「わかる」を分ける
「わかる」と「できる」は別物という話は、以前withDというサイトに連載コラムを寄せていたとき書いたことがあるのだけど、「わかる」に限った話でも、いくつかの「わかる」の解釈を混同してしまっていることが少なくない。
日常的に使われる「わかる」を私なりに4分類すると、
- その存在を知っている(名前を言える)
- その名前が意味するものを知っている(概念を述べられる)
- それをルールにのっとって使える(使い方をデモンストレーションできる)
- それを使いこなせる(それを用いて問題解決にあたれる、新しい価値を生み出せる)
みたいな感じ。
例えば「Twitter」。「最近流行ってる、つぶやいてどうのこうのっていうの。なんだっけ?三咲ちゃん、わかる?」「あー、ツイッターでしょ」「そう、それそれ」という会話で、三咲ちゃんは確かに「わかる」を成しているわけで、これが1番目の「その存在を知っている」。存在は知っているけど名前を言える程度の知識でも、1番目の「わかる」は成立させることができる。
続いて2番目の「その名前が意味するものを知っている」は、「で、Twitterっていったい何なの。三咲ちゃん、わかる?」に対して、これの説明(性質、特性など)が口頭なり筆記なりで述べられる状態。説明できればいい。使えるかどうかは関係ない。ただ、1番目の「その存在を知っている」は前提条件になるだろう。1番目の知識を前提に、2番目が成り立つ関係。
3番目の「それをルールにのっとって使える」は、「三咲ちゃん、ねぇ、Twitterわかるんだよね?会員登録ってどうすればいいの?ログインするのは?どうやってつぶやくの?フォローするのってどうやるの?」に答えられるか。やって見せられるか。ここでは、2番目のような説明ができなくても、3番目の「わかる」が成立させられることに注意したい。
4番目の「それを使いこなせる」は、例えばクライアントから「美咲さん、Twitter詳しいんですよね?実は上司からTwitterを活用したプロモーション施策をなんか考えろと言われていて。まずはTwitterわかる人連れてこいってことになったんですけど、一度ご来社願えませんか」と。こういう「わかる」の使われようもある。「美咲さんはTwitterのことよくわかってるよ」みたいな。美咲ちゃん、実はデキル女であった…。
この辺で使われる「わかる」は4番目。何らか問題が起こっている状態で、Twitterを使いこなし、その解決にあたれているとか。インプットの充実・効率化、人脈形成・コミュニケーション活性において、ほかのサービスでは得がたい価値をTwitterで生み出しているとかかしら。この「わかる」を実際に達成するためには、3番目の「わかる」はもちろん、1、2番目の知識も前提条件になってくる。
最後のは、冒頭で挙げた「わかる」と「できる」の区分けでいくと、完全に「できる」の話に入っちゃっているのだけど、日本語で「わかる」を使っていると、「できる」領域に踏み込んでいる「わかる」の使用が少なくないなと思う。上の4領域、全部「わかる?」という日本語でまかなっちゃっているケースが身近に結構ある。
ゆえに、発している側の「わかる」と、受け取っている側の「わかる」が、意味として大幅にずれているということも起こる。うまく応えられないと、受け手は「わかるって言ったじゃな~い」と思うが、「わかる」と言ったほうは「いや、わかるとは言ったけど、そこまでわかるとは言ってないよ」と思う。
ガニェさんの提唱する「学習成果の分類」では、上2つは「宣言的知識」、下1つは「知的技能」と区分され、別物として扱われている。これは非常に理に適っていると私は思うのだけど、このまったく別物の2種類「宣言的知識」と「知的技能」を含んで、いずれにも「わかる」という日本語を適用していることが、時に混乱の素になるのだと思う。
いちいち日常生活で意識する必要はないけれど、仕事場面で「わかる」を使うときなんかは、自分が何をわかり、何がわからないのか、少なくとも上2つ領域か下2つ領域かの2分類には整理して捉えておくとトラブルが少ないし、次の学習計画も立てやすい。
自分の「わかる」をいくつかに分けられるというのは、それこそが「わかる」を分けられる→「わかる」をわかる、ということであるからして。あるテーマについて、何がわからないかを説明できたとき、その手前までを「わかった」と言えるのではないかというわけわかめ。
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