成長と拡張のはざま
前回から1週間と間をおかずに催された第三回インタラクションデザイン研究会に参加。テーマは「技術とデザインの身体性」、登壇者は慶應義塾大学の山中俊治教授と東京大学の暦本純一教授。私は講演テーマについて門外漢なのだけど(専門的な人がたくさん聴きにきていた…)、お二人の話を聴きながら考えた個人的関心事をのらりくらり書く。
暦本先生が、参加者からの質問に応える形で「身体に機能をつけることによって、自分は退化する可能性がある」というような発言をされた。私にはそのことが結構な関心事だったので、「おぉ、きた!」と、これにはすごく反応した。
山中先生も講演中、アスリートの義足のデザインを手がけているという話の中で、「義足をつける場合、実は1本より両足を義足にしたほうが速く走れる」というような話をされていて、こちらも「やはり…、ふむむ」と心に絡みついた。
これらを極端に推し進めて考えていくと、将来どこかの時点で「もう、素の身体はいっか」というパラダイムシフトが起こるのだろうかと思い至る。そして、今もすでに身体の“部分”に対しては、こういうことが浸透しだしているのではないかと。
例えば顔。化粧して厚塗りすれば、素肌は荒れる。それでも厚塗りするという選択は、もう当たり前にあるのだろう。髪にパーマ、耳にピアス、背中に刺青。「素の身体の“一部”が欠損・劣化・退化しても、他に価値をおいてそちらを選択する」という行為は、日常にあふれているように思う。背中に刺青はそうでもないか…。
例えば歯。歯が悪くなると、抜いてさし歯にする。これが2本3本…と数が増えていくと、いっそ総入れ歯のほうがメンテナンスが楽ということになる。健康な歯も全部抜いてしまえと(いや、わかんないけど)。また、嘘か本当か知らないが海外の芸能界?で、新人を売り出す前に全部歯を抜いて、美しい総入れ歯にしてしまうという話も聴いたことがある(もう十数年前の噂話だけど)。
こう考えると、身体の“部分”においてはすでに、事故や病気で悪くしてしまった/なくしてしまったから、代わりに人工物で補うという範疇ではなくなっている。ものづくりの観点でみると、発端は「なくなったものを、ある状態に戻す」という「修復」目的だったとしても、一旦それが世の中に存在してしまうと、人はそれに留まらず、「高性能化」「多機能化」「美容」「予防」と多目的にアイディアを練り、ものづくりを発展させていくのが必然だと私は思う。人はその応用範囲、可能性を考えずにいられない創造的な生き物だと思うから。
それが人の欲求に対応するものなら、その流れをビジネスが加速させる。老化しない、古びない、悪くならない、病気しない、怪我しない、痛みがない、面倒がない、より機能的な、より性能が良い、より美しい。そういう製品・サービスが生み出され、人々が身体の一部を取り外し、それを装着していく。それが浸透して時間が積み重ねられ、時間が時代というくくりになれば、文化的意味あいをももってくるのかもしれない。
こうして世の中が基本「ある部分に起こり、さまざまに応用され、全体へと多目的に広がる」巡りをしていると考えると、これは「身体を人工物に総入替」みたいな果ても、ありえないことではないよなぁと。今すぐではないし、全人類にってことでもないだろうけど。
「生身の素の身体」より、それを取り外してでも人工物を組み込んだ「外部装置込みの自分」の価値を高めることに重きをおく、という考え方が一般化される日。身体の一部ではすでに始まっているのかもしれないけど、それが身体の大半に移行する、その頭の切り替えを迫られる事件の一日が、自分が生きている間にあるのかなぁと。
その流れの中のどこかで「待った」をかける一つが、良識だったり倫理観だったりするのだろうけど、良識も倫理観も絶対的・普遍的なものじゃないから、どこまでが食い止めるべき、踏みとどまるべきことで、どこまでが時代に呼応して変化すべきことなのかって判断は、人によって答えが違って当然。違って当然なのに、人が判断するほかとりあえずなさそうでもある。この議論の数々に立ち会って生きるというのはなかなか意味深い。
もう一方で、何が人間として重要な基礎体力であり続け、何は技術発展と引き換えにおのずと退化を厭わなくなっていくのかというのも気になる。記憶力とか視力とかは退化過程にあるのだろうか。ゼロは困るが重要度は低まっていくのかな。長期的にみて、何が大事であり続けるのか、その見極めはかなり難題にして重大。そして何が新たに大事になっていくのか。
私は、人としての良識や倫理観を尊いものだと思っている一方で、古い考えに不用意に固執したくないと思っているし、無意識にそうならないように比較的注意深く生きている。何が基礎体力であり続け、何は時代によって変化するものなのかも、表層にだまされずに見極めていきたい。新しい時代の変化を快く受け入れながら、普遍的で本質的な価値に、ずっと焦点をあわせて生きていけたらなぁと思う。でも極力「素の身体」がいいなぁ。って、ほんとうに極めて門外漢の感想文に終わります。
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