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2010-09-25

プロの定義

プロフェッショナルってなんだろう、専門家ってなんだろう、と考えている。Wikipediaによれば「ある分野について、専門的知識・技術を有していること」「それを職業としている人」「そのことに対して厳しい姿勢で臨み、かつ、第三者がそれを認める行為を実行している人」といったところ。

これはこれで読めば納得、もっともだという感じがするけれど、かなり汎用的に言い表しているからこそ言い得ている感が得られるのであって、自分や、自分が関わっている業界に照らし合わせて具体的な言葉に落とし込もうとすると、とたん難しくなる。

というかまぁ、プロスポーツなどごく一部を除けばどの世界も、プロの定義などあってないようなものかもしれない。それに「これが○○のプロの定義である」と明言されたとたん批判的に捉えたくなったり、「この定義に適っているから私は○○のプロである」という人にこそ胡散臭さを覚えてしまうのが人の常である。

さらにWebの周辺なんかで仕事をしていると、スタンダードやプロフェッショナルを規定している暇があったら前に進めってな空気感が少なからずある。個人的にも、変化の激しいところでどうにか仕組みを作ろうと立ち止まって、地盤の固まらないところでトンテンカンしているのをみて、どこか不毛な感覚を覚えることがあるのは確か。それができたときには、人はもう次の地点に移動しているのではないかという…。

なぜそんなことを考えだしたかといえば、直接的には、今走らせているあるお客さんの案件と、今手にしている本に起因している。まぁ仕事がらか性分か、そういうことはよく考えるのだけど。

私はWeb系の研修サービスを提供する仕事をしていて、クライアントは「受託系」と「発注系」の2つに大別される。便宜上乱暴に言ってしまうと、前者はWeb制作あるいは広告制作会社、後者はネット事業会社や一般事業会社のWeb担当部署。今ちょうど、後者に位置づけられる発注系の企業さんに研修を提供しているけれど、それは発注者として知っておくべきポイントに焦点をしぼって研修テーマをカリキュラム化している。情報アーキテクチャやビジュアルデザインのセオリー、HTMLとCSSなど。

例えばビジュアルデザインのセオリーを実践場面でどう扱っていくのかという話で、講義を聴いたり演習で実践してもらったりすると、一定の知識、スキル習得の勘所を持ち帰ってもらえる。彼ら・彼女らは言わばスペシャリストではなく、ゼネラリストとしてそのテーマを学習する。その一環として、そうか、スペシャリストである発注先のどこどこ会社とかは、こういう専門知識・スキルをもって、こういう頭の動かし方でもって問題解決にあたっているのか、という頭になる。

受託する側が必ずその分野のセオリーを適用して問題解決しなくてはならないってものではないけれど、ある専門をうたって受注しているなら少なくとも、マーケッターならマーケティング、デザイナーならデザインの理論を知っていて、必要に応じてそれを適用できる状態でないとまずい。発注側がその分野の理論を知るということは、少なくともそれと同等以上のモノを受注側のスペシャリストがもっていないとつじつまがあわなくなる。

同等以上のモノというのは、その専門領域の原理、理論、技法、実戦経験で培ったノウハウ、自身の職業に適合するスーパーバイザー的人物から得たフィードバック、職業倫理観を総動員したスペシャリティというようなイメージ。つまり、相手方がもっていない専門性ということ。

これがないビジネスも成立はすると思うけど、これがない前提で発注を受けるというのは、つまり発注する側が社内では時間がとれない、そこに中の人材をあてられないから外に頼む、という代理機能を超えられないということで、そういう領域の話になっちゃうと、競合対比の安さが勝負とか、相性とかつきあいとか、そういう部分でのつながりでしかなくなってしまう。それで長く立ち、歩んでいくのはきついな、ということになる。

そんなことを思っていたさなかに、ある本をいただいて読んだ。すでにデザイナーしている人に向けた本という体裁なのだけど、これがかなり今回発注者向けに提供した研修の内容にかぶっていて、うむむ…と考えてしまった。これは、少なくとも今回研修を受けた発注者さんたちにしてみると、発注先のデザイナーは当然知っているものと思っている領域ってことになる。つまり受発注のやりとりで、「え、知らないの?」ってことが発覚すると、ものすごく微妙な空気になる。

私はこの本は、どちらかというと見た目にもう少しこだわりたい一般ビジネスマン向けかなという印象をもったけれど、本の帯にはデザイナー向けと書いてある。出版社の編集サイドが、いやデザイナーだったら知っているべき領域だけど、現実的にはこの辺を押さえていないで活動しているデザイナーも多い。そういう人たちに手にとってもらうためにと確信犯的にやったのかもしれない。そんな気もするのだけど、実際どんな胸のうちだろう。

なんというか、自分自身の専門性への問題提起も含めて、うーんと考え込んでしまった。と身も蓋もない話のまま終わる。とりあえずこれを一通り書いてみて思ったのは、プロとは何者かってものすごく相対的なものだということ。相手方のレベルとか標準的な基準が上がれば、それをはるかに超えた状態にまた上がらねばプロでないってことで、まぁこれについて考えるのは秋の夜長くらいにして日々精進するかな、と。

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コメント

これにもコメントを(移動中でヒマなのでw)

僕のプロの定義は、それでメシを食えているもの・こと。

ただ、それだと、デザイナーでも、プロらしからぬ能力で生活している人はいますよね。
それでもプロだと思う。

ただ、デザイナーじゃなくて、営業のですね。もしくは詐欺の。

営業と詐欺を並べると怒る人がいると思いますが、営業は、表裏一体のリスクを抱えていると思います。

脱線しましたが、結論、僕は何のプロか分かりません(笑)
何でメシを食ってるんでしょうかね

> これにもコメントを(移動中でヒマなのでw)

ズコーっ。
(すみません、昭和なのりで…)

はぁ、なるほど。プロはプロとして、何で食べられているかの本当のところが、表とは違うことがあるって見方ですね。ふむふむ。
営業と詐欺の違いは、社会性に欠けた嘘があるかないかじゃないですかねー。営業が見せるのは、うーん、現実の拡張版まで、拡張現実?(笑)
私も何でゴハンを食べているかと怖い顔で問い詰められると、なかなか言語化が難しいんですけれども。

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