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2011-02-10

母の最期の日

今朝早く、母が息を引き取った。少なくとも癌の痛みに苦しむことはなく、父、兄、妹、私の家族全員に看取られて。59歳は早すぎるし、癌の宣告からひと月半とはあまりに速すぎるが、とにかく。

聴覚は最後まで生きていると聞いていたのに、昨晩から今朝にかけて言葉にできたのは、「ありがとう」「そばにいるよ」「大丈夫」、そして「また、会おうね」の四言くらいだ。あとは、鼻をすする音ばかり聞かせてしまった。けれど、時折うなずいてくれ、時折笑ってくれた。

息が、苦しそうになっていき、ゆっくりになっていき、とまり、引き返し、そしてすべてをはき出すような終息が2回あって、途絶えた。ずっとずっと、手を握り、目を見続けていた。

私がここにこまめに書き続けていたのは、翌日になると、今日想ったことがもう終わりになってしまっているからだった。昨日と今日とでは、目の前の現実がまったく違うものになっている、日々それの繰り返しだった。そして宣告からひと月半足らずでいってしまった。ふた月前には普通に東京に呼んで、ひと月に一度の「家族でご飯の会」を開いていたのに。

信じられない。まだ全然信じていない状態で、それでも母の顔をみると、現実を受け止めざるをえなくてどうしようもない。

本当に美しい人だったのだ。人の心を思いやること、言葉を大切にすること、善良であること。そうやって生きていくのが、当たり前のことなのだと教えてくれたのが母だったと思う。会話やふるまい、人への向き合い方、日々のことを通して彼女は私にそれを示し続けた。親から自然と、そして無自覚に譲り受けるのは、「自分にとっての当たり前は何か」ということなのかもしれない。

さいごになりましたが、ここでお話を読んで、メールをくださったり、声をかけてくださったり、サポートしてくださったり、またご自身の家族のことを改めて想う機会としてくださった方に、心からありがとうを伝えたいです。心から感謝しています。

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コメント

慎んでご冥福をお祈りいたします。
親父の隠し子騒動ほか、またバカ話をしますのでー。

お母さんのご冥福、心からお祈りします。

実はブログは読んでいたのですが、途中からなんと言っていいか分からず、ただただ心中をお察しするしかできませんでした。

ハヤシさんが事細かにブログを更新されるのは、きっとお母さんと共有できる限りある時間に、何を思っていたのか、少しでも新鮮なまま残しておこうとされているからだろうと、勝手に思いながら読んでいました。

