思うことを話せるということ
土曜の晩、仕事を終えて18時に会社を飛び出し、19時45分に病院到着。ここまでは水曜日と同じだった。しかし、水曜の晩は健やかな笑顔で迎えてくれた母の表情が、土曜日は一転していた。
痛みに苦しんでいるというのではない。ただ、薬を強くしたためか、またほとんどものを食べられない状態でまやくを服用し続けていることもあるのだろう、うつろな表情で、起きていたいのに、眠くて眠くてたまらないのだという。同じところにずっと寝ているせいもあるかもしれないが、今日、昨日、一昨日の区別も曖昧なところがあって、意識が混濁している感じがあった。
実は水曜の晩、病院の後に実家に帰ったところで、読むに耐えない医師の作成書類を父から渡されて目にしていた。今後予測される母の症状の変化についていくつかの記述があったのだけど、一番読んでいて耐えられなかったのは、後に「自分が誰だかわからなくなる」という記述だった。そんな恐ろしいことが母の身に起こるのかと思うと、本当にいたたまれない思いだった。ただそれでも今日明日のことではないようだったので、受け止めるのを保留にしていたのだ。
それが、木曜にいったん東京に戻って、土曜の晩に再び病院に来てみたら、一気にそれが差し迫ったような事態になっていて、とろんとした表情で一所懸命に目を開いて私に話しかけようとする母の手を握りながら、私はぼたぼた涙をこぼした。何度も何度もそれが握っている母の手にあたり、彼女は「あらあら、ボロボロ涙が落ちてくる」と言って微笑した。もはや、それで目をそむける余裕など残されていない。ぼたぼた泣きながら、私はしゃべり続けた。
日曜の午前中に病室を訪れると、母の意識はさらに遠くへ行ってしまっているように思えた。まだ、こちらの言っていることは伝わるし、自分で伝えたいことは、なんとか口を開いて二言三言話せるのだけど、とても、とても大変そうだ。それでも、力をふりしぼって話してくれたことを、とてもとても感謝している。
自分の心に思うことを、口にして話せるということは、とてもとても尊いことなのだ。それができる健康があるのなら、自らのその尊さを最大限に活かしてやるべきだし、他人のその尊さを、それがなんであれまずは受け止めてみることを当たり前としたい。
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