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2011-07-28

SNSで「誰と」「どれだけ」つながるか

TwitterやFacebook、Google+なんかのSNSを使っていると、必ずといっていいほど遭遇するのが、「誰と」「どれだけ」つながるかの是か非か論争だ。論争というか無言の確執というか。

平たく言えば、「見知らぬ人と、できるだけたくさんつながっていたほうが楽しいじゃん!っていうか身内だけでつながっててもつまらなくない?SNSの価値を生かしきれてないよ、それ!」というのと、「面識のある人に限定していたって楽しいよ。むしろ私は、そうじゃないとしんどい。っていうか、見知らぬ人とたくさんつながっていて何が楽しいの?意味あんの、それ」というのと。

で、これには個人的に思うところがあって、つまり両方あるんだろう、人それぞれなんだろうというのが私なりに今結論しているところだ。

人が自らのエネルギーをどこで蓄え、あるいはどこに向かってエネルギーを発信していくことでより活力がわいてくるかというのには、「外向」と「内向」という2つの指向があるというふうにユングの理論では考えられていて、数々の研究実績もある。この指向というのは生来的なもので、成長過程で身につけたものではなく、もともとその人がもって生まれたものとされている。

つまり、外向指向の人は生まれながらにして、自分の皮膚より外側で起こっている出来事や人、物などからエネルギーを得たり、あるいは外に向かって自ら発信していくことで活力がわいてくる感じがする。

一方の内向指向の人は、自分の内側に関心が向いているのが自然体。自分の皮膚の外側にある物事や人、出来事に関心を向けたり、関わり働きかけていくというのは、少し気をいれて出向いていく感があり、また外から戻ってきて内省したり思索したり、あるいはぼーっとしたりするなかで自分のエネルギーが蓄えられていく感じがする。

この理論をどう捉えるかは人それぞれだけど、実際、「自分はこっち指向だ。でも、あっち指向の人もいる感じはすごいよくわかる。たぶん、あの人は自分と違う指向だな」という感じは、誰でも思うところがあるんじゃないかと思う。

世の中にはいろんな人がいると頭ではわかっているつもりでも、実際のところ、自分が当たり前にやっていること、考えていることを、人がやっていない、そうは感じないということがどういうことなのかは簡単にわからないものだ。しかし、実際人はけっこう、自分の当たり前を、当たり前とはしていないということは、十分にわきまえておきたい。

つまり、SNSの類いも、こういった指向一つとっても、楽しみ方、有効に感じられる使い方が人によって違うのだということを前提においておくと、意図せず相手に使い方を強要してしまうことも減るのではと。見知らぬ人、たくさんの人とつながっていたほうが断然面白いし活力を得られるという人もいれば、少数でも面識のある人、あるいはごく内輪の親しい人とつながって交流するのを有意義に感じる人もいるのだ。

もちろん、自分の指向にがんじがらめになる必要はなく、いろんな人の使い方を参考に、こういう使い方も面白そうだなと思うものをちょっと思いきって取り入れてみるのもよいことだ。ただ、あの人がこう使わなきゃナンセンスと言っているからと、自分にフィットしない使い方を無理やり組み込む必要はないし、自分なりの有効な使い方は人の使い方も参考にしつつ自分で編み出していけばいいと思う。道具に振り回されないとはそういうことだから。

ちなみに、外向指向は「外交的」「社交的」とは関係なく、内向指向は「内向的」「内気」とは関係がない。実際、「人との交流は大好き、人に話しかけるのも抵抗はないけど自分は内向指向だ」という人に会ったこともあるし、「人が多く集まっているような場は苦手。自ら話しかけるタイプでもないけど自分は外向指向だ」という人にも会ったことがある。

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