いい娘さんを持たれて、お母さんは幸せでしたでしょうね。

もうだいぶ以前、一度お会いさせていただいたきりなのですが、時折拝見させていただいておりました。

お母さまのご冥福、心よりお祈り申し上げます。
「本当に美しい人だったのだ。」との言葉に、お母さまから林さんへと続く、大切なものの継承を感じずにはいられません。

林さんとご家族が、お母さまとの思い出を胸に、より一層力強く歩まれる未来を心から願っています。

心からお悔やみ申し上げます。

お母様の年齢を考えると
本当に早すぎるお別れでしたが、

ご家族が最後まで見守ってあげれられて、
ご本人も心静かにお休みになれたのではないかと思います。

あなたのブログを読んで、
病、寿命、死、運命、家族の絆、夫婦、親子、
色々と考える機会になりました。

お母様のご冥福をお祈りします。

ご家族の皆さんも心労が募っていると思います。
葬儀も大変な負担がかかると思いますが、
体調崩されませんように。

謹んでお母様のご冥福をお祈りいたします。

何と言って良いか・・・
心より、ご冥福お祈りします。
適切な言葉ではないかもしれないけれど、元気、出してね。

お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。

私も更新される都度、ブログを読ませていただいていましたが、どうお声をかけてよいかわからず、
また、自分の親のことのように思えていました。

言葉を大切にし、人を思いやる美しさはお母様の血をまりさんが受け継がれているのだなと感じます。

何とお言葉をかけてよいかわかりませんが、
これからもまりさんは、お母様の想いを、そして生き方を受け継ぎ、強く凛として美しく生きていかれると信じています。

とうとう。。。
お母さまのご冥福を謹んでお祈りします。

こんなにつらいことがある中で、仕事に穴をあけることなく、仕事への意志を貫き通したはやしさんに敬服します。

渋谷でまた会いましょう。

はやしさんこそご自愛ください。

たくさんの方が↑でコメントされているとおりです。

お母さんの血を引き継いで、こころの清らかなあなたも沢山の人に支えられている現実は大切な宝物だね。

なんかなにも言えなくて、ゴメン<(_ _)>

お母様のご冥福をお祈りいたします。

落ち着いたら、また会いましょうねー。
すごく寒いので、ご家族皆、身体に気をつけてください。

人は常に死に向かって生きている。
この事実を前にしたとき、如何様に生き抜くかを考えずにはいられません。

御尊母様も、思い残すことがなかったとは言えないかもしれませんが、大切な家族と大切な時間を過ごせたことに、心穏やかに先逝かれたと思います。

ご家族の心中をお察し致しますと、胸が締め付けられるように苦しくなりますが、どうかご自愛いただいて、またいつか明るい笑顔を見せて下さい。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

お母様のご冥福をお祈りします。
この1ヶ月あまりのまりさんの日記で、たくさんの愛の表現方法を教わった気がしています。ありがとうございます。
しばらくはバタバタだと思いますが、どうか、体に気をつけて。

お母さんは、きっとすごくきれいな人なんだろうなあ。。。

心からお悔やみ申し上げます。
こちらの記録を拝見しておりましたが、直接お会いする度に、強く立っていらっしゃるまりさんについつい普段と変わらずで気のきいた言葉も掛けられずでした。もうずっとお辛い日々だったのではと想像し、申し訳なく思うと共に、まりさんの力強さを感じます。
ご家族の皆様もしばらくは忙しない日々かと思いますが、どうぞご心労などなさいませんよう。
ご冥福を心よりお祈り致します。

お悔やみ申し上げます。
風邪ひいたりしないようにしてね。

皆さま、あたたかいメッセージをありがとうございました。

マッシーさん
またゆっくり、そのお話ほか諸々うかがわせてください。人生いろいろありますね。

タケシさん
ブログを読んでくださっていたとのこと、ありがとうございます。私も同じ立場でしたら、なんとも言葉をかけるのに困ったと思います。ただ、読んでくださったこと、またそこで何かを考えたり感じたりしてくださっていたのだとすれば、私にとってそれがとても嬉しいことです。
その時々の記録や思うことをここに残すことは、すごくいろんな意味をもっていたと思いますが、どんな意味があるのか整理する余裕はなくて、ただこれは絶対に書き残していかないとっていうことだけは、直観でわかりすぎるほどわかっていたという感じで書いていました。そういうときに思う直観は大事にしたいですね。

ペリーヌさん
時折足を運んでくださっていたとのこと、ありがとうございます。母の美しさというのは、ニュース性をもって取り上げられるような奇抜なものではなかったと思います。ただ日常のなかに常にあり続け、特別意識しないかぎり周囲にはわからない感じで、ただそこにあり続けたような気がしていて、私はそういう美しさこそ大切にして生きていきたいなと思います。

saltpanさん
この一連のお話を、ご自身の家族のことや、死というものを改めて考える機会としてくださったというのは、私にとって本当にありがたいことなんです。このようなメッセージをいただけて、心から嬉しい気持ちです。ありがとうございます。

おかもとさん
あたたかいメッセージをありがとうございます。これからも頑張って生きてまいりますのでよろしくお願いします。

narakiさん
ありがとう。心のバランス感覚はまずまずあるので、へんに無理して力まず、元気にやっていきたいと思います。今年こそゆっくり語らいたいですね。

ベルさん
心のこもったメッセージをいつもありがとうございます。ベルさんにとっては、やはりご自身の親御さんのことを考えずにはいられないですよね。お察しします。なんとなく、最期を迎えるときに必要なのは、疑いようなく自分を愛してくれている人の、温もりのようなものなのだろうなと思います。いろいろ考えるとやっぱり、お金とかもあるわけですが…、温もりなくしては、やっぱりやりきれないですよね。そういう意味では、ベルさんの温もりは必要不可欠な、とても尊いものだと思います。

