なんか良くないと思っていたのだった…(早く言え)。

で、これは運が悪いとしか言いようがない話らしく、小腸に風邪のような菌が入ってしまっているとのこと。これが諸悪の根源。こういうことはまれにあるらしい。で、あれやこれやの施術をしてもらって、痛みがその時点ではほぼとれた(今は少し痛みが戻ってきている)。すごいとしか言いようがない。

しかし、まだおっかなびっくり。症状としてはかなりひどいとのことで、これから様子をみてみないと、今日の施術で完治していくかどうかはわからない。菌が表に出たわけでもないし。症状が出てくるようだったら、もう一回来てくださいということ。

小腸からこの菌を出すのに自分自身でできることは水を毎日2リットル飲むこと。できればぬるめの。それで体外に出てくれるかどうかはわからないけど、とにかく自分でできることはそれ。結石のようなものか。そんなわけで、まだまだ気は抜けないけど、とにかく様子をみながら水をのんで過ごす。はぁ、復活を遂げたい!ほんと、さすがに数週間続くと忍耐力もくったくたである。

けれども、こういう状態で街を見回すと、ほんと皆いろいろな事情を抱えながら生きているのだなとたくさん気づくことがあるし、感じるところがあった。それに、たくさんの人の支えによって生かされていることを、改めて深く深く感謝した。早く健康になって、この気づきを行動につなげたいな。というわけで、飲んで飲んで飲まれて飲んで、飲んで飲みつぶれて眠るまで水を飲みます。

2011-10-03

カウンセラーとしての連載

先週半ば、「Webクリエイティブ職の学び場研究」というgihyo.jp連載の第2回が公開されました。今は第3回の文章を書いている最中で、また苦悩の週末を過ごしましたが、頑張ります…。

第1回(前編)、第2回(後編)はまとめて書き上げたのですが、続いて2社目を訪問し、今第3回を書きながら改めて思うのは、これも自分のキャリアカウンセラーとしての仕事の一環なのだなということ(本業の研修を作る仕事も、個人的にはキャリアカウンセラーの仕事の一環とみてやっています)。

カウンセリングの定義を、私は國分康孝氏の「カウンセリングとは、言語的および非言語的コミュニケーションを通して行動の変容を試みる人間関係である」と認識していますが、この活動は言語的コミュニケーションを通して行動変容を試みる人間関係なのだと、連載記事をしたためながら思う次第です。

行動変容とは何か。國分氏は、「反応の仕方に多様性がでてくることである」としています。今までは、なかなか先々のことまで自分のキャリアを考えてみることのなかった人が、長期的なキャリアについて考えるのも大事だなと思って、たまに考えてみる時間をもつようになるとか。組織の業務効率化一辺倒で考えていた人が、スタッフのモチベーションを考慮することも大事だなと思って、複眼的にやり方を考えるようになるとか。生涯クリエイターでいたいと思っていた人が、それ以外の仕事が創造性を必要としない仕事ってわけじゃないんだなと気づいて、マネジメントの仕事にはなから拒否反応を示すことがなくなるとか。

どちらかに導くというわけじゃない。私に、あなたはこっちにいったほうがいいですよという答えは当然ない。それは本人が選ぶものだけど、もし単に他に選択肢がないから、無意識に一つの答えを選び続けているだけなのだとしたら、他にも自分の答えを選べるように心を開いて、その上で改めて自分の答えをこれと選び取れるような支援ができたらいいなと。多様性がでてくることを試みる人間関係を、読者と私の間でもてたらいいなと。そんな思いで書いています。

まぁ実際、取材をして、そんなたいそうなことを実現する文章を起こすのは私にとって難しい仕事なのですが、一つひとつ経験を重ねながら頑張ります。今後ともごひいきに。

2011-10-02

心の荒波対処法

夜の秋風が気持ちいい。そんなことを思いながら表を歩けるのは幸せなことだ。しみじみ。とはいえ、半日起き上がった状態でいると首の筋肉が疲労困憊するため、最近は日に3〜5回横になって、その合間に活動している感じ。今週末はしっかり休もうと土日とも24時間中に5回ほど横になり、2〜5時間首休憩を入れて活動するサイクルで過ごした。

しかしまぁ、しっかり休もうとはいえ、ずっと家の中というのも息が詰まるので、活動時間は(重量的に)軽めの本をもって近所の喫茶店を転々と。今晩になって、キャリーバックに入れればMac Book Proを持ち出せることに気づき、日曜の晩は外で物書き仕事。なんともみじめな気分になったけれど、まぁ文章を書くのに家以外の選択肢があるのはだいぶ救われる。

その帰り道、家に向かってキャスターをゴロゴロ言わせながら近所を歩いていて思いついたのが、とあるお題。少し前に「第0.5回 しろうと哲学部」という実に濃厚な会に参加させてもらったのだけど(詳細はこちら)、そのときに参加者の女の子が提示した「自分の心に荒波が立ったときどうしますか?」を考える具体例に、こんなのはどうかなと。

心に荒波が立ったときの対処法って原因によっても変わってくるものだと思うけど、そこで会話されていたのは、誰が悪いっていうのでもないような原因によって自分の心に荒波が立ったときの話だった気がするので。では、思いついた具体例。

仕事からの帰り道、あなたは自宅の最寄り駅に着いて家までの道を歩いています。季節は秋。夜風を浴びながら一つ角を曲がると、駅周辺の喧噪から離れて心地よい夜の静けさが。と思いきや、ゴロゴロゴロゴロ。背後をキャリーバックがついてくる。アスファルトの上をキャスターの転がる音が響いて、気にしだすと止まらない。うるさい。次の角を曲がってくれれば…と思ったけれど、はぁ音途切れず。あとはもう家まで一直線。この人が私より手前に住んでいないかぎり、距離にして500mくらいはずっとこの音を聞き続けることに。せっかくこの一本道を、秋の夜風とともに静寂の中楽しもうと思ったのに。いらいらいらいら。そんなとき、あなたはどうしますか。どんなことを思ったり考えますか。

うーん、どうだろう。例として、いまいちかなぁ。とりあえず私はどうするかをメモすると、自分の心の中をやりくりする。キャリーバックがついてくるのは変えられない。だってその人だっておうちに帰りたいんだもの。それを制することはできない。自分がコントロールできないもの、すべきでないものは前提事項として考える。しかし、いらいらをいらいらのまま500m行くのも辛い。辛いし、この背後の人にもなんだか申し訳ない気がする。別に悪いことしているわけじゃないのに、内心とはいえ私に加害者扱いされては気の毒だ。

では、私の中のいらいらを消そう。私は自分が心地よくなる方法を模索する。そして、秋の風を楽しもうという心の中を、このゴロゴロを楽しもうというふうに入れ替えてみてはどうか、と思いつく。この人は、このゴロゴロカバンは、何をしにどこへ出かけた帰りなんだろう。仕事かな、旅行かな。行き先は海外かな。海外なら、どこかなぁと。そんなことをぽわんぽわん考えながら歩いていると、ゴロゴロも心地よい音楽に置き換わっている。例えばそんなふうに私は解決する。

これは人によっていろんな流派がありそうだなぁと思ったので、文章に残してみた。

追記)というか、ここで書いた話そのものを考えながら500m過ごしてしまうタチだ…。

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