臆病者の想定範囲
私の好きな漫画に樹なつみさんの「オズ」というのがある。漫画は中学卒業以来ほとんど読まなくなってしまった&手放してしまったのだけど、これは手元に残してあって、3.11の大地震の後に久々に(10年ぶりか、20年ぶりか…)読んだ。1988年~1992年の作品で、当時は中学生だったかリアルタイムで読んでいた記憶がある。
話の設定としては、1990年に第三次大戦が起こり、世界は核ミサイルによって崩壊。全世界の軍事基地や主要都市、産業施設が消滅し、半年ほど続いた氷河期によって植物は完全に枯死、生存者中25億人は凍死・餓死に至り、全世界では内乱が多発、地球規模の戦国時代が到来。その31年後の2021年10月からお話が始まる。サイバノイドとかバイオロイドとか出てくるSF漫画。少女漫画に類すると思うけど、主人公は傭兵で東洋系の男性(すごいかっこいい)。
2011年の実世界に立ってみると、こっちはこっちでとんでもないことになっているわけだけど、あらゆることを想定範囲内におさめておきたい臆病な私は、なんとなく目安として、最悪このマンガの設定が起こるようなところを極限値として心に置いている感がある。
核ミサイルで世界がほぼ消滅して、氷河期が到来して、その自然の驚異に人間のなす術はないというようなことが明日起こるとも限らないという。この漫画に出てくる「ホモ・サピエンスは結局戦争という手段でしか人口調節も発展もできやしないのさ」という台詞も、人間のイメージとして一方の想定範囲の際に置いている感がある。
もちろん頭で想定範囲内におさめているだけで、実際にそんなことがあったら身体がどう反応するか想像もつかないけれど。
別に世の中や人間をすごく悪く見ているとかではなくて、想定範囲の一方の際を、そういう徹底的な「底」に置いておくことで、いろーんなことが起こっても自分の足元が「想定外…」といってふらついてしまうことがないよう足場を固めておいているというか。
その上で、視線はあくまで想定範囲のもう一方の際にやって、上を向いて歩いていくというのが、個人的に落ち着く身の構えなんだろう。この構えをとっておくことが、私に明るい未来を希求しやすくさせている。
このバランスで自分を成り立たせるっていうのは、いつ頃覚えたんだろう。まさしく臆病者の知恵で、幼少期から無意識に築いてきた心の持ち方なのかもしれない。再読してそんなことを思った次第。一応感想文。
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