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2010-10-01

偶然と才気

「セレンディピティ」という言葉を最初に目にしたのは、外山滋比古さんのロングセラー本「思考の整理学」だった。ここでの意味は「偶然」の力にフォーカスがしぼられていた印象で、今日「あれ?」と思って読み返してみても、やはりそうだった。

「思いもかけない偶然から、まったく別の新しい発見が導かれること」をセレンディピティとして紹介している。

例えば、兵器の開発目的で遠くにいる潜水艦の機関音をキャッチしようと実験を重ねていたときに偶然イルカの交信音をとらえて、そちらが一挙に研究課題として注目を集めた話とか、探し物があってあちこちひっくり返していると、今の探し物は出てこないのに、前の探し物がひょっこり出てくることがあるとか。

人間は意志の力だけですべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がときにはきわめて重要である。セレンディピティは、われわれにそれを教えてくれる。

こういう話で読者をうならせる。うむうむ。で、今日なぜ「あれ?」と思ったかといえば、別の本で「セレンディピティ」という言葉に再会して、ちょっとニュアンスが違うな、と思ったから。別の本とは小田博志さん「エスノグラフィー入門<現場>を質的研究する」で、「偶然と才気」の2つにフォーカスがあたっていたのが面白かった。

ここではセレンディピティを「偶然と才気によってさがしてもいないものを発見する」能力としている。

そもそものセレンディピティという言葉の誕生は、「セレンディップの3人の王子たち」という物語にあるらしいのだけど、この話もまさしく「偶然のみならず才気あってこそ」という内容だった。

(だいぶ話をはしょるけど)3人の王子たちが旅の道中で、はぐれた1頭のラクダを見なかったか尋ねられる。3人の王子は、ラクダを見てもいないのに特徴を具体的に言い当てる。「そのラクダは片目」「歯が一本抜けている」「足が不自由」と。

なぜ彼らは特徴を言い当てられたのか。理由は、「歩いていた道の片側だけ草が食べられていた(しかも反対側のほうが良質な草だったのに)」「道沿いの草が一足ごとに、ラクダの歯ほぼ一本分の幅で食べ残されていた」「一本の足を引きずっている足跡が地面に残されていた」ことに彼らが道すがら気づいていたから。

これは「偶然」だけじゃあないですよね、と思わざるをえない。別にこの話がそうだからといって何なのさと言われればどうなのさという話なのだけど…、とりあえず私の中では今後セレンディピティなるものを、意志と対比させた「偶然」の力だけじゃなくて、「偶然と才気」による力としてとらえていきたいと思った、というメモ。偶然×才気で「必然」が生まれる(適当)。

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コメント

セレンディピティという言葉は初めて聞きました。
確かに両者の意味は微妙に違いますね。。

「今の探し物は出てこないのに、前の探し物がひょっこり出てくる」って例えは「あるある!」と言いながらうなづけるわかりやすいもので(笑)、まさに偶然の新しい発見だと思いますが、
下の方のは無意識ではあるけど目に映ったものが記憶に残されていて、その引き出しが自分の中で結びつけられて開けられたって感じですよね。その結びつけるものが才気なのでしょうね。

上の方の解釈(イルカの)でも、偶然をただの偶然としてやり過ごさずに、そこに注目するという部分では何かしら才気が働いているのかもしれませんが。。

しかし才気があるからこそ、偶然起きたように見える出来事から必然を生み出せるのでしょうね。
その才気を磨くためには、物事を一面からだけでなく色んな角度から見たり、なぜだろうと考えたりして、色んなものをただただ見過ごさないようにするのが大事なのかなぁ、、と思ったりしています。

以前「心のうち」を読んでくれている人から、私の話はベルさんがコメントをくださることで完成形に至るのだと言われたことがありますが(笑)、今回のなんてほんとまさしく!って感じでした。私の話に結論がなさすぎって話ですが。なはは。すっきりしました。なるほど、なるほどですねぇ。ありがとうございます!
とりあえず、ベルさんがセレンディピティという言葉に出会う機会を提供できたので、もちつもたれつってことに(調子いい…)。

またまた、つい書いてしまっています。
まぁ、、そそんな大それたことを言ってくださる方がいらっしゃるのですね。。(恥

私はボキャブラリーが少なく、hysmrkさんが書かれたことにコメントをつけようとしても、せっかく高尚な話を私がすごく低俗な、なんだか底辺のほうの例えを出してしまってブチ壊したり、hysmrkさんが言わんとしているニュアンスと違う方向に(私がコメントをつけることで)持っていってしまっているのでは、、、という恐れがあり、読ませていただくだけの回もあります。。>ていうか自分の理解がついていけてないだけですが。。


でも毎回、hysmrkさんのブログに知的な刺激を受けていることは確かです。
私もこういう内容が発信できたらなぁ、、、と憧れつつも、自分の能力ではとても無理なので、さし障りのない日常のことを書くだけにとどまっています(笑)。。

セレンディピティという言葉に出会わせていただいて感謝です!

私もたいがい直観で生きているので…、ボキャブラリーも一般常識も知識の取りこぼしが多すぎるのですが、人生まだまだ知ってお得(略して「知っ得(しっとく)」がたくさんあるよってことで、まぁ良しとしましょう。おぅ。
恐れなんて感じないでください(笑)。私も高尚な話なんてできませんっ!ただ、具体的なことと概念的なことの行き来をするのが癖なので、その行ったり来たりの道中をここに書き記したりしている感じなんですかね。よくわからないですが。
私はベルさんのブログに大いに刺激をいただいています。もちつもたれつってことですね!(無理やりでもそう思わせる気…)

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