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2011-01-02

母帰ってくる

30、31日と、日中は父・妹・私の3人で母の入院先に行き、晩は兄も病室にやってきて、年末のレコード大賞やら紅白歌合戦をBGMに、5人でおしゃべりして過ごした。31日は病院のご飯が年越しそば、私たちもインスタントのカップそばを1つ持ち込んで紙コップに分け、皆でそばで乾杯した(こういう類は全部父の提案)。久々の家族全員集合で、父も母も幸せそうな顔をしていた。

大晦日の晩、皆の帰り際に母が「明日調子が良かったら家に帰りたい」と言った。その前から医師の外泊許可は出ていたのだが、薬を飲み始めて日が浅く、まだその反応が不安定だったので様子をうかがっていたのだ。みな翌日に母が家に帰れることを祈って、その日は病院を後にした。母を残して病院を去るのは、慣れることなく毎回目が熱くなり、息が苦しくなる。

元旦の朝、母から家に帰れそうだと連絡があり、午前中に父・兄・妹が迎えに行った。私は、大晦日から泊まりに来ていた義姉&甥っ子たちと留守番し、掃除をしたり部屋をあったかくして待った。お昼過ぎ、母が家に帰ってきた。ゆったりとした足取りながら、痛みを抱えた様子もなく、おうちに着いてほっとした表情を見せた。元日の午後は甥っ子2人のやんちゃで大賑わい、晩に兄一家が帰ると今度は心地よい静けさがやってきた。

そんなわけで、お正月三が日は母と家で過ごしている。とにかく安静第一、体調の変化や食事、薬の時間、部屋や浴室の温度、風邪にかからぬよう慎重さは欠かせないが、そんな非日常の緊張感は何てことない。とにかく家でゆっくり母が過ごしているのはこの上ない喜びだ。おかげで父も、元旦の晩は久しぶりにゆっくり眠れたようだった。

そして2日。父は一家を代表して参拝に出かけ、兄は家族と参拝へ。母と妹と私は家でのんびり過ごした。今日は天気がとても良くて、居間の大きな窓のブラインドごしに射し込む陽光もかがやかしいばかりだった。

母の体調も安定していて、昼下がりに母が「写真を撮ってほしい」とお化粧して居間に入ってきた。その、部屋に入ってきた母の笑顔が、本当に美しくて、見とれてしまった。太陽の光を自然照明に母の写真を数枚撮り、その後妹と私も交じってセルフタイマーで数枚、母と私、母と妹で数枚。静かで、やさしいひと時だった。

一段落すると、母は大窓に向かって外を眺め、「本当に天気がよくて、いいお正月ねぇ」と言った。そして「こうしていると、自分が病気だなんて信じられないわ」と言った。本当にそのとおりだと思いながら、私はただゆっくり、「うん」とうなずいた。

そう思えるだけ自然体で過ごせていることを嬉しく思う反面、それが今欠かさず服用している劇薬によって支えられていることも真実で、そういう真実を背景に陽光を浴びてきらきらしている母の立ち姿を眺めているのは、なんともいえない気分だった。本当に、きれいだった。

その後、しばし母と妹と私でおしゃべり。父のラブレターの話になり、私たちが、父の日々の奮闘ぶりをあーだこーだ話すのを、母は終始幸せそうに笑って聴いていた。家に帰ってからの調子はまずまずで、やはり慣れた家で、お風呂にもゆっくりつかれる環境のほうが良さそうねと話す。何より痛みがない、あるいは軽い環境づくりを第一に、極力家で気を楽にして過ごせるよう支えたいと思う。

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コメント

はじめまして。
「連塾」で検索して以来、時々拝見していました。

年末からの一連の記事を拝見して、涙が止まりません。
私も同年代ですので、いつ何があるかと、常々不安を感じています。
余命宣告は残酷ですが、優しい心を通い合わせることが
できる時間をうらやましくも思います。
毎日を優しい笑顔で過ごせることを祈っています。

ecoさん
なんてありがたいコメントでしょう。本当に嬉しいです。ありがとうございます。こんなメッセージをいただいたのは、このブログ始まって以来では…。
同年代の方なんですね。親というのは、この歳になって改めてその存在の大きさを実感させられますよね。私も、ここしばらくなかった不思議な時間のなかに両親とともに身をおいているような気がします。後悔がないように、とにかく貴重な時間を大切に過ごしたいと思います。
今後ともぜひ、気が向いたときにこちらに足を運んでいただければ幸いです。本当にありがとうございます。

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