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2009-11-28

頭と心の猛特訓

実は今週水曜から土曜まで、とある専門家になるための過酷すぎる訓練を受けておりまして、会社をあけておりました。連続の振休消化で一見バカンス風、しかしてその実態は…。突風に身を任せて、けっこう日が迫ってから個人的に受けることを決めたので、事前情報もさして持ち合わせておらず、まさかこんな過酷な日々が続こうとは思いもしませんでした。というか、楽とも過酷とも、とくにこれという先入観をもたずに申し込んだのだったと思いますが、前日までにあれこれの予習をし、参加してみたら毎日朝9時から夜9時過ぎまで都内のホテルに缶詰め、ずっとずっとずっとずっと頭と心をどちらもフル稼働させ続ける日々でした。

一日のプログラムが終わると、「精根尽き果てるとはまさにこのこと!」という状態に。ぎりぎりまで神経を集中させ、終わったらとにかく帰って寝るのみ。翌朝はプログラムが始まるまで前の日の復習。とにかく濃厚な4日間でした。なんか4日間で2~3週間分のエネルギーを使い果たしたような感じ。

というのも、4日目の最終日の午後がテストなのでして、これも受ける前までは「へぇ、テストもあるんだー」くらいの認識だったのですが、初日行ってみたらまぁやるからには資格取らなきゃそれはそれでどうなんだろうという緊張感が芽生え…。しかしこれがまた、精根尽き果てるテストで、夜9時までとはならずとも、最終日の今日もやっぱりへとへとになりました。ともあれ本日で一通りのプログラムが終わりました(審査結果の通知は先だけど)。

いやはやとにかく、ものすっごい精神を鍛えられましたし、数日前には知らなかったこと、感じえなかったこと、気づきえなかったことをたくさん得た実感があります。それにもまして、自分自身がいかにわからないこと、できないことをたくさんもっているか、それが数日前よりはるかに具体的に見えている状態、そうでありながら気分は打ちのめされた感と真逆の状態にあることが、なんとも不思議というか。生きていく上で何か(これがまだ言葉にできないのですが)貴重なものを得られた感覚をもって家に帰ってきました。

一方で、まだ頭も心も整理できていないので、このまま放置したらここ数日の努力が何にもならず風とともに去っていってしまうという恐怖感もあります。せっかく20代後半で車の免許を取ったのに、いまや一人前のペーパードライバーという前科もの。これから振り返りの時間をもって、何をどういうふうに定着させて、そこにどう知識とスキルと経験を積み上げていくか、もったいないことにならないようにしっかり考えて活動していきたいなと思っています。何より、より高い専門性をもって人のキャリアを支援するという目的のために。すごく大切にしたいなぁと思うものを与えてもらえたと思うし、ものすごく尊い先生に直接教えていただけたし。

というわけで、それって何なのさ…という話なんですけど、“弱い意味での”不言実行人間なので、今日の審査が通ったらぜひともここでご報告させてください。そしてダメだったら再チャレンジして、通ったらここでご報告を…。いやそんな、神さま、お願い、受からせて。ということで、あとは善行を積みつつ勉強を続けつつ天からの便りをひっそりと待ちます。

いやー、とにかく疲れた。でも人生の中でもそうそう経験できない充実した4日間でした。すみません、ただの思いのたけオンパレードな話で。

2009-11-23

風邪と少女マンガ

先週半ばから、うーん、風邪かなぁと思われる症状が見え隠れしていたのだけど、気が張っていたこともありどうにか持ちこたえた。と思ったら、連休初日にしっかり症状が出た。心得ておるな、おぬし…とねぎらいつつ、しかし連休明けはまた絶対休むわけにはいかない状況にあるので、初期症状で終わらせようと休みは家(というか近所内…)にこもった。

で、連休中に読み終えねばならない本などあったので、それを読んだりしつつ、連休初日に買ったマンガ本を合間に読んだ。マンガ本って、私は子どもの頃はよく読んだけれど、確か高校生くらいで読まなくなって、以来長いことまったく手に取らなかった。だけどなんとなくで(でもないけど語るほどでもない)20代後半になってから2人の漫画家作品は再び手にとるようになった。

