わかるための図
「人に伝えるために図を描く」というのは図のあり方としてよく知られるところだけど、原田泰先生(千葉工業大学准教授)の説明でぐっとくるのは、「表現活動にも2段階ある。1つ目は自分がわかるための表現、2つ目が相手に伝えるための表現」という話。
著書「デザイン仕事に必ず役立つ図解力アップドリル」から引くと、次の2段階。
- データを集め組織化し、傾向や結論をつかむためにその構造を図化=考えるための図
- 構造を示す図をもとに、目的や受け手の立場に合った表現に翻案=伝えるための図
「1」の工程を踏んで自分でわからないと、「2」の相手に伝えるところには到達しないわけで、このステップはきちんとわきまえておきたいところ。じゃないと、「1」どまりの自分にしかわからない図のまま人前に出しちゃったり、「1」の工程を踏まず傾向も構造も意図も未整理な図を人様に出しちゃったりということになる。
「1」を頭の中でできちゃう人もいるかもしれないが、私は絶対手を動かさないとダメだ。ということはよくよく承知しているので、これまでも「1」の工程は無意識にやっていたのだけど、これまでは上の認識がなかったぶん精神衛生上よろしくなかった…。
例えばお客さんのところでヒアリングしてきて提案書を起こす場合は、集めた情報から自分なりの提案シナリオが浮き上がってくるまで、何度も何度も紙に書き直して精緻化してくるのを待つという感じ。最初はとにかく集めたデータ/情報の書き出し、そして情報整理、情報不足点の発見、構造の理解、傾向把握、問題発見、アイディアだしみたいなのがごちゃごちゃっと紙にあふれる。それを何枚か書き直しているうちに提案内容などが精緻化されていって、最終的に人様に見せられるドキュメントが仕上がる…みたいな。
この間の「今どこ走ってんだろう私」的な精神不安定感が軽減されるのではないかという期待。今後は割り切って、今は「人に伝えるため」じゃなくて「自分の思考の外在化」に時間をあてているのだ、だから汚くてもいいのだ、いいのだ!と快く「1」の工程に時間をあてたい。そうすると、だいぶ精神状態が楽になるのではないか。いや、そう変わらない気もするな。まぁ多少はいいか。
それにしても、以前に先ほどの本を読んで「おぉ!」と唸っていたのに、つい先日先生のお話を伺う機会があって、その説明を聴きまた「おぉ!」と同じ調子で唸ってしまった自分の忘却力が怖い。ともあれ読み返してみるに、この本は本当に「はじめに」から「おわりに」のメッセージまでしびれる。中身ももちろん潤い豊かだ。デザイナーにはなきゃ困る知識領域だけど、私みたいな普通の人にもあるべきデザイン知識の宝庫だ。楽しい本だし、お薦めです。
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