父の話聴く大晦日
年越しの瞬間は、寝ている。ここ数年、23時前には眠くなって、0時にはすっかり夢の中…というのを繰り返している。大晦日は夕方実家へ帰って、家族で年越しそばとかタラバカニを食べる。それから紅白歌合戦をみて、途中でお風呂に入って、また紅白をみる。だいたい22時くらいに眠くなってきて、23時前に床につく。目が覚めると元旦の7時とかになっている。ちなみに父は21時に寝る。母と妹は0時過ぎまで起きているらしいが、若いなぁと感心。
大晦日の晩は、とにかく親とよく話す、というかほとんどは親の話を聴いている。近況報告じゃなくて、最近思っていることとか、実は昔からこういうふうに思っていたとか、そういうところまで話が深まってくると、なんとなくほっとする。ちなみに、そういう時テレビっていうのは本当に程よい雑音だなと思う(ほめてる)。
なんとはないおしゃべりの中で、最近は父が子育てのあいだ気にかけていたこと、心のうちで大切にしてきたこと、つらかったことなどこぼすことがある(基本的に強気で陽気でポジティブで、父は私が大人になるまでそういうことを一切こぼさなかった)。
今年の大晦日に話していたのは、子どもたちが高校を出るくらいまで、ここで雷に打たれて死ぬわけにはいかないと思って雷がすごく怖かったとか。毎年恒例で家族でなになにするっていうのが、その時はなんでもなくても後から振り返れば、なにかこれという思い出になるのかなと思ってやっていたとか(元旦の朝は応接間のほうに家族集まってまず父の挨拶があって、皆が順番に今年の目標を言った後におせち料理を食べるとか、初詣は成田山に行って帰りにあのお店でうなぎを食べるとか、GWやお盆にはきまって家族旅行に出かけるとか)。
そういったこぼれ話に私が言えることなんて何もないのだけど、ただ私はその思いを受け取った張本人だから、その思いとか考えとか行動が、私を大いに育んだことを、私が迷いなくそう思っていて、それを肯定していて、それに感謝していることを伝えることはできるのかなと。というか、それくらいしかできないので、気恥ずかしくてなかなか言葉にはできないのだけど、父が話しているあいだは目を見てとにかく話を聴く。父が合い間に「まぁ何になるかはわからないんだけどさ」なんて言うときは、「それはすごい大事なことだよ」と静かに言葉をはさんで全面肯定を表明する(何様…笑)。
経験してみないとわからないけれど、経験したらすごく大切だとわかる、そういうことが世の中には確かにあって、そういうものがあるんだってことを、分別つかないうちに親に一つでも二つでも経験させられていると、後の人生、そういうものの存在を自然と認められるようになるわけで。「毎年恒例で家族でなになにする」がどんな意味をもつのかなんて、私にとってはまさしくそういう経験だった。そんなことを感謝しつつ、さて23時も近く。おやすみなさい。
良いお年を。来年もどうぞよろしくお願いします。
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