仕様の背景をよむ
あるクライアントの新卒社員研修が終わった。平日毎日通ってもらって3週間強。私が請け負う案件ではかなりの長期プログラムなのだけど、本当に今年はあっという間に最終日を迎えてしまった。自分の時間感覚の麻痺っぷりをひどく恐ろしく感じた。この間、複数案件が猛烈に走っていて、ジェットコースターみたいとはまさにこのこと!という感じで毎日が過ぎ去っていった。
研修時間とその前後1時間は、その研修に意識が集中しているので、毎日誰のことを一番考えているかといったらその受講者の皆さんのことを思っている時間が一番長かったとは思うのだけど、夕方から夜中、休日はまた別の案件のあれこれに意識を集中しなければまわらず、いよいよ最終日を迎えるといった辺りになって、少し人間味のある生活を取り戻し、夜中に一人ひとりの成果物をみながら、落ち着いてその成長ぶりに感嘆する時間をもった。
最終日の締めでは、こんな話をした。世の中の大方のことは、答えを2つ以上もっている。ある答えの対極には、もう1つ正解があるし、2つと限らない。仕事のほとんどはそういうものだ。そういう中で、その案件、そのシーンの答えを自分たちで出していく。そのとき必要になるのは、やっぱりコミュニケーションなのだ。違う立場の人同士が、いろんな答えがありうる中で、今回はこれでいこうと決めるのには、意味のあるコミュニケーションが必要になる。
そういう場面で、「それは仕様です」とか「社内のレギュレーションにそって作ってあります」とかって言っても、会話しているようでいて何ら意味をもたない。「それは仕様です」というのは、その仕様のもとになっている意図がわかっている人たち同士の言わば内輪用語であって、同じ部内だったら「仕様にそってこう作りました」でよくても、他の立場の人、他部署、他社の人と会話するなら、企画の意図を踏まえて、仕様の背景をよんで、今回はこういう指針でこちらを採用しましょうという話をできなければ、本質的なコミュニケーションにならない。何の意味があって、別の側面のこれこれのデメリットを負ってでもその選択をする必要があるのか明示する必要がある。
思うのだけど、仕様の意図・背景を知らずして「それは仕様です」って質問に返すのは、「校則で決まっているから」としか答えられない先生、「法律で決まっているから」としか答えられない警官みたいなもので、そりゃコントの域だろうと。
とかそういう年寄りっぽいことを…。話し下手で、うまいこと伝えたいメッセージを届けられたかわからないけれど、話を聴いていてくれたときの一人ひとりの視線から察するに、なんとなくきちんと受け取ってもらえたのかな、という気がしている。そんなわけで、最後の最後、気持ちとして尽くしきれたかなという安堵感をもって終了(といってもこれからレポート書くんだけど)。
あとは現場でむくむくと育っていくことと思いますが、遠くから、心から、声援を送り続けます。またきっとどこかで会えることでしょう。
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