余命宣告
昨日ここに文章を書いた後に、父から電話があった。22時半頃、普段なら父はすっかり眠っている時間だし、ここしばらくはほとんど眠れていないようだったが、それでも床について横になるようにはしていた。夜中の電話だった。
私は、先週土曜の日中に実家に戻り、父と母と一晩過ごした。土曜は比較的落ち着いていたし、父とも母ともたくさん話をしたが、翌朝になると母の体調がだいぶ良くない様子で、母ができれば入院できたほうが安心だというので、検査日を翌日に控えていたが3人で病院に行った。紹介先の病院だ。たまたま担当セクションの医師がいるというので、だいぶ待ったがいくつか検査をして、前の病院の検査結果も踏まえて診てもらうことができた。
前の病院の検査時点で、ガンだとは宣告されていた。他所への転移があるとも言われていた。けれど、その程度は不明瞭だったから期待も十分に残されていた。しかし日曜日、専門の病院に足を運び、腕の良さそうな専門医から、ガンはかなり進行していて、摘出手術ができる状態じゃないと言われ、とにかく受け止めるのがきつかった。ただその時も、完全に先が断たれたというのでもない言い方だったし、もう少し検査をして、それに応じた作戦を練って、緩和させていくことはできるかもしれないという感じだった。
すぐ入れる部屋はあるというので、母の希望を受けて急遽その日のうちに入院することにした。入院の手続きが一段落して、母もベッドで落ち着いたところで、父と私は家に帰った。タオルやら下着やら洗面道具やら、必要なものを家中から集めてカバンにつめた。父がとにかくしゃべり続けながら、あれもこれも持っていってやろうと動き回るので、これは1つでいいとか2つあれば十分だとか言いながら一緒に整理して、明日やることリストも整理して、一段落した。
私は当初日曜の日中に帰る予定だったのを、晩の予定をキャンセルして遅くまであれこれやっていたので、父は「ありがとう。おかげでいろいろ準備できた。一人じゃなぁ」と言った。その週末実家に帰ってきて、本当によかったと思った。少なくとも、病院から家まで父を一人にはせずに済んだ。
月曜朝に東京に戻ってもよかったけど、父も少し一人になりたいかもしれないし、その日の深夜に妹が遠方から実家に戻る予定になっていたので、私は一旦東京に戻ることにした。駅で兄と妹に電話し、父に優しくと話した。涙が出た。
実家に戻った妹と、兄も翌朝合流して、月曜日は父と兄と妹、それから近くに住む母の姉が病院にお見舞いに行った。4人が病院に着いたのは午前中だったが、医師の診察は夕方になり、父と妹、そして母が医師の話を聞くことになった。
父が昨晩くれた電話は、その報告だった。私が立ち会った日曜日からさして検査結果の情報が増えたわけでもないだろうし、これからいろいろ検査をして作戦を練る…という段取りだと思っていたから、最初は今日あったことのざっくりした報告だと思って冷静に耳を傾けていた。
しかし、父が途中で、言葉を詰まらせた。そうして「今、一所懸命、きちんと伝えようと思って、先に紙に書いて、それを読んでいるんだけど…」と言って、また言葉を詰まらせ、「ごめんな」と謝った。しばらくして続いた言葉は、ガンは数がたくさんあって、大きいのもいくつかあって、もうかなり進行しているから、摘出手術はできないし、抗がん剤治療や放射線治療をしても、身体のほうが参ってしまう。ガンの治療法は大きく言ってこの3つだというから、打つ手がないことになる。あと残るのは「そのまま」という選択で、そのままでもって2〜3ヶ月、抗がん剤治療などしてうまくしてももって半年と言われたという。
ひどいなぁ。まだ59歳だ。がん検診も毎年欠かさずやっていたんだというのに、なんで急にこんなことになってるんだろう。母が具合が悪いと12月15日に最初の病院に行ったときなど、胃薬を渡されたという。つい先日のことだ。
昨日の晩まで、父と母の感情を入れ替わり立ち替わり持ち込んでいた心の器に、私の感情がどっと押し込んできた。数ヶ月先に、もう二度と会えなくなるのかと思いあたってしまったら、そこから抜けられなくなってしまった。またいつか会えるのだろうか。
父は母より7歳くらい年上で、また女性のほうが平均寿命も長いから、当然自分のほうが先に、と思っていて、そうなっても母が困らないように入念に準備してきたのだ。まさか、逆の事態におちいるなど、考えてもいなかった。父も私たちも、何の心の準備もできていなかった。大きな病気をしたこともなく、いきなりこれだ。本当にひどいなぁとしか、言葉が出てこない。とにかく、私は守らなきゃいけない。できることが限られているのは百も承知で、それでもたくさん感謝してる分、何十年も守り続けてくれた分、今度は私が守らなきゃいけない。
さっき、とにかく気持ちを伝えたくて、母にメールを送ったら、今、母から返事がきた。「ラブレターありがとう。 私も愛する子供たちに囲まれて幸せです。」しなやかな強さをもつこと、この大切さを教えてくれたのは、母なんだろうと思った。
とってもつらいね。掛ける言葉も見つけられないけど、素敵なご家族だね。どうりで林さんも素敵なはずだよ。穏やかな時間が長く続きますように。
投稿: あや | 2010-12-28 14:49
余命宣告後にはるかに長く生きた人だっているから。
そんな気休めな声がけしかできないけどね。
本当に酷いよね。
投稿: おかもと | 2010-12-28 15:28
なんと書いて良いかわかりません。。
まだそんなお若さで、、健診も毎年受けていらしたのになぜ、、という気持ちです。。
hysmrkさんが、ここに気持ちをぶつけて書かれることで、かろうじて心を保たれているのでは、、と思います。。
何もお言葉をうまくかけてあげられませんが、、しっかり読むことで hysmrkさんの辛さ、悔しさなどぶつけられた気持ちを受け止めます。ですのでいつでも心の内をここに書いてください。
投稿: ベル | 2010-12-28 23:59
おかもとさん、あやちゃん、ベルさん
こんなとき、かける言葉ってすごく難しいですよね。そんな中、言葉をかけてくれた、その温かさに心から感謝しています。メッセージありがとうございます。
昨日から実家に戻ってきています。時間を大切にします。
投稿: hysmrk | 2010-12-29 09:21
辛いね。どんな言葉をかけても、私たちが辛さを和らげる事はできないと思いますが、今からでもお母さんに親孝行してあげてください。そして、何とかお父さんの心の支えにもなってあげてくださいね。
投稿: saltpan | 2010-12-30 00:12
saltpanさん
メッセージありがとうございます。ほんとに、できることのかぎりを身にしみながらではありますが、みんなで戦っているんだという思いを少しでももってもらえるように支えていきたいと思います。おかげさまで、父と母の仲も、雪解けしてきました。
投稿: hysmrk | 2010-12-30 09:30