「希望の仕事術」まえがき
昔ある上司から売上の目標数値を「前年比120%達成」と提示されて、「どうして120%なんですか?」と尋ねたら、「企業は成長を希求するものだから」という回答をもらったことがある。「なんでそんなことを尋ねるんだ…」という感じで、その人からするとひどく世間知らずな子にうつったと思うのだけど(まぁ実際世間知らずなのだけど…)、その後いくつか質問を加えたものの結局「なるほど、そうか」というすっきり感は得られずに、その時はその会話を終えた。
確かに売上が昨年対比100%を超えないより超えたほうが良いのはわかるし、そのように貢献したいとも純粋に思うんだけど、盲目的にその単一指標でものを考えて、それが期初にそのまま共有されるというのは、どうもバランスが悪いなぁと感じた。
世間知らずの天邪鬼に思われるかもしれないけど、決して揚げ足をとるような意図はなくて…、単純に考えて「企業の成長」にはいろいろな表れ、いろいろな希求の仕方があると思うから、最終的に売上・利益に目標の第一照準をあわせるとしても、最初から盲目的に「企業の成長=売上・利益の向上」で考えてしまうのは、ちょっと画一的にすぎないかなぁと疑問がわいてしまったのだ(面倒な部下…)。いろいろな希求の仕方が意識化された上での選択であれば全然ありだと思うのだけど。
極端に言えば、「売上あるいは利益などのお金面は昨年対比60%に落として、その中身をこういう形で250%の高密度に良質化していこうという方向性だって、企業の成長のひとつの形ではあると思う(実際の目標はもっと具体化が必要だとして)。そして今の時代背景でいうと、答えをどう出すにせよ、そういう領域も検討の上で答えを出していかないと厳しい時期にきているんじゃないかなぁと思う。
右にならえで旧来型の一般的な目標設定をしていても、どうにも首が回らなくなるんじゃないかしら。それってあなたは儲けたいからそうしたいかもしれないけど、世の中が求めているのかしらと。世の中にそれだけの大量消費欲求があるのかしらと。多様化の時代ってよくいうけれど、そことリンクさせて実際の動き方を変えるところまでいけないと、それをわかっていることにならないんじゃないかなぁと。
こういう、うだうだとした私のたわごとを、もっと明快な言葉で人に伝わるように言い斬っている感を覚えたのが、橘川幸夫さんの「希望の仕事術」のまえがきの一節。読んでうなった。
日本は、バブルの頃の経済の6割の規模で、あとは中身を充実していく道を進むだろう。量的規模を目指す時代から、内実の質を追求する時代が始まろうとしている。
中国やインドは、まだ国内に貧しさを抱えているから、かつての日本のような高度成長を目指す社会的モチベーションがある。しかし、日本はすでに豊かな社会を実現しているのである。これ以上、個人の生活を犠牲にして企業組織を拡大する理由はない。
企業の成長のあり方を、規模の拡大とか売上や利益の向上とかって、そういう分かりやすく一般化された指標だけでみる時代は、日本じゃもう終わったんじゃないかなぁという印象を強くした。
広告業界とか、自動車業界とかの業界限定ではなくすべての業界で、もう一度、経営理念に書いてあることをじっくり読み返してみる時期じゃないかなぁと思う。それを本当にしたいなら。私はそれを本当にしたい。会社やってるなら、深堀りして本質を考え抜くことを放棄しちゃいけないと思う。アノ時代とは違う目標を、今の自分の頭とか心とか体とか使って考え直さないといけないと思うなぁ。そんなことを思った読書体験。
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