その一人が樹なつみさんで、この人の作品には何気にものすごく影響を受けているのではないかと思う。たぶん中学時代。今の作品は主人公たちが自分よりだいぶ年下になってしまい、また見え方も違うのだけど、とりあえず気が向くと読んでみたりしている。

で、今回買った「ヴァムピール」の4巻(2巻を読んでいない中途半端な読者だが)で一番反応したセリフはこちら。

女はね ずっと考えてるもんなのよ 結論を口に出す時は全部決めてしまった時なの

これは主役級の女の子のお母さんの言葉。そう、心に留まる決めゼリフは、もはや漫画家さんが主人公ではなく主人公のお母さんに言わせている言葉となった…。ともあれ、マンガとか小説とかって、その文脈の中でこそ色鮮やかに映し出される真実を言い切った一文があちらこちらに出てきて、これが魅力の一つ。現実より真実。それを語る力があるんだよなーと、時々読むとしみじみ思う。だからこう一文だけ取り出して眺めるとちょっと匂いがきつかったりするものも…(笑)。

で、読み終えて改めて先のセリフを考察すると、これって「女」ってくくりでもないんだろうなと思う。私はけっこうどんぴしゃな性質をもっているけど、性差ではなくて、人のタイプなんだろうな、これは。漫画家さんもそんなの百も承知で、ここは「女」と言い切っている気がする。そのほうが断然響く。少女(向け)マンガだし。

あわせてこの連休に読んでいたのは、ユングのタイプ論の話で、これと関連づけながら考察すると、また味わい深い。ユングはきちんと咀嚼して言葉に表すには、さらに実用に持ち込むには相当大変な道のりを感じるけれど、自分の偏狭さに気づき、それを広げていくのに確かな手ごたえを与えてくれる。いずれここにもちょぼちょぼ書いていけたらと思います。と、何か書いているようでいて何も書いていないような連休日記。

2009-11-15

現実逃避の一部始終

先週一気に新しい案件が押し寄せてきて、今週は3社(か4社?)分の提案書をまとめなきゃいけないふう。1社分の提案書の骨格を作り終えたところで現実逃避がてら、一度訪れてみたかった(と言わず何度でも訪れたい)迎賓館へ。

左手にごっつい仕事かばん、右手に携帯カメラ、中心に夢心地をもって、ずんずんずんずんと迎賓館前。なんというか、現実逃避にもってこいの景観なり。

photo1   (1)迎賓館はもう、すぐ、そこに!

photo2   (2)「ローマの休日」みたい!

photo3   (3)もはや、さえぎるものなし!

photo4   (4)の、わけがない…

photo5   (5)遠い迎賓館…

photo6   (6)重たい門…

photo7   (7)長い、長ーい柵…

photo8   (8)向き直って現実に無事着地。

ということで、現実逃避の始まりから終わりまでダイジェストでお送りしました。はやかったなぁ、現実に戻るのが…。まぁとりあえず、おのぼりさんのように柵前をうろうろしてパシャパシャしてふぃーと一息ついて、周辺を散策して現実に帰ってきました。それにしても今日はすばらしい快晴で、仕事日和、散策日和、逃避日和でした。

2009-11-12

手放せないチカラ

最近、人々はモノを自前で「所有」するのではなく、他人とシェアしたり、または必要に応じて借りたりするといった「利用」する場面が増えつつある。

と始まる大和総研ホールディングスのコラム「なぜ人々は所有するのをやめるのか」(溝端幹雄氏)をなんとも興味深く読んだ。カーシェアリング、クラウドコンピューティングといった事例はまさに今の時代感を表しているように感じるし、今回の私の引越しを思うに、住宅も好例だと思う。

母は「賃貸でお金を払い続けるなんてお金を捨てているようなもの、それなら買ったほうがいい」という考えをするけれど、私は「いや、そういう数字の計算だけじゃなくてさ、背負うものというかさ、これから時代も人生もどうなるかわからない中でさー」と賃貸派。思考がしょぼいだけだろうか…。母の論理は理解はできるけど、自分の感覚がそちらに向かない。これも一つの現代感か。

