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2009-11-12

手放せないチカラ

最近、人々はモノを自前で「所有」するのではなく、他人とシェアしたり、または必要に応じて借りたりするといった「利用」する場面が増えつつある。

と始まる大和総研ホールディングスのコラム「なぜ人々は所有するのをやめるのか」(溝端幹雄氏)をなんとも興味深く読んだ。カーシェアリング、クラウドコンピューティングといった事例はまさに今の時代感を表しているように感じるし、今回の私の引越しを思うに、住宅も好例だと思う。

母は「賃貸でお金を払い続けるなんてお金を捨てているようなもの、それなら買ったほうがいい」という考えをするけれど、私は「いや、そういう数字の計算だけじゃなくてさ、背負うものというかさ、これから時代も人生もどうなるかわからない中でさー」と賃貸派。思考がしょぼいだけだろうか…。母の論理は理解はできるけど、自分の感覚がそちらに向かない。これも一つの現代感か。

というわけで、このコラムを読み進めてみると、なぜ「所有」から「利用」に移行しているのかの背景が2つあるけれど、これもそうだよなぁと。

ポイントは、社会全体がストック化(成熟化)していること、将来の不確実性が増大していること、の2つにある。

ここには「知識や経験、ノウハウといった無形資産も含まれる」としているのだけど、これもそうだよなぁと。で、「今後のビジネスでは、既存の有形・無形のストックを如何に有効活用していくかが重要になるものと思われる」としているのだけど、では「既存」ではなくこれから「新規」のものに向かうときにどう考えるかが、また気になるところ。人それぞれ、モノそれぞれだろうけど。

で、私はカーシェアリングもクラウドコンピューティングもありだと思うけれど、「知識や経験、ノウハウといった無形資産」を安易に、「所有」から「利用」へ移行するのは間違いだと思う。もちろん「利用」できるものを大いに活用して可能性を広げていくことはいいことだと思う。でも、そうやっていつでもどこでも外にあるものを利用すればいいやと、内側にストックすることをやめていくとどうなるか。

ある程度豊かな所有物を自分の内側にストックして更新していかないと、おそらく何も利用できなくなると思う。利用できるものは世の中にたくさんある。けれど、利用が有効な機会に、利用するという選択ができないカラダになってしまう。どれだけ周りに利用できるものをそろえていても、自分が利用することを発動するチカラをもっていなければ「利用できるもの」の質も数も意味をもたないのだ。そうして何も感じず、何も思いつかず、それじゃ人生つまらないじゃないか。

実際、うまく「利用」をしているなぁと思う人は、結構なボリュームで自分の中に「所有」をしている。だから「利用」がうまくいく。所有しているものと利用できるものを自分の頭の中で有機的に関連づけながら生きているんだろう。その「所有」のほうを見ずに、うまくやっている人の「利用」を促すメッセージだけを受け取って「利用」のやり方だけ真似ても、おそらくうまくいかない。多少有効に働いても短い命だろう。

「将来の不確実性」というのは確かにあって、数年先には使えない知識、スキルを身につけるのはなんだかなーと思えてくることもあるかもしれないけれど、それは数年先までしかもたない知識、スキルしか身につけていないために生まれるむなしさではないだろうか。

あわせて、というかその学習プロセスすら、普遍的に自分を支えてくれるような能力を鍛え上げる過程として学習できるものがあれば、そう悲観的に「所有」する努力を惜しむこともなくなるだろうと思う。とはいえ、ちまたにはなかなかそういう学習機会がないので、私はものすごく微力ではあるけれど、そういう学習機会をいかに生み出すかを考えながら日々の仕事にいそしんでおります。

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