おばあちゃんが来た
木曜日は振休をとり、水曜の晩は定時あがりして母の病院に向かった。会社から病院までドアツードアで1時間45分とみて、18時に出れば19時45分には病室に入れる。面会は20時まで。15分会えるなら迷いはなかった。おおよそ読み通りに病院の最寄駅に着き、そこまで妹が車で迎えにきてくれた。
病室に入ると、母は穏やかな様子で私を迎えた。病院の緩和治療のおかげで、緊急入院した前日に比べると、だいぶ痛みから解放されたようだった。
入院先の病院にはいくつかの病棟があるけれど、母のいる病棟は面会時間を気にしないでいいと言う。20時過ぎまでいても構わないし、家族なら泊まってもいいらしく、家族控え室もある。キッチンもあるし、寝ながら入れてもらえるお風呂もある(それは面会者用じゃないけど)。とにかく、そういう病棟なのだった。
とはいえ20時を少し超過して、滞在時間30分ほどでその日は父と妹と私で家に帰った。帰りに回転寿司に寄ったら、前日も父と妹がおんなじ格好しておんなじ時刻にやってきたらしく、お店の人が憶えていた。帰り際に「また24時間後に!」と威勢よく言われた…。割引券もくれた。
翌日は父と妹と私で、午前中から病院に行った。するとちょうどお昼時に、おばあちゃんが来た。母のお母さんだ。おばあちゃんは長く、母の姉一家と一緒に暮らしていたのだけど、痴呆がだいぶ進んで、このままでは介護している母の姉夫婦のほうが参ってしまう状況となり、数年前から施設で暮らしている。もう90歳になるだろうか。
この日も、伯母が施設に行ってみて、おばあちゃんに「どうする?会いにいくかい」と訊いてみないことには、行く気になるかどうかわからない状態だったということで、母を含め病院にいた私たちには突然の訪問となった。連れてきてくれた伯母とおばあちゃんを部屋の外まで迎えにいき、挨拶もそこそこに、おばあちゃんの車いすを押して病室に案内した。
母のベッドの前まで行き車いすを止めると、おばあちゃんはたどたどしくも一人で車いすを降りて、横たわる母の手を握った。「かわいそうに…」「どこが痛いの…」と泣きながら、しばらく母の手を握っていた。
母はおばあちゃんの手を握り返して、「本当は私がお母さんを守ってあげなきゃいけないのにね、ごめんね」と泣きながら謝った。おばあちゃんは、母のふくれあがったおなかに触れ、むくんだ足をさすった。私の視界に映っていたのは、ただただ、わが子を慈しむ一人の母親の後ろ姿だった。痴呆なんて、なんのそのだ。
その病院にいる1時間ほどの会話のなかでも、おばあちゃんが同じ質問を繰り返すことは何度かあったけれど、たとえここでのことをおばあちゃんが忘れてしまったとしても、母にとっても、おばあちゃんにとっても、この今の時間はかけがえのないものなのだと思った。人間はいつも、今を生きているのだ。思い出を残すために生きているわけじゃない。
その後、母のお昼がやってきて、伯母が作ってきてくれた細巻寿司を食べながら談笑した。おばあちゃんは母がベッドでぐったりしている夢をみたらしく、しっかりお話しできる状態でほっとしたと言っていた。
おばあちゃんは、母の病気のことをすべて知っているわけではない。病気をしたので、会社を辞めて、今は入院しているとしか知らないから、「きっと良くなるから」「あと少しの辛抱だから」と優しく母に声をかけた。
私が母の手から腕にかけてハンドクリームをぬり、軽くマッサージをしていると、おばあちゃんが「こんな子どもたちに囲まれてねぇ、幸せねぇ」と言った。母がそれに同意した。母のさいごに、私が何かできるとしたら、まさしくそれしかなかった。自分はこんなに愛されているのだと、何の疑いもなく満たされた気持ちで終えられること。それだけは、とにかく全うしたい。
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そっかそっか。おばあちゃんも娘に久しぶりに会えて嬉しかったと思うよ!お母さんは今、周りの人間から愛されていることを、しっかりと感じ、たくさん受けとめているね!
病気もなく元気な時には周囲の人の愛を感じる機会は滅多にないのが現実だけど、こうしてお母さんはいっぺんに沢山の気持ちを感じているね。
投稿: かず~ | 2011-02-05 09:12
かず~さん、どうもありがとう。
そうだね。みんなの愛情が結集していて、私もそこから栄養をもらっているような気がする。たくさん、たくさん、あったかい気持ちを送って包んであげたいね。
投稿: hysmrk | 2011-02-05 23:29