真実を知るタイミング
村上春樹の「1Q84」BOOK3が出たというので読みたいなぁと思っているのだけど、はてどういうお話だったか全然あらすじが出てこない。私は自分でも恐ろしくなるほど、読んだ本や観た映画のストーリーを忘れてしまうというか、はなから覚えていない…ので、さて困った。
とか思いながら、とりあえず手元にあるBOOK2をぱらぱらめくっていたとき目にとまった一節。
真実を知ることのみが、人に正しい力を与えてくれる。それがたとえどのような真実であれ。
私の思想は村上春樹さんのそれとものすごく近しいところがあって、こういう一節には自然目がとまり共鳴してしまう。とともに、今回は全然別方向から、ある話が思い出された。
トリプルセブン・インタラクティブの福田敏也さんがブログに書かれていた「いじめに気づいた」という話。「イジメられてたんだよなあ、きっと。」と、50歳になって初めて、中学時代の自分に対するいじめに気づいたことを書いている。これはすごく印象に残った。
その当時は、
自分が虐められているっていう意識はまったくなく
楽しくひょうひょうと生きていた。
明るく元気に学校に行ってた。
中学生の福田少年は、彼の認識世界のなかで、いじめられていない人間としてその時間を生きていた。人は、「自分が認識する世界のなかでしか生きられない」し、「自分の認識次第で、どんな世界にも生きられる」のだということを象徴する話だと思った。
その時代に
イジメだと気づかなかったことを
心から良かったと思う。
そして、50歳の福田さんは、この真実と真正面から向き合い、自分の過去として受けとめる。ブログに書けるほどにしなやかに、自分のこととして受け容れる。真実には、ものによって知るべきタイミングが存在するのだ、と思った。
冒頭の引用は、まさしく私の志向の核心をついた一節だ。ただ一方で、それが万人にとって絶対の真理ではないかもしれないって十分な余白は残しておきたいし、少なくとも真実には知るべきタイミングが存在することを肝に銘じておきたい。これは、カウンセラーには必須常識だとも思う。
そして真実を知るべきタイミングはきっと、風のような自然の力によってもたらされるものではないかと思っている。私たちはその自然の風を感受したとき、真実を取りにいけばいいんじゃないか、あるいは伝えにいけばいいんじゃないか、そんなふうに思う。耳をすませていれば、風の音は聴こえる気がする。その真実すら、結局は自分の認識世界のなかの真実に過ぎないのだけど。
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