純粋な興味
久しぶりにMBTIネタ。11月にMBTI認定ユーザー対象の大研修会というのがあって参加してきた。後日、そこで感じたことをユーザー向けニュースレターに掲載するので原稿を書いてほしいという依頼があってお受けしたのだけど、原稿を書いて、出す前に依頼書を読み返してみたら、大研修会の中でも午後のセッションで得た学びについて原稿を書いてほしいという依頼だったことがわかり、もう1本書いて出した…。
でも、初めに書いた原稿のほうが自分にとっては参加した意義を感じているんだよなぁということで、それはここに残しておく。文章はちょっとラフに変えるけど、気持ちはそのままに。
園田先生が会の締めくくりに話されたことが一番の印象に残っている。技術も方法論も大事。だけど、“目の前にいる人に対する純粋な興味を持ち続けること”が何より大事なのだと。最後にこれをもってくるかぁと感服。というか、はっとさせられた。人格者だなぁと尊敬する人は、こういう押さえをほんと欠かさない。
トレーニングに参加したり、関連する文献を読んだりしていると、専門的知識・スキルを身につけようと頑張った分だけ、その人よりその人のことがわかるような錯覚に陥りやすくなる、その危険性に対して自分が無防備だったことにはっとさせられた。
確かにMBTIの理解は簡単なものではなく、認定ユーザーでない人に比べて、ある面では人間の心に対する理解の深さを持ちえたと言えるかもしれない。けれど、どんなに専門性を磨いても、本人の心は本人にしかわからないのだという前提を忘れてはいけないし、本人より自分のほうがよく見えているといったおごりに振り回されてはいけない。
その当たり前のことを阻む落とし穴が、より高い専門性を身につけていく過程にも潜んでいることを自覚した。そういう意味で、今後経験と学習を積み重ねていく基盤固めができたと思う。
河合隼雄さんが、著書「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」に書かれた一節ともリンクした。
われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。
太陽や雨のところを、「人の心」に置きかえて読み返してみる。
最後の「できなくなった」を「困難になった」に読みかえて、困難と知り、なお乗り越えていきたいと心に思う。素の私がもっている「目の前にいる人に対する純粋な興味」、そして「敬意」を大切に持ち続けて、今後も人の心に関わり、人のキャリア支援に仕えていきたいと思う。
« 多様性の考察 | トップページ | 父と母の心のうち »
コメント
« 多様性の考察 | トップページ | 父と母の心のうち »
>最後の「できなくなった」を「困難になった」に読みかえて、困難と知り、なお乗り越えていきたい
えらいなあ…私もそう思いたいけど、挫けてしまったことが沢山あるよ。それから、素敵な一節を教えてくれてありがとう。本も読んでみる。うまく言えないんだけどね、体験ってすっごい大事だと思うんだ。言葉にしてしまうと平凡でありふれたものかもしれないんだけど、だからこそ他の人に継承しづらいというか。
投稿: あや | 2010-12-16 03:18
あやちゃん、ありがとう。
私も全部に読み替えはできないと思うけど、自分が専門とするものについてはね、知らぬうちにおごりにコントロールされていたってことがないように目を配ってなきゃって思います。
体験はほんと大事だよね。体験しないとわからないことがたくさんある。体験と、それを応用して他のことにも展開できる想像力が大切だよね。
投稿: hysmrk | 2010-12-16 07:01