傘革命について
風の強い雨の日には、きまって傘革命について考える。小学生だか中学生のときからずっと考え続けているのに、数十年経った今でもあいかわらず傘は遠い夏の日のままだ。左手にカバン、右手に傘をもち、強風にあおられれば日常これほどフルパワーを発揮する機会もなかろうという握力をふりしぼって持ち手を握りしめる。骨組みが裏返しにならないよう次の風をよみながら、今の風を交わし交わし歩みを進める。
傘の大革命はいつやってくるのだろうか。たぶん、傘メーカーはもう何十年も水面下で奮闘しているはずだ。社内では日夜革新的なアイディアの議論がなされ、試作品づくりに余念がないはずだ。しかし、なかなかメインストリームに躍り出てくるところまではなされず、今日に至っている。
もちろん生まれてこのかた、まったく未分化というわけじゃない。傘だって立派な成長を遂げてきている。初期でいえば、自動開閉ボタンの搭載、折りたたみ式の登場、大人用と子供用、男物と女物に男女兼用傘、レース付き/ドット柄/どこそこブランドとのコラボレーションで素敵なデザイン、雨傘と日傘に晴雨兼用傘、そう簡単には濡れない大きい傘、防水性/撥水性がすこぶる高い傘。
さらに成熟してくると、16本/24本骨とかグラスファイバー製とかいう強風対応傘、ビニールハウスが壊れる風でも大丈夫という風速20m/sに耐えたハリケーン耐風傘なんかもあって、堅牢性へのあくなき追究が垣間みられなくもない。
このほか、骨がアルミシャフトでできた軽量な傘とか、シルバーコーティングで暑い日差しもシャットアウト!な遮光性抜群の傘、紫外線から守るUVカット率99%傘、子どもの夜道も危なくない光る傘、さらには扇風機つきの涼がとれる傘なんかもあって、なんていうか、頑張っているのは痛いほど伝わってくる。
最も雄弁に、全身なめまわすように傘の素晴らしさを語っていたのは「暁(akatsuki)」か。「そこに1本あるだけで、人の目を引く美しい傘」ということで、その秘訣は黄金比。「雨の日も、心に雨は降らせない。」と締める。写真のどのシーンにも雨が降っていないけど、そこはご愛嬌。
対極に目をやると、駅に置き忘れても全然へっちゃら!というビニール傘も充実している。ビニール傘なんだけど、ちょっとおしゃれしたいという微妙な若者心をくすぐる色付き傘とか、ちょっと大人ぶりたい人向けの65cm長め傘。
とかあるんだけど、違う。そうじゃないんだ。もっと「これだー」という傘革命を期待しているのだ。とことん雨に濡れない、足下も安心。強風でも握力いらず、限りなく自由が守られる、というような。体が動くと自分の頭上をついてくる傘とか。少しだけ浮いているから髪型もくずれない!みたいな。
傘で解決しようという、そもそもの設定に無理があると言う人もいるだろう。確かにここ数十年で、世の中には地下道/地下街が発達したし、在宅勤務を許可する制度とか、自宅にいながらにして○○できるみたいなサービスも増えたし、そういう方向では雨に濡れない革命があちこちで起こっているのかもしれない。がしかし、「雨の日に外を移動する個人を、濡れないように守る」という傘のミッションは、いまだ傘のミッションとしてあり続けている。誰もまだ、それを奪っちゃいないのさ。まだまだ、きっと頑張れるはず。
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