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2011-07-24

Google+ とブログの関係

Google+が出てきて、とりあえず使ってみないことには…と触ってみると、必然的に自分が日常的に使うネット道具の分化を迫られます。これまで使ってきた道具と新しい道具、全部まな板の上に乗っけてみて、じゃあTwitterとFacebookとどう使い分ける?みたいなことを触りながら試行錯誤するわけです。

自分のなかに、それなりに明確なイメージをもって、こういう時にはこの道具っていうのが想起される状態を作らないと、日常生活はたいそう不便です。なので、ものの使い始めには楽を求めて自然そういう試行錯誤が繰り広げられるわけですが、しばらく使ってみて思ったことは、どこの切り分けが難しいって、このブログとの切り分けが一番難しいな、ということ。

Google+は文字数制限がないので自然、ちょっとしたつぶやきはTwitterに、もう少しボリュームのあるもので考察を含んだようなものはGoogle+に、みたいな感じになりました。「外に出てみたら、すごい蝉の声」とか「ここがデコルテっていうのかっ!」みたいなのは、どうもそれだけだとGoogle+に書くのにそぐわない感じがして、Twitterだけにぼそっと。「父子の論争」みたいな話はGoogle+に。

Twitter/Facebook/Google+はつながっている人が重複していたりもするけど、そうでない人もいるから、Google+に書いたことはTwitter/FacebookにもRSSで流れるようにしました。そう発言数も多くないから、まぁいいかなと。で、Facebookは考えてみると基本見るの中心で、あとはこのブログのRSSを流しているから、それのコメントをくださった方と会話する場になっているという感じ。そうしたら、この3ツールの使い分けは、先ほど書いたような感じで、しばらくはOKかという頭の中の整理がつき始めました。

で、一番使い分けの境目を難しく感じたのが、このブログとGoogle+。以前だったら、例えば先ほどの「父子の論争」みたいな話は、このブログに書いていたと思うのです。しかし今回は、文字数制限もなくさくっと書ける「場」があったので、Google+に書いてみた。すると、さして考察を盛り込んだ状態でなくとも、とりあえずこのテーマで一つ書き残せてしまった。人っていうのは(って勝手にみんなを巻き込む…)何らかの形でそのテーマで外在化を果たせてしまうと、どうも一息つけちゃうみたいで一件落着しちゃう。自然にゆだねていると、私の行動はそこで止まってしまう。それを、しばらくしてから振り返り、これはちょっと怠惰に流されぬようにせねば、まずいことになるぞ…と思いました。

私がこの話をこのブログに書くならば、おそらくもっと書き込みます。言い方を変えると、今Google+に書いてある内容だけだと、このブログの内容としては浅すぎてそぐわないと感じる。もしGoogle+に書かなければ、このブログに書く→書くからには深い考察まできちんと言葉にしていこうという流れに自然なったような気がするけど、ライトに書ける「場」を新たに手に入れ、その型に何らかの形で外在化できてしまったことで、ひと呼吸つけてしまった。

これはもちろん道具のせいじゃない。私自身の問題。新たな道具を手にしたときの試行錯誤は、ほんとうまいことやらないと、この無意識にやられるのだ。無意識は私を易きに流す。はぁ、困ったもの。うまいこと使わないと、洞察するとか考察するとか推敲するとかいう時間、意識、場を自分の人生から失ってしまいかねない。ということで、早いとこ使い分けの決着をつけてしまおうとする無意識にあらがいつつ、試行錯誤を続行。心のうちを書き深めて早10年、この「場」は、失ってはならんのです。どうしても。

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コメント

>無意識は私を易きに流す。
というのも、何を大切にしているかということやそれに対する理想的なあり方というものが、整理されているからなのかなとおもいました。
目的あっての行動指針というか、そういうの、私ももうすこし明確にしないとっておもいました><

なるほどー。これは、言われて気づきました!でも、明確っていうほどのものじゃないかも…。すごく抽象的ですが、ある事実のその先にある可能性とか、その奥にひそむ本質をつかみたい欲求が強いんですよね。
まぁでも、大方は無意識にのまれてつかみ損ねているにちがいないのですが、自分のアンテナが何か反応した事柄については、きちんと取り上げて、本質や可能性を探る時間をもちたいなぁと。そういう疲労感は、けっこう自分の人生の充実感につながるんですよねぇ、個人的に。

ふむふむ、自分の琴線に何が触れて、それは何故で、どう感じたかってかたちをつかむ作業は骨が折れますね(^_^;)公平をねがうあまりに結論をださずにいることも多いです。きちんと扱ってみようかなって思いました。

「公平をねがうあまりに」というのが興味深い。どういう感じなのかなぁ。今度ぜひ、その心もようを聞かせてくださいな。

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