pegさん
仕事との両立は、やはり1日24時間、千葉と東京の行き来でどうしてもかかる時間、三十路の体力、どうしても人にお願いしようのない仕事などの兼ね合いで大変な面もありましたが、周囲の協力もあってどうにか乗り切れたかなと思っています。
私が仕事をしている意味や、その先で関わる人たちに届けたいもの、守りたいものはけっこう明確に把握しているので、そういう意味ではぶれたり迷いが起こることもなく、これだけは絶対自分でやらなきゃっていうのはわかりやすかった気がします。
ただ、それをなすには人の協力や理解が必要で、本当に人に恵まれて生きているなと思いました。また渋谷でよろしくお願いします。

かず〜さん
お通夜にもきてくれて、ありがとね。私も嬉しかったし、母も嬉しかったと思います。またみんなでゆっくり会いましょう。

えりさん
あったかメッセージありがとうございます。落ち着いたら、またぜひ会いましょう。先日お会いした際も、優しいお声がけをありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

まっちゃかさん
死という概念は、尊いものですね。母が亡くなって、死というものの位置づけはだいぶ温度のある身近なものにかわったように思います。死を知りきることはできないわけですが、死を以前より深く知ることで、よりよく生きられる力にはなると思います。そうして自分で、自分が生きる意味を味わえる人生にできたらいいですね。

ふうりさん
一連のお話を読んでくださって、とてもありがたいです。書いたものというのは、読んだ人の心のうちで、また別の意味をうんでいくものだと私は思っています。ふうりさんは、私が感じていないまた新たなものを感じ取ったり生み出したりして、ここのお話に意味を与えてくれているような気がします。またぜひゆっくりお話ししましょうね。

もりやえみさん
お話を読んでくださって、ありがとうございます。申し訳なくだなんて、まったく思う必要ないです。私は無理をして元気にふるまうということもしないですし、基本常に自然体ですから(若くないからか、そういう無理をしなくなりました…)。私は、人に対しているときには、その人の心に向き合うようにしていて、それは意識的にというより、無意識にそうなるようです。なので、えみさんと向き合っているときには、えみさんの心に向き合って話しています。とか言うと、ちょっと気持ちわるいですね…。まぁ、とにかく無理せず力まず、しなやかに力強く生きていきますので、今後ともよろしくお願いします。

あやちゃん
ありがとう。年末から、この冬ばかりは風邪ひいてなるものかと、かなり緊張して、ずっとマスクをして過ごしてきました。この先もいろいろ大変なので、ずっとマスクしてうがいして手を洗って注意深く過ごすことになりそうです。ここで気を抜いて風邪ひかないように気をつけないとね。がんばります。また春になったら、ゆっくり会いましょうね。

最近の記事を時々拝見しては、書かれた言葉の端々から、その時々の心境が痛いほど感じることができました。

慎んでお悔やみ申し上げます。

心からお悔やみ申し上げます。
ブログ、悲しくてコメントできないまま読んでました。
お母さんとまた会えますよーー。絶対。
雪が降ったりしていますが、あったかくして過ごしてくださいね。まりさんやご家族が元気になれますように。

心からお悔やみ申し上げます。

ずっとブログを拝見していました。
どうコメントしていいのかわからず
ボクもコメントが遅くなってしまいました。

ボクには家族がいます。 正確には居ましたです。
家族を大切にしなかったのでバラバラになり離婚しました。 

今となってはどうにもならないのですが
家族を大切にすること、思いやりの心をもつこと、言葉を大切にすることを教えてもらいました。 
ありがとうございます。 

こうした形であっても お母様の生きた証は
色々な人に影響を与えているのだということを
忘れないで下さい。  感謝します。

にっくさん
ブログ読んでくださってありがとうございます。読んでくれた人の心に何かが生まれたなら、もう本当にありがたいかぎりです。

ほりうちさん
ありがとうございます。きっと会えるんだっていう考えは、最期のほうずいぶんと私の支えになりましたし、たぶん母の支えにもなったかな。最期の最期のお別れのときも、また会おうねって声をかけました。きっとどこかでね、会えますね。たとえ今世の記憶をなくしていたとしても。あるいは、それくらいがちょうどいいのかもしれません。

