かなしいこと
とてもかなしいことがあって、ここ2日ほど気がつくとそのことを考えている。そのかなしいことに関わる人のことを思う度、目のふち全体が熱くなってきて、じわーっとする。
正解なんてないし、私は当事者じゃないから答えを決める立場でもない。だけど、このままこのかなしいことが完遂されちゃっていいのかなって思って、自分が下手に働きかけるのも無責任な気がするし、介入しないでただ行く末を見守るだけなのも、本当にそれでいいのかなって気持ちになる。何が自分のすべきことで、何は自分がすべきことじゃないのか、そんなことを考えながら、思考をぐるぐるさせている。
それと同時に、いろんな人の今の気持ち、それぞれの人がそれぞれに感じていくであろう明日、1週間後、1ヵ月後、春を迎え、夏を迎え、秋を迎えて、また冬がやってきて、1年後、3年後、5年後、その先もずっと節目節目に感じるであろう気持ちに自然思いがめぐってしまって、それはとても自分勝手な憶測なのだけど、止むこともできない。
まるで一番強度の高いところにあわせて掃除機をONにしたかのように、私は関わる人の気持ちの全部を推し量っては自分の体内に一気に吸引しようとしている。それで全部がもとに戻ったらいいのにって思っているのかもしれないけど、もちろんそんなことはできないわけで。私の中にどれだけ憶測上の人の痛みをつめこんだところで何の役にも立たないのだけど、そんな時間の過ごし方を日に何度かしてしまう。幸い結構案件が立て込んでいるので、仕事に集中している時間のほうが圧倒的に長いのだけど。
この間ラジオで、他の人が痛みを感じているのを見ると、それを受け取った人が自分の痛みとして感じる「ことがある」だったか「人がいる」だったかって実験結果が出た話をしていたんだけど、そういう感じで何か人の気持ちを自分の気持ちの上に憑依させつつ、それと話しながら自分はどうしたらいいのか、どうしないほうがいいのか考えあぐねているような感じ。
大切な人は、大切にしたい。大切な人を大切にするために自分がすること。もう少し考えて、動いてみようと思う。
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