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2011-03-22

「IAシンキング」の挑戦

「企画協力」という形で私の名前を載せてくださっているという坂本貴史さん(@bookslope)著の「IAシンキング」という本が3月25日に出ます。あくまで「企画(時に)協力(した)」ということで、まだ読んでいないので中身の感想を書けないのですが…、企画コンセプトに大変賛同!しておりますので、そのことについてちょっとここに書いてみたいと思います。

坂本さんには、私が担当する弊社主催のワークショップや、クライアント向けの研修で講師をしていただいたりしています。その中で使っている演習のネタ(一緒に作った)を本のほうでも使ったりしているということ、あと起案時に多少相談にのったようなのっていないような感じで協力したことになっています。実際に執筆している時期は、ほとんど「頑張れー」しか言っていなかったと思いますが…。

で、この本を手に取る方にお勧めしたいのは、「読む本」として手にしないことかなと思っています。無意識に手に取った本というのは多くの場合「読むもの」として手に取られると思うのですが、例えば小学生の頃に手にした本でいうと、「教科書」ではなく「計算ドリル」や「漢字ドリル」のイメージで手に取ると、いい味が出ると思います。で、ちょっとこの辺をひも解いてお話しできればと思います。

私は「学習の場を提供すること」を仕事にしています。本づくりも「学習の場」を提供する仕事だと思っていますが、私はワークショップやトレーニングなどの企業研修・講座づくりを生業にしています。それは、

  1. 一つの空間に受講者と講師が居合わせ、
  2. いくつかの方略を用いて講師がそのテーマを解説した後、
  3. 実際それを使ってみることで効果を生む演習課題を提示し、
  4. 個々に試行錯誤しながらアウトプットしてもらい、
  5. アウトプットに対する講師のフィードバックを提供することで、
  6. 個々人のスキル習得状況を顕在化し、
  7. 自分が何を習得できていて、何を未習得で、今後何をどう習得すべきか具体的につかませる

構造をなした学習の場を提供することでしか、個人のスキル(知的技能)習得支援はなしえないと考えているからです。本にはそのインタラクションの実現が困難であり、ワークショップやトレーニングという器は、その辺が自在にできることを強みにしています。

もちろん、その構造をしっかり実のあるものにするのは大変な仕事ですが、ともかくこういう理由で私は、本の編集者でなく、研修のインストラクショナルデザイナーとして学習の場づくりに仕えたいのだと思って仕事をしています。

ただ、このワークショップやトレーニングという器には、本と対照的な弱点があります。それは、提供できる範囲が著しく限定的であること。研修にもいろいろあって、e-ラーニングは受講者数を多くとれるし、講演タイプのセミナーも大人数相手にできますが、先述したような構造をもつ学習の場は、大人数相手ではなかなか成立しません。

実際、私が1年間で提供している研修案件も数は限定的だし、受講者数も年間でみて「千」の単位には到達しません。提供する地域もほとんどが東京です(今度京都に行けることになったけど!日帰りだけど…)。

仮に1回のワークショップの参加者を12名とすると、本を1200部刷って読者に届けた場合、100倍の人に学習の場を届けられることになるわけで、これはえらい違いです。ただ、本にするとき普通に文章を書き起こしていっても、スキル習得には貢献しないし、知識習得に主眼をおいた本はすでにたくさん出ています。しかも「IA100」とかはえらくクオリティが高くて、難しい概念の数々をため息が出るほどわかりやすくひも解いています。だから同分野の知識習得領域の本はもう十分に満たされているのです。

でも、それを活用してWebサイトの設計をうまいことできているかどうかは本人次第であり、その評価も読者側にゆだねられています。よって、これら知識習得領域の本の続きを引き継ぐような思いで坂本さんも編集者も「本×スキル習得領域」に挑戦したわけですが、そこはなんというか、武士だなぁと感服します。

だから、できればこの本を手にしてくださった方には、載っている演習課題を前に自分で試行錯誤してアウトプットしてみて、ドリルのように使ってみてほしいと思います。自分のアウトプットと坂本式の回答例、自分の試行錯誤と坂本式の思考プロセスを照らし合わせて、ある文脈の中でより良い答えを導き出す筋トレに使っていただけたらというのが、著者や編集者の願いかと思います。それで、圧倒的に俺のほうがいい回答だというところに到達したなら、それを著者にフィードバックすると。その一部始終の思考&アウトプット時間を買ったのだと考えていただけると幸いです。

まぁ、とは言っても、これをやるのって個人では結構きついかも。ということで、坂本さんも「まえがき」で書いていますが、勉強会とかでこの本の演習ネタを使っていっせいのせぃ!でやってみて、みんなで答え合わせしてみるとかがよいかもしれません。つまり先述したようなスキル習得の構造を自ら作ると。そんなわけで、応援している本のご紹介でした。

