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2009-09-20

全身おめかし

シルバーウィークは(土)仕事、(日)休み、(月)仕事、(火)結婚式、(水)仕事という感じで過ごします。というわけで、火曜日に結婚式します!ではなくて、友だちの結婚式に参加します!ので、数年ぶりにおめかしの必要に迫られています。前におめかししたのは、かれこれ2、3年前のいとこの結婚式だと思います。あれから一度も口紅をさしていないのではないかと…。

しかし今回は、シルバーウィーク後半ということで、あのときよりは余裕があるので、もう少しきちんと準備を整えて臨もうと思い、まずはやることを整理してみました。まぁ今朝になってようやくですが。まずドレス。これは以前何の使うあてもなく購入してずっと収納に眠らせていたドレスを着ていこうかと。ようやっと日の目をみる。白地なのが気になるけど、まぁ柄物だし、いいかと(母に電話して確認した、普段一切相談をしないので「相談がある」と言ったらちょっと緊張してたふう。ごめん、こんな相談で…)。

さて、ここで気を抜いてしまっていたのは過去の私。数々の失敗体験を通じて、この先を考えることを覚えました、一つひとつ、10数年かけて。まず靴。これはそれこそ10年近く結婚式やパーティーといえばこれを履いていっているというのがあるので、それを今回も使うということでOK。

次、バッグ。バッグも以前、当日朝に「バッグのことまで考えてなかった!」となり、式に向かう途中デパートに寄って購入して入れ替えて持参した無難なのがあるので、それをもっていくのでOK。いいのだろうか…。

続いてアクセサリ。これが困った。まず、祝い事といえば毎度使ってきた唯一のネックレスとイヤリングを前回の結婚式途中になくしてしまった。そして、ネックレスは別のものが一つあるのだけど、あのドレスには大柄のほうが合うような気もする。この辺がよくわからない。これは明日お店に行って写真見せて相談しようかしらと思っている。イヤリングもあったほうがいいかしら…。

それとあわせて、肩にはおるものが必要。長いドレスなので、横浜までの移動は別の服にしたほうが良さそうだと結論づけたのだけど、式と披露宴のとき肩を出しているわけにもいかないので、これをどうしたものかと思案中。母に相談したところ、明るい色のショールがいいんじゃないかということだけど、どんなんだろう、よくわからん、これも明日どこかのお店で写真見せて相談しようかなと…。

次、祝儀袋、袱紗、包むお金。銀行行ってきた、祝儀袋は明日買う。袱紗もってる。大丈夫。

髪の毛。今日、美容院に行ってきた。そしたら4ヶ月ぶりだった。そのことに驚いた…。「hysさん、このまま行くと年間3回になっちゃいますよ…。頑張りましょう」と言われた。

前回までは、ここまでで準備完了していた。で、当日朝「あ、メイクは…。あ、髪の毛…」と気づき、結局通常どおりプラス「口紅をさす」に留まっていたのだけど(って通常はどんだけって感じですが)、今回はまた前回までの学習を活かして一つバージョンアップ。

つい先日、某鷹野さんに「hysさん、たまには化粧しなさい」と諭されたのも何かのご縁。ということで、今回はメイクとヘアメイクを当日の朝お店の人にやってもらうよう手配した。なので、きちんと普通の人っぽく全身おめかし風に仕上がる予定。

さらに、事前に「メイク落とし」を買っておくことを思いついた。手元に通常の洗顔料の上をいく「メイク落とし」的な洗顔料がないので、これを買っておかないと“消せない”のではないかと不安になった。頼んでおいてなんだけど、できるだけ薄化粧でお願いしたいような…。自然体ってことでお願いしよう。

いやー、ここまで気がまわった結婚式って初めてかも。というわけで、明日は祝儀袋とショールとメイク落としを買って仕事します。あ、あとアクセサリだ。これを今後の「結婚式参列の際の準備マニュアル」とします…。

2009-09-10

自分で自分の手段を選ぶ

だいぶ日があいてしまいました。今はもう秋ぃ、誰もいない海ぃ。あれこれあったりもしたのですが(いや、ありすぎた…)、なかなか書くに至らず日々が流れていってしまいました。

いろいろ考えていると、どんどん発言することが難しくなっていく感じがします。それは私がずぼらというのも一因ですが、それはおいといて。アウトプットの場には選択的であろう(それを発言するのに適切な場を選ぼう)というポリシーめいたものがあって、まぁそれに限らず、手段に対してはできるだけ選択的でありたいという思いがあります。目的や状況にできるだけ最適な手段を選ぶということ。

でもそういうことを考えていくと、ほんといろんなことを自由に話せなくなっていったりもするんですよね。こういうののバランスは、今の世の中ではすごく難しいなって思います。人と人との関係も「仕事」か「プライベート」かでそう単純に割り切れないって環境下に身を置きつつ、新しい概念をもったコミュニケーションツールやアウトプットの場が出てきて、みんなが各々の価値観で使っている状況。

例えばTwitterとかmixiとかブログとかの場では個々にいろんな枠組みでコミュニケーション形成がなされていて、その中である人は「そういう発言はここですべきじゃない!」と考え、ある人はそれに対して「それって自分の価値観の押し付けじゃないの?」と考える。

でもつまるところ、「いろんな使いようがあって、いろんな捉え方がある」ってことにしか着地させられないのが現代かなとも思われる。新しく出てきたコミュニケーションツールには、「世の中的に合意形成されたこれという使い方の基準はないよね」ってことを前提に、それぞれが一対一のコミュニケーションに向き合っていく必要があるってことかな、当面は…とも思います。その一方で、メジャーになっていくツールには「一応これが世の中的に合意がとれた使い方の基準です」ってものを作っていく動きも必要なんだと思いますが。

例えばTwitterで、自分はfollowしていないけど、相手からfollowされている状態でもらった@コメントに気づいてリアクションするには、(普通のTwitterの画面で利用していると)定期的に@コメントのページをチェックする習慣が必要になるわけだけど、その辺を習慣としているかどうかは人それぞれな気がする。これはTwitter側でわかりやすいように作り変えればいい話かもしれないけど。

ともあれ、あらゆる手段が多様化している現代。大きいところでは生き方だってそう。身近なところで日常の言語的なコミュニケーション手段だけとっても、ブログもあるしTwitterもある、誰かのブログエントリーにコメントしたり、トラックバックしたり、ソーシャルブックマーク上でコメントしたりも選べるし、メッセンジャーもあるし、メールもあるし、Skypeもあるし、携帯メールもあるし、もちろん電話もあるしFAXも郵便もある。そして忘れちゃならない「会って話す」もある。

私は「何が一番本来の目的や今の状況に適っているのか」という視点で手段や道具は選ぶようにしているつもりだけど、それはやはり私の主観の上にあるわけで、人には人の主観がある。あらゆる選択肢がわんさかある世の中で、これはこういうときに使うべき、こういうときには使うべきじゃないという認識は人それぞれ。

ってなると、これという正解はないだろうけど、ないことを前提に自分の意思で「これが一番いいと思う」という手段を選んで、選んだからにはその選択に対して自己責任をもつ。この辺の考え方に関しては普遍的なものなんだろうなと思う。またその一方で、あんまり考えるばかりで発言を躊躇しすぎていても何にもならないし、その辺頭でっかちにすってんころりんしないようにやっていきたいなーとも思います。

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