会社を辞めようと思って上司に話した。その数日後、上司の上司に呼ばれて話をした。なんだかんだと6年半お世話になった会社で、私はずっとこの会社と、経営理念でつながってきた。大きな枠組みで、会社が私に期待するミッションも、自分がやりたいことと合致し続けてきた。
私の配属や目標設定は期ごとに変化し、しっくりいったりいかなかったりもあったけれど、会社の経営理念と、大枠で期待される自分のミッションさえあっていれば、そこから先は基本、自己管理の世界だと思ってきた。
会社に期待されていることの責任を全うできるよう、期の目標からブレイクダウンしてそのための施策を計画して実行する。そのときに、その活動と自分のやりたい仕事とのベクトル合わせを行うのだ。「会社から与えられた目標を達成するために仕事をする」のではなく、「自分がやりたい仕事をすると、結果的に会社の期待に応え、目標を達成することになる」という構造の転換を自分の脳内でやってから期をスタートするようにしていた。
長年務めていれば、身構えしてしまうような役割が与えられることもあったけれど、それこそがサラリーマンをやる面白さでもあり、その辺は昔書いたので割愛するとして、よろしければ「サラリーマンする理由」を。そんなこんなで6年半、自分自身で選択している意識をもって、今の職場に勤めてきた。
●会社を辞めようと思った背景と理由
会社を辞めることを考えた背景には、久しぶりか入社以来初めてか、具体的な案件が手元からなくなったというのがある。いつでも辞める選択肢はあると言っても、手元に具体的な案件を抱えているときに辞めるという判断は現実的でない。並行で何本も走るのが常態化すると、いよいよ現実的でなくなってくる。それが、ふいに今走っている案件はないという状況になって、とにかくここで真剣に考えてみるべきなのだと思った。
そこで頭の中に出てきたことの一つが、一つ前に書いた自分の今後の伸び率の見通しだったり、ここしばらく感じていた自分自身の詰めの甘さだったりした。で、乙女チックにいうと「私、このままでいいのかしら」症候群になったと言えるのかも。もう少し具体的に言うと、外に指導者を求めたのだ。外にはもっとできる人材開発の玄人が5万といるわけで、ここの環境を出て、今自分が見えている視界そのものを拡張させないと、40、50歳といったとき、もうなんともならないのではないかという切迫した思いがあった(後から35歳で甘えたこと言ってんじゃないと思い直したが)。
もう一つは、こんな思いを悶々と抱えながら、とりあえず今期果たすべき目標設定ベースで現実的なアクションプランを書き起こしてみて、ふむと眺めてみたら、いやぁー、これ自分でやるって…と固まった。前年度の自分なら、まぁやってみるかと思えた気もする。でも、今期はそれをその規模でなすためのエネルギーが見当たらなかった。目標設定と、自分のやりたいことのベクトル合わせがうまいことできなかったのだ。
これまでも売上目標は抱えていた。けれど、自分のやりたいこととのベクトル合わせができる心の余裕があったので引き受けられた。ただ今回はそういう内側の調整ができるほど余裕がなく、ただただ高すぎる壁に感じた。だから、このプランを実行して達成しますというふうに会社と交わしたら、ベクトル合わせどころではなく目標達成まっしぐらでやらんと責任全うできんだろうなぁと思ったし(でもそのエネルギー不足)、それを実行する気も達成する気もないのに正社員として勤務し、目標設定のミーティングに臨んで毎日出勤できるほど器用でもなかった。結果として、私はとりあえず会社を辞めるという意向を固めて上司に話したのだった。
●でも、辞めるのをやめた
上司の上司と向き合って、私は思うところを率直に話した。私が特段どこに転職するのでというのでもなく、経営理念はあっているが、今期の責任を全うできないとか、こういうところに自分への問題意識をもっていて、その打開には環境の変化が云々とか、ここに書いているようなことをまじめな顔して話すのを聴いて、上司はどういう落としどころがいいのかちょっと会社の側でもアイディアを練ってみるからと締め、一旦保留になった。
それから一週間ちょっと、私は私で、自分が外に発してしまった言葉をいろんな角度から眺めつつ、悶々として過ごした。だいぶたくさん文字や絵をかき散らかして、あーだこーだと試行錯誤したし、ちょうどその期間にいろいろな人としっぽりお話しする機会も重なり、その時々で思うところを、考えまとまらぬままにおしゃべりして、話を聴いてもらったりもした。
そうして1週間経ち、また上司の上司と話す場がセッティングされ、その直前までに考えたことやアイディアやあれこれを共有したら、「それ、正社員でやったらいいよ」って話になって、会社を辞めるのをやめることになった。いや、たぶん。上司の上までが「それ、正社員でやったらいいよ」って同意したらという話だけど…。
●経営理念の直下から自分で考える年頃
つまるところ何をしたかといえば、目標設定をちゃぶ台返しして、経営理念の直下から自分でやりたいことを考えてみて、上司に話してみた。経営理念という一番肝心なところを会社と握れているんだから、あとは自分で、自分の役割をもって何を目指して今期何をやりたいのか、そこから自分で考えてまずは提示してみる必要があったのだ。自分で絵を描いて提示してみて、それを会社が組織としてやりたいかどうかって話で。それもやらずして、いや、今期がこういう年間目標だったら会社辞めます的な反応は35歳の仕事じゃないなと。ってこう書くと、本当にどうしようもない人間みたいに感じられてきたが。
まぁでも実際、前はもう一個下のレイヤーから考えていたんだよな。それ以上は「会社が決めたこと」として変えられない領域と勝手に決めていた。そうとは限らないのに。いわゆるサラリーマン思考には陥らないように注意していたのに、しっかりそれにはまってたんだなぁ。
●辞めること
で、思ったのは、クビだとか、辞めるとか、辞任とかいう言葉はよく踊るけれども、辞めるっていうのはまったく何にも考えなくても出せる、最も結論めいた面構えをした実は結論ではない反応の一形態ではないかと。辞めるにせよ、続けるにせよ、結論とはその先にある答えのことで、それは頭をひねらずして生み出されないものだし、逃げずに向き合ってこそ導かれるものだよなと。辞めるという行為自体は、別に良い悪いという評価を私はもたないけれど、辞めるなら、その先に自分自身の結論が必要になるし(それはそれで結構しんどいものですよね)、辞めないなら、自分の納得に加え、そこにいる自分以外の人にも意味がある結論を生み出す責を負うと。そんなことを思う今日この頃です。
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