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2009-12-29

広告は企業のため

でもさ、というのは一つ前の話の続きなのですが。極論するとやっぱり広告は「消費者本位」じゃなくて「商品本位」だと思っているのです、私は。「企業のソリューションから、消費者のソリューションへ」っていうのは、「明日の広告」という本が読者に届けようとしているメッセージの核としてはそのとおりだと思うのだけど、もう一歩さがってみるとそれも「商品本位」あっての話で、それがないと上っ面だけになっちゃうなと。ここから超個人的な心のうち。

「消費者が変わったんだから、広告も変わっていかなきゃ」ということで、「消費者本位」の意識が必須になったのはそのとおりだと思うし、おそらく広告業界での経験・キャリアを積んでいない人の中には、はじめからこのような世界観をもっている人も少なくないと思う。

だけど、その前提として、やっぱり企業は「商品本位」であるべきというか、あってほしいと私は思う。だって、消費者がほかのこと考えている間もずっと企業のほうは、自分たちが出していく商品の領域でどんなことができるのかをあーだこーだと考えて、試作品を作ったりボツったり改良してみたりしているわけで(そうであってほしいわけで)。そうして商品化にこぎつけたものを、それまたどうなるかわからない不安と期待入り混じる中で「えいっ!」って世に問うていくわけで。

そこにはやっぱり、消費者のことを思って考え抜いた何かが詰まっているはずで、むしろそうでないと太刀打ちできない時代になったというところが、今の時代変化のいちばん核たるところじゃないかなって思う。そういう意味では、「明日の広告」の中ではスラムダンクの井上雄彦氏の広告のエピソードを語っているところが、個人広告の例ではあるけれど、この大前提の大切さを最も暗示できている読みどころだと思う。

最近注目されている「ユーザー中心設計」とか「人間中心設計」とかも、「消費者本位」同様ものすごく大事だと思うのだけど、この前提なしでは意味をなさないというのが共通するところじゃないかと思う。何を作りたいか、何をお客さんに届けたいか、何を社会に提示したいか。それがあって、それをどう商品化するかを考えて、作って、世の中に出していく。その過程でこそ「ユーザー中心設計」も「人間中心設計」も「消費者本位」も生きるのだと思う。

広告の仕事も、そのクライアントの思いと、それを体現した商品の価値がきちんと届くように最大限のサポートをすることが基本なんじゃないかなーと思う。応用としてきっと、競合が出しているのとほぼほぼ同価値なんだけど、商品価値の伝え方に優位性を持たせることで、その商品を選んでもらえるようにする、みたいな広告の力もあるとは思うんだけど。

いや、広告は門外漢なので、1サラリーマン&1生活者目線でなんとなくそういう感じ(「商品本位」であっても、それが健やかに成立する感じ)であってほしいなぁと思っているだけだけど。私はどちらかというとサービスを提供する事業会社側の視点が強いけれど、商品をつくりだす事業会社も、その価値を消費者に届ける広告会社も同様に、「商品本位」であることを胸はっていえるようなのが一番健全だと思う。

ちなみに、先にスラムダンクの例を挙げたように、著者がこのことを大前提に実践されていることは著書の中で十二分にエピソードが語られているので、その辺はその辺で意識して読むと勉強になるし心揺さぶられるものがある。

それで頑張って作ってみて、それが消費者の間でどういう価値を生むかは、結局作ってみなきゃわからない、やってみなきゃわからない面が絶対あるわけで。そういう当たり前のことを、事業会社も広告会社も消費者も共有している世の中っていうのは豊かだよなぁと思うのです。

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