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2010-10-12

当たり前感覚の移行

この休みの間に、思い切ってiPhone4を買った。思い切ってというか、もういい加減、自分の「当たり前の生活を何とするか」とか「習慣を何とするか」をリデザインしないといけない時期だなと。期が熟しすぎた…。

日曜に「よし、買ってしまうか」と思い至り、ショップに行ったら意外にも在庫があって、すぐ持ち帰ってきて、いろいろ最初に覚えなきゃいけないことを読んだり調べたり、初期設定したり、フリック入力ってこんな操作をいっていたのかと今さら感嘆したり(あんなの思いつくなんて人間てすごい)、慣れない手つきであれこれやっていたら疲れてしまって、月曜までもたなかった…。あとはのんびり慣らしていこう。

で、無性にiPhoneから離れて本を読みたくなり、そうそう…とAmazonのウィッシュリストに入れておいた本を買い求めに近所の本屋さんへ。しかし置いていない。お店の人にきいてみたら、その本は1982年に出版されたものなので在庫はないとのこと。なるほど、そんな古い本ならそりゃそうかと思い、お礼を言って本屋を後にする。

そのまま新宿の紀伊国屋書店に向かい、ここならあるかなぁと思ったけれど、ない。岩波新書の本なのだけど、この種が1つの本棚を占拠しているとはいえ、ここに1982年ものまでは置けないよな、とはいえ岩波新書に本棚2つ割くわけにも、と一人納得。Amazonで買うか、と落ち着いた。

この一連の中で胸のうちにわいた「そりゃそうか。1982年のものを在庫で抱えるってそりゃないよな」という感覚があまりにすっと自然な感じで、その腑に落ち加減に時代変化を感じた。いよいよ、「当たり前」を何とするか、その感覚自体が私の中でさっぱり前時代と変わってきたなぁと。

古い本は本屋になくて当たり前。大きい本屋でもまぁない。そういうのはネットで買うほうが理に適っている、話が早い。そういう感覚がすっとそこにある。気づけば大型書店も「行けばなんでもある本屋」という顔つきではなくなっていた。いろんなテーマ軸で本と巡り会わせてくれる、出会う機会を与えてくれるテーマの幅が広いって感覚に移行を終えていた。15年前の学生だった私は確かに、大型書店を「行けばなんでもある本屋」って顔つきで見ていたのを憶えているのだけど。

で結局、今日はポール・オースターの「オラクル・ナイト」に巡り会わせてもらった。うれしいなぁ。1階をふらふらしたところでたまたま見つけた。やっぱり書店は、そういう意味で足を運びたい場所だよなぁと思った。店に入る前には知らなかった、出会うべき本と巡り会わせてくれる場。本屋さんにはその役割を心から期待したい。

それにしても、ポール・オースターはやっぱりいいなぁ。ここしばらく仕事がらみの本ばかり手にしていたので、いちいちその豊かな描写力に感嘆してしまう。言葉の美しさが半端ない。事象の表し方もこの上ない。オースター、すばらしい。訳は柴田元幸さん。これまたすばらしい。

と、好き勝手書いた日記を読み返してみて一言を考えるなら。普遍的な価値をより深く愛するために、「当たり前」の感覚は変化をいとわない人間でありたい。思うのはそんなことかなと。というわけで、iPhone4を買って良かったのだ。ちょっと手を出すのが遅すぎた感は否めないけど。

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コメント

買ったらしいw

ふふふ。

とりあえず、この辺りをどぞ。
http://nanapi.jp/site/iPhone

おぉ、ありがとうございます!ものすごい助かります。
Googleから探そうとすると情報過多で、どこから手をつけてよいのやらと若干疲弊しておりました。
これ一本でとりあえず学習してみます。多謝。

iPhone 4の話かと思いきや、なぜか本屋さんの話になっているところが林さんのブログの面白いところw

ブログぐらい、こんな感じで続けてくださいな。

なはは。iPhoneについて何か語れるほど深く知り合えてもいないので、そこは華麗にスルー…。こんな感じですが、すえながくおつきあいください。(笑)

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