追記:よろしければ続きもどうぞ。「IAシンキング」講座と本

2011-03-12

巨大地震を受け止める

東北地方太平洋沖地震、私は東京のオフィス内にいた。ひどい揺れを体験した。「あ、地震…」と思ってから次第に揺れが半端なくなり、机の下に避難。この揺れをどんな状況で、どんな心境で受け止めているのかと、頭のなかは父の心配で埋め尽くされた。

しばらくして揺れが多少落ち着いたところで、ビルの外に非常階段で避難。向かいの高層ビルがぐらんぐらん揺れていて、周囲は表に出てきた人たちであふれかえっていた。父に何度も電話をかけたが、自宅電話も携帯電話も不通。メールも送信はできるものの届いていないよう。怪我していないか、不安はいかほどかと、終始そればかり考えていた。

会社は、今日はもう(帰れる人は)帰るようにという指示で、私もちょうど午前中で一つ仕事が落ち着いたところだったので、早々に会社を出ることに。デパートの中で比較的すいた公衆電話を見つけ、そこで父の無事を確認して胸をなでおろした。

さて帰宅の途に。電車はどこも動いていない。タクシーももちろん長打の列。というわけで、ありえないほど遠いわけでもないため、徒歩で自宅に帰ることに。iPhoneとGoogleマップに道を誘導してもらって1時間ほどで帰宅。ほんと便利。途中、道を迷っている人にも地図を見せながら駅の方向を示したり大活躍だった。夜中に何時間も歩いて帰った人も多いから、1時間なんて苦労でもなんでもない(寒かったけど)。歩いていても、とにかく徒歩で往来している人がわんさかいて、「みんなで歩いている」という感じが街中にあふれていた。

大変な状況を共有している。誰が悪いわけでもない、みんなでできるだけ生産的に、今をしっかり受け止めて、協力して乗り越えていこうという前提を共有している。これは、けっこう国民性の強さもあるんじゃないかなと思った。日本は地震国を背負っている分、そういう自然災害を受け入れる度量がある国民性ではないかと。

「村上春樹 雑文集」の一節を思い出した。「カタストロフ」は大きな環境変化、破滅や破局の意。

日本人は地震や台風といった自然のもたらすカタストロフとともに生きてきた民族である。極端な言いかたをするなら、自然のもたらす暴力性は精神の中に無意識的にプログラムされている。人々は心のどこかで常にカタストロフの到来に備えているし、その被害がどれほど甚大なものであっても、理不尽なものであっても、歯を食いしばってそれに耐えることを学んできた。「諸行無常」というのは日本人がもっとも愛する言葉のひとつだ-すべてのものは移ろう。日本人は崩壊に耐えつつ、はかなさを知りつつ、我慢強く、設定された目標に向かって進んでいく民族である。

ネット上で情報をみていると、たくさんのあったかい言葉が交わされていて、たくさんのあったかい支援が送られている。ささやかなものもあれば、命がけのものもある。私の行いはごくささやかなものだけど、みんなそれぞれに、生産的に自分ができることを模索している。

誰かが何かしていないことを責めないで。今は、誰かがしてくれていること、自分ができることへの想像力をフルに使うとき。自分に見えているのは、その人の思いと行いの、ごく一部でしかない。きっとみんな、大きな思いはひとつ。少なくとも、そう信じられる人の手によって、世の中は生産的に動いていく。

2011-03-10

35歳になった

早朝から夜中まで、なかなかせわしない一日だった。昨日の夕方、父にメールを送ったのだけど返事がなくて、晩になって電話をしてもつながらなくて、なんだか心配になってしまって急遽実家に帰った。帰る電車のなか、最近のいろんな想いも交じり合って、なんだか感情がゆさゆさし続けていた。自然、涙が出た。

21時過ぎに実家に着き、結局はすでに床についていた父を起こすことになってしまったのだけど、嬉しそうな表情をして迎え入れてくれたので、まぁよしとする。安堵と、あと本当にいろんな想いが入り交じって、母の遺影の前に正座すると、涙がぼろぼろ出た。

私は自分の感情の動きを遠目からつぶさに観察するのを常としているのだけど、そのときの想いがどういうものなのかは、うまいこと言葉に表せなかった。ただ、とにかくしばらく声をころして泣いていたら落ち着いてきたので、ささっと洗面所に行って顔を洗った。居間に戻ると、しばらく父と二人で話した、というか父の話を聴いて過ごした。

そうして床につき、翌朝の今日は6時前に起きて、35歳になったことを母に報告し、父に報告して実家を出てきた。だいぶ早朝からばたばた動くことになってしまったけど、いろんな意味で、帰ってよかったと思った。自宅に立ち寄り、会社に向かい、その後はまたたいそう予定がつまった一日で、夜中まであわただしく仕事を続けた。そして今、とりあえず今日の仕事は一段落して、ここに文章を書いている。

あのとき感じていたのは、あることの自覚に至ったからなのかもしれないなと思う。父を心配し、いろんな感情の揺さぶりを味わいながら、実家に帰り、母の遺影の前に座り、背中に父を感じ、35歳の誕生日を目の前にして。あぁ、私は父を守る立場になったのだなと、こちらが父を心配する立場になったのだと。あれは、静かで確かな自覚、覚悟のようなものが流した涙だったかもしれない。

