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2011-02-22

拡散と収斂

今日取引先との打合せの席で、「hysさんは、企画を考えるときの手順にパターンのようなものがありますか」というような質問を受けたので、いや、さほどないなぁと思いつつ、パターンパターン…と探してみたところ、「確認して、拡散→収斂」という流れはあるなと思い、そう答えた。

抽象化しすぎていて、何かを言っているようでいて何にも答えていないじゃないか!レベルに到達しかかっているけれども、つまるところ、これくらい抽象度を引き上げないと、パターンとして言い表すことができないくらい、脳内の企画工程はパターン化されていない、ということなんだろう…。

ほとんど回答の意味をなしていないとみなす方もあるだろうが、答えとして正しいものは正しいのだから致し方ない。これ以上具体化しようとすると、今度は嘘になってしまう。と、開き直って終わっては意味がないので、とりあえずこれの意義を書いておく。2ステップしかないし、当たり前といえば当たり前のことなのだけど、自分なりに納得しながら今日しゃべっていたのでメモを残す。

企画をする際、要件を確認した後に、拡散工程を踏まず、とにかく早々決着をつけようと収斂に向かうと、だいたいマンネリ化した企画になり、前のものをいかに使いまわすかというふうに起点が本質からずれてしまい、怠惰な企画になる。という懸念がまずある。

一方、拡散工程を踏むと、AもBもCも考えた上で、何らかの根拠をもってAがいいなって絞り込んだ企画をもってお客さんのところに提案に行くことになる。なので、客先でプレゼンして、先方から「BとかCとかってやり方はどうでしょう」って話を持ちかけられたときにも、「私もそれ考えてみたんですけど、こういうことも考慮すると、やっぱりA案かなと思いまして、どうでしょうね」って、議論を深堀りできる。

よーく考えてもっていった企画というのは、だいたい、お客さんのところでいただく質問や意見が自分の思考プロセス・思考範囲内の内容なので、自分がどういう思考プロセスを踏んでBでなくAにしたかを説明することで、より濃密な話し合いができるし、信頼関係もぐっと深まる。

考えたけど企画に取り込まなかったものが、常にプレゼンの場で浮き彫りになるわけじゃないけど、別にプレゼン対策のために拡散工程を踏んでいるわけじゃないから、それはそれでいい。単純に、自分が考えられるかぎりのより良い企画をもっていきたいということであって、そこにいろいろ付加的なメリットもあるよという話だ。

そんなわけで、拡散→収斂の道筋をたどるというパターンは、概ねやっているなぁという気がするのだけど、その拡散時のメモ書きは相当に汚くて見られたものではない。読解可能と不能のぎりぎりラインだ。毎回、そこから脱して企画書に到達したときの爽快感といったらないが、そこを脱するまでのこんがらがった感もない。

もう少しスマートな頭だったら、道のたどり方も違うのだろうけど、まぁそれも一つ人生の散歩道ということで、お茶を濁しつつ頑張る。とりあえず、思いつくこと全部文字にして書き散らかすというのは、私にとってとても大事な工程だなと改めて思った。あと、一対一で人とお話しするのは、やっぱり有意義で大好きだ。

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