というわけで、このコラムを読み進めてみると、なぜ「所有」から「利用」に移行しているのかの背景が2つあるけれど、これもそうだよなぁと。

ポイントは、社会全体がストック化(成熟化)していること、将来の不確実性が増大していること、の2つにある。

ここには「知識や経験、ノウハウといった無形資産も含まれる」としているのだけど、これもそうだよなぁと。で、「今後のビジネスでは、既存の有形・無形のストックを如何に有効活用していくかが重要になるものと思われる」としているのだけど、では「既存」ではなくこれから「新規」のものに向かうときにどう考えるかが、また気になるところ。人それぞれ、モノそれぞれだろうけど。

で、私はカーシェアリングもクラウドコンピューティングもありだと思うけれど、「知識や経験、ノウハウといった無形資産」を安易に、「所有」から「利用」へ移行するのは間違いだと思う。もちろん「利用」できるものを大いに活用して可能性を広げていくことはいいことだと思う。でも、そうやっていつでもどこでも外にあるものを利用すればいいやと、内側にストックすることをやめていくとどうなるか。

ある程度豊かな所有物を自分の内側にストックして更新していかないと、おそらく何も利用できなくなると思う。利用できるものは世の中にたくさんある。けれど、利用が有効な機会に、利用するという選択ができないカラダになってしまう。どれだけ周りに利用できるものをそろえていても、自分が利用することを発動するチカラをもっていなければ「利用できるもの」の質も数も意味をもたないのだ。そうして何も感じず、何も思いつかず、それじゃ人生つまらないじゃないか。

実際、うまく「利用」をしているなぁと思う人は、結構なボリュームで自分の中に「所有」をしている。だから「利用」がうまくいく。所有しているものと利用できるものを自分の頭の中で有機的に関連づけながら生きているんだろう。その「所有」のほうを見ずに、うまくやっている人の「利用」を促すメッセージだけを受け取って「利用」のやり方だけ真似ても、おそらくうまくいかない。多少有効に働いても短い命だろう。

「将来の不確実性」というのは確かにあって、数年先には使えない知識、スキルを身につけるのはなんだかなーと思えてくることもあるかもしれないけれど、それは数年先までしかもたない知識、スキルしか身につけていないために生まれるむなしさではないだろうか。

あわせて、というかその学習プロセスすら、普遍的に自分を支えてくれるような能力を鍛え上げる過程として学習できるものがあれば、そう悲観的に「所有」する努力を惜しむこともなくなるだろうと思う。とはいえ、ちまたにはなかなかそういう学習機会がないので、私はものすごく微力ではあるけれど、そういう学習機会をいかに生み出すかを考えながら日々の仕事にいそしんでおります。

2009-11-01

ホームページ消失

あぁ、やってしまいました。2001年11月から書きつけていた、いわゆる「私のホームページ」(この場所の前身)をさくっと、まるっと消失してしまいました。

ココログのブログに移行する前は、ニフティー会員に与えられる無料ホームページ枠によもやま話を書いていたのですが、2005年くらいだったか、ココログに移行したのです。コメントもつけやすいし、更新したのも分かりやすいし、後から振り返っての検索もしやすいしと思って。

ただ、そのままホームページのほうを見てくださっている方も少しいらっしゃるようだったので、その後も前のホームページのほうにココログと同じ文章を更新し続けておりましたのです。

しかし、今回の引越しに伴って、マンションのLAN環境を使えることになったので、じゃあフレッツADSLも解約、ニフティーのそれ用の契約ももっと簡易な(安価な)コースに切り替えていいかーと。いけませんでした…。

そう、ホームページの利用者は乗り換えてはならないのでした。それは書いてあったので知っていたのですが、すっかりココログは大丈夫っぽいから乗り換えてもいいかと。今も更新作業をしているにも関わらず、自分がホームページをもっていることを忘れてしまっていました…。

形あるものはいずれ…ということで、それ自体はそういう時期を迎えたってことだろうくらいに思っているのですが、あちらに赴いてくださっている方に対して何の挨拶もせずさくっと消してしまったのは、なんとも申し訳なく。

ここで謝ってもしょうがないんだけど、謝らずにはいられないので、(まさに)この場を借りて、ごめんなさい。今後はこちら一本で、引き続きあれこれ書いていくと思いますので、どうぞよろしくお願いします。昔書いたもので、まだこちらに移行できていないものも、いずれは一通り載せたいと思っています。おばあちゃんになってからかもしれないけど。

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