よっかかりどころなく、自分を立たせ続け、さらに大事な人を守ろうという覚悟には、緊張感とともになんとも心細いものがある。でも、父を心配する衝動を止めるべくもない。やはりそういう年齢になったのだな、と思う。

最近、20代前半で読んだエーリッヒ・フロムの「愛するということ」をぱらぱらめくっていたら、次の一節に線が引かれているのを見つけて、おぉっと思った。

愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとかなんでも貯めこもうという欲求をすでに克服し、自分のなかにある人間的な力を信じ、目標達成のためには自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けていると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。

すみません。突然取り出して提示するには、あまりにいっちゃってる感のある引用…。ともあれ、昔読んだ本を読み返すと、もうすっかり内容忘れているんだろうなぁと思ってめくるのに、意外と自分が長く育んできたものの核を言い表していることがあって、あぁ、この本がきっかけだったのかって気づかされたりする。

この一節が、まさにそうだった。そう、20代前半でこういうことを言語化した文章にふれて、その後いろんな局面で自分の弱さに触れるたび、この指針に支えてもらって自分を律してきたなぁと懐かしく思う。まぁ、まだまだなところも多分にあるけれど。

今回読み返してみて、また印象深く思ったこともある。また10年後くらいにこの本を読んだとき、あぁ、あのときのあれがきっかけで今の自分があるんだなぁって思えたらいい。本質的であること、善良であること、生産的であることから、もう一歩先へ行きたい。

2011-03-05

母の還暦祝いだった

なんだか猛烈に仕事が忙しくなってしまったのだけど、いろいろご相談いただけるのは本当にありがたいこと。一つひとつ丁寧にこしらえております。というさなかではあるものの、今日は半日お休みにして、帝国ホテル17階にあるレストランへ。

母が亡くなって父がしょげきっていることもあって、以前から母の還暦祝いは帝国ホテルでやろうぜーと言っていた父を誘い出したのだ。そう、今日は母のお誕生日。生きていたら母の還暦のお祝いの日だった。父と妹、それに母のお姉さんが来られるというので、私含め4人で予約して、本日ランチに訪れた。

帝国ホテルのサイトを見てみたら、その中で一番カジュアルな(つまり安い)レストランがビュッフェスタイルで良さそうだったので予約。しかもインターネットで指定時間帯で予約すると、5300円が4500円になる。まぁそれでも高いっちゃ高いけれども、その辺は帝国ホテルってことで金銭感覚麻痺。

今日は東京からも富士山がきれいに見えたという素晴らしい晴天で(私は見ていないけど…)、17階からの眺望は見事だった。席に着くと、父がかばんから母の遺影を取り出して、これテーブルに置いてもいいかなぁというので、もちろん主役だしと、周囲にも気にならないふうな角度でテーブルに置いて食べ始めた。本当に豊かな空間で、父も伯母も妹もみな大満足の様子。いやぁ、東京まで呼び出した甲斐があったとほっとした。

一通りご飯を食べ終え、誕生日だし…とケーキを取ってきて食べ始めたところ、ホテルの人が別にローソクを立てたケーキをもってきた。そうか、サイトで予約したときプルダウンで何の用途か選ぶところがあって「誕生日」と選択しておいたから。

それでかと一人納得していると、ホテルの人がケーキのお皿を手にしたまま「どちら様がお誕生日で?」と。そりゃそうだ。お祝いする人の前にケーキ置かなきゃ。で、テーブルに置いていた母の遺影を手元に寄せ、できるだけ相手が困らないように「こちらの母なんです」と笑いながら言ったら、戸惑いを見せずに「そうですか」とケーキを置いてくれた。そして写真を撮ってくれ、出力したものをカードにして人数分くださった。

母と誕生日が近く、いつも一緒にお祝いしてもらっていた私がローソクの火を消した。すると、妹からプレゼントが。さすがに今回はすっかり自分の誕生日のことを忘れていた。それも、プレゼントは母とおそろいのネックレスで、母には還暦のお祝いということであかいの、私のはあおいの。私が普段アクセサリの類いを一切しないのは百も承知で、今回は特別だと。うん、これは嬉しい。大切にします。

その後、1階のラウンジでお茶。実はそこは以前、家族のお食事会の後に母と来たことがあって(コーヒー1杯だったら庶民でも飲ませてもらえるだろうと焼き肉屋の後に入った…)、父も思い出の地をかみしめているようだった。

しばらくくつろいでお開きに。予約したときは、まさかこんなに仕事が立て込むとは思っていなかったので、1日休みにしてそのままみんなと一緒に千葉に帰ろうと思っていたのだけど、とてもそんな状況ではなくなってしまったので、みんなとはホテルで別れて会社に向かった。まぁでも、とにかく父が豊かな時間を過ごせたようでよかった。んー、この週末ぐいっと仕事頑張って、近々実家に帰らねば。やっぱり大事なのは、何より一緒に過ごす時間なのだ。

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