器の入れ替え
自分の仕事の難しさを知った。これまでも知っていたつもりだったけど、もっと知った。こういうことの繰り返しなのかもしれない。自分なりの器をこしらえて、その中が満杯になるように仕事して、経験を積んでけっこう埋まってきたかなぁと思う頃に、それはもっともっと大きな器であることを思い知らされる。あわててその器に自分の仕事ぶりを移し変えてみたら、3割も満たないところで水切れてしまって、自分のおろかさを知る。
でも、そういうことの繰り返しなのかもしれない。一番大きな器がどんなものかわかるまで、じっとお勉強していても何も見えてこないし、誰の何にも役に立たない。小さい器からでもいいから、自分が見えているかぎりを目指して頑張って誰かの何かに幾ばくかの貢献をして、そうしているうちに、ある日もっと大きな器のあることが鮮明に見えるようになる。こんなに大きかったのかと愕然とする。いや、きっともっと大きいんだろうな、私には見えていないけど…ということにも思い当たる。
だけど、しっかり落ち込んで、しっかり受け止めて、しっかりはいあがる。そうしてまた、とりあえずは新たに移し変えた器を満たせるくらいの貢献ができるように頑張る。そういうことの、繰り返しなのかもしれない。
今日は自分の至らぬところ、まだまだやりきれていないことがどんなものなのか、昨日までよりずっとずっと鮮明になった。「何かをするとき、目的と対象を捉えることが大事」なんて、誰だって知っていることだ。だけど、どうだと鮮明で、どうだとまだまだ曖昧なのか、それをどれだけ確かに、シャープに捉えられるか、それを意味ある企画に展開できるかが、本当に意味のある仕事の本質なんだと思う。
私は、研修を提供する仕事を通して、大切にしたい人たちの大切な時間を奪う仕事をしているのだ。そこに割く時間を、奪った時間をどれだけ有意義なものにできるか。時間はあくまでご本人の時間なわけだけど、参加者の時間が彼らにとってもっともっと意味のある時間になるための仕掛けを作りこむのが私の仕事であって、その成功確率をもっともっと高めることはできるはず。
昨日まで自分がそれなりに鮮明に、深さのあるものと思っていた程度が、今はものすごく曖昧に、深さのないものとして見える。それは、まだ自分の力にはできていないものの、自分のモノサシはバージョンアップしたということ。しっかり落ち込んで、しっかり受け止めて、しっかりはいあがる。大切な人たちを、本当に大切にするためには、大切に思うだけじゃ足りないんだよ。
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