さとういわおさん
ずっと読んでくださっていたとのこと、本当にありがとうございます。そして、ご自身にとっての家族を想う機会としてくださったことを、心からありがたく思います。母の生きた意味を、私なりに、私が届けられる人につないでいけたらという思いがあったので、すごくうれしいです。

驚きました。自分のことでいっぱいいっぱいになってしまっていて、お母さまのことを今日知りました。
一番大変なときに反応できなくてごめんなさい。

遡って読ませていただきながら、はやしさん、お母さま、ご家族のみなさんの「強さ」とも違う「しなやかさ」のようなものを感じました。

「早すぎる」という言葉がどうしてもよぎってしまいますが、お母さまの去り方は、誰もが望む形であり、それでいて誰もが得られるものではなかった。
不謹慎かもしれませんが、理想に近い最期だったように思います。

私も、亡くなった存在とはいつかまたかならず会えると信じています。来世かもしれないし、もっとぜんぜん別のかたちかもしれないけど。絶対に「永遠のお別れ」ではありません。

そして、はやしさんとお母さまの愛情は絶対に消えることはありません。その気持ちが生まれたときの姿のまま、永遠に残っていくのだということ。それも信じています。

思いつくままの箇条書きのようなコメントでごめんなさい。
お母さまのご冥福を心からお祈りしています。
そして、はやしさん始めご家族のみなさま、どうかお疲れが出ませんように。

せんがんさん
ごめんなさいだなんて、とんでもないです。あったかいメッセージをありがとうございます。また遡って読んでくださったとは、ほんとありがたいかぎりです。
「しなやかさ」というのは、私のなかでとても尊いものと感じているので、なんだかとっても嬉しいです。
「理想に近い最期」というのも、なんとなく、私もそう思うところがあります。まぁ関わっている自分がいうのもなんですが、一つ気持ちを届けきれたかなという思いはありますし、私たちができるかぎりで守りきれたかなという思いもあります。こういう形での去り方は、彼女らしいなという気もしますし。
あとはやっぱり、またどこかで会えたらな、という思いが残りますね。
いずれにしても、私がこの過程で自分の内側に育んだあったかい愛情の深みを、もっともっと豊かなものに育みながら生きていけたらなと思います。
本当にあったかいメッセージをありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

お母様の御冥福をお祈り申し上げます。

59歳、本当にお若くして亡くなられて。
何と言っていいのか、まりちゃんがシッカリとしているのが読んでいて救われます。

坂西です。影ながら拝見しておりました。
コメントすることも出来ませんでしたが、はやしさんの言葉の端々から、お母様への思いがとても伝わってきて心打たれておりました。
謹んでお悔やみ申しあげるとともに、お母様のご冥福を心よりお祈り致します。お疲れのことと思いますが、どうぞお体ご自愛ください。

hirojkさん
ありがとうございます。はい、無理をせずに、しっかりと立ち、歩き続けたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

banさん
読んでくださっていたとは、ありがとうございます。自分が言葉にこめたものが、なんらか熱をもって伝わったのだとすれば、とてもありがたい気持ちです。感謝、感謝です。

お母様は、私と同い年ですね。
私のblogも、父が肺癌で後三ケ月といわれたときからはじめました。もうだいぶたちます。
元気な父が、余命宣告され、受け入れられず・・・
今私も還暦になり、こども達と、あとどのくらい一緒にいられるだろうか、いい母だったろうか、いい妻だったろうかと、かんがえます。
明日死んでもいいように生きるのは難しく・・・
お母様はいい人生をおくられましたね。

天南星さん、コメントを寄せてくださってありがとうございます。母と同い年ですか。
人の生というのは、この先がどれくらいあるのかわからないもので、そのうやむやな中を生きていくことを宿命とする難しさがありますね。
宿命は宿命として、生きているかぎりを大事に生きていこう、と思っています。
天南星さんも、どうか豊かな毎日を。

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