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2010-10-10

受託型体質

自分の仕事の役割については、原則不要論を唱える立場を基点として仕事をしている。別に悲観的にそう捉えているわけでもないし、主体的に仕事していないというのでもない。たぶん死を意識することで、より意味のある人生を送ろうとするのと同じスタンスで、最上の仕事をするためには、「私の仕事ってなくても成立するよね、じゃあなんでやるの?」ってところを起点にものを考えたほうが、逆に健全な発想ができるという感じだと思う。あえて言葉にするなら。

言い方を変えればこれは、私のような部外者が仕掛けなんぞ作らなくても、やりたい勉強は自分でやるさという人を、サポートする対象者の基点においているということだ。こういうスタンスでいたほうが、人の可能性を信じる気持ちが前提になっていて気持ちがいいし、高レベルな学習支援にも対応できるようになるし、実際そこを軸にしていかにその人の学習をサポートするかという立ち位置をとらないと、本質的な学習など成立しないのではないかと思う。馬を水際まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないのと同じで。

個人的に、そうまでして水を飲ませたいとも思わない。何かを学びたい(あるいは組織としてこういうチームを築いていきたい)という当事者の展望なしに、頼まれてもいないのに「さぁ、立ち上がって!こっちにすばらしい世界があるから」と何かを訴求するエネルギーというのは、ないんだよな。人それぞれ、組織もそれぞれ。生き方がいろいろあるからなって思ってしまうので、ある学習テーマが「絶対的に重要なのである」「これは万人が共通して習得すべきものなのである」と働きかけたいテーマもエネルギーも、実はこれといってない。その熱は都度、先方の課題に応じて講師にゆだねているのかもしれない。

学習方法の面からみても、例えば学習の専門家として「あなたのやっている学習の仕方より、こうやって勉強したほうが能率的だよ」って方法論をもっていたとして、必ずしもそれに切り替えるのが良い選択とは思わない。一つの学習テーマでは回り道に見えたとしても、当人が試行錯誤しながら習得していくこと、それにはその価値があると思うし、それを短絡的に取り上げるようなアプローチは(そもそもそんな権限はないのだが)ちょっと違う気がする。もちろん当人の悩みが能率的な方法論を知りたいということであれば、この限りではないが。

というわけで、絶対的な推奨テーマをもたないという意味では実にはかない私のエネルギーなのだけど、当事者から相談をもらって、なるほど、そういう状況ならこれをこんな方法で習得することで明るい未来が手に入れられますねっていう対象者と文脈が見えてくると、それに適したコンテンツを提供したくなる。

こんなことで困っているとか、こういうふうになりたいとか、それ自体は漠然としていていっこうに構わないのだけど、何かしら変えたい、変わりたいという欲求のわいているところに仕えたいという思いがある。困っているのだ、前進したいのだという人に対面すると、そこでぐんとドライブがかかる。そういう体なんだな、と思う。ここ数年クライアント仕事中心にやってきて、すっかり受託型体質になったなぁと思う(受け身という意味ではない)。

ともあれ、自分の仕事の役割については、常に一番に自分自身が懐疑的な視点をもっていたいなと思うのだ。他の誰より批判的に、あなたの今の仕事って価値あるの?って問いかけながら、意味のある仕事をしていきたいなと。そうして、あ、きちんと結果が出せたなと実感できたときには、よーしよしよしと自分をねぎらってやって、生きながらえていきたいわと。

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コメント

子育てで悩みまくってた時に、
育児とは木の枝を自分の思うように伸ばそうとすることではなく、
ただ枝が伸びて行くのを邪魔するものを取り除いてやることだ、
というアドバイスを知って、ものすごく腑に落ちたのを思い出しました。
自分のスタンスを見直すのってほんと大事ですよね。
「おおごと」でもあり「だいじ」でもあるという。

なんて示唆に富んだコメント!noriyoさんの、文章を読んだときのシナプス活性具合?にまず反応してしまいました。頭のなかを宇宙旅行してみたいです。
何かを見たり聴いたりしたときに、自分のなかにどんなことが思い出されて、何と関連づけて何に導かれるかって、もちろん人によって違うわけで、noriyoさんのなかでこんな話に発展したのかーって思うとなんか感慨深かったです。
って全然関係ない話を書き連ねてしまいましたが、「ただ枝が伸びて行くのを邪魔するものを取り除いてやること」ってまさしく。でもこれがまた難しいんだろうな。何を邪魔するものと位置づけるかも結局自分の分別になるから、見直し続けるっていうのがすごく「大事」なんでしょうね。子育てするというのは、だいじでおおごとの最たるしごとだろうな、と思います。

「変わりたいという欲求のわいているところに仕えたい」、にすごく共感します。相手が何らかのジレンマを抱えていたり、目的地は分かってるのに進めない、みたいな状態のときに、何かしてあげたいという気持ちになりますよね。

ちなみに林さんは今、企業の新人育成かなにかの研修プログラムをつくってるんですか?

時間をおいて自分の文章読み返してみたら、これって別に受託型体質ってもんでもないかと思ったのですが(笑)、ともあれ「変わりたいという欲求のわいているところに仕えたい」というのはぶれないところ。共感いただけて嬉しいです。

今は、クライアント仕事だと新人ではなく既存社員向けの研修をいくつか作っています。あとクライアント社員も参加する個人向けの講座をいくつか。新人育成はやっぱり春が多いですね。ご質問に十分に応えられているかあれですが。

とてもよく分かる。素晴らしい資質だと思う。歩みが遅くて申し訳ないが、この考えに共感できる人をたくさん見つけ出したい。そうして、その「体質」が快適に感じられるであろう環境を作りたい。

iketaniさん、コメントありがとうございます。
iketaniさんの取り組みには、実は個人的にも非常に期待しています。その体質が欲する環境というのがどんなものなのか、実は私もまだイメージを具体化できていなくて模索しているような感じです。
ぜひ末永くおつきあいくださいませ。

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