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2009-08-13

湯船と洗い場の間に

今日プールの後にフィットネスクラブのお風呂に入ったら、湯船と洗い場の間に間仕切りみたいなのができていた…。何これ、ものすごい圧迫感!赤いとこに目障りな壁が…。

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どういう経緯かはだいたい推測できる。あれこれ注文をつけるおばさま方に、「湯船浸かってると洗い場の水が入ってきていやなのよね、どうにかしてくれないかしら」とか「仕切りを作ってほしいわ」とかいう話をもらってそのまま作っちゃったって感じじゃないかと。

でも、あれはないわー。明らかに全体としての環境を悪くしている。人間には「開放感」を感じ、それが損なわれると「圧迫感」を感じるという特性があるのだよー。そこ踏まえて考えなきゃ。

ものを追加すれば、一方では何かが確実に失われる。あらゆるものは、そういう均衡の中にある。少数の大きな声にまどわされて、多数の声なき思いをないがしろにしてしまうのでは、サービス提供者としていかんのだ。少数の大きな声に従ったほうが楽だと思うかもしれないけどさ、そこは思想と志ですよ、あなた。

お風呂からあがってロビーのソファでゆっくりしていたら、チェックアウトするところの難波のおいちゃんが受付のお姉ちゃんに「いつからつけたの、あのお風呂の間仕切り」と突っ込んでいた。だよねぇと聞き耳。「いやー、湯船に洗い場のお水が入ってしまうのを避けるのに…」と受付のお姉ちゃん。「また誰かに言われたんか。言いたいやつには言わせときゃええねん。めっちゃ圧迫感あるわー」とおいちゃん。ですよねぇ、と私(心の中)。たぶんお姉ちゃんも、ですよねぇ(心の中)。心の中でおいちゃんに乾杯。

最近教わった江戸時代の思想家、三浦梅園の言葉。

枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け

枯れ木に花が咲いて驚くのは当然。それよりも、毎年春が来て花が咲く、そういう当たり前のことに目を向けられることが大事。何もないようでいて、そこに確かにある大切なもの。これって実はすごく難しいことだけど、ほんとそういう目と心を大切にしたい。最近この言葉を教わって、5年前に書いた「父が兄に手をあげた話」のことを思い出した。よろしければご一緒にどうぞ。

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コメント

おぉ、、これは、、、確かに想像しただけでも
圧迫感があります。
そして図入りで説明したまりさんの几帳面さにちょっと微笑みつつ。。

うーむ、しかしこういうお風呂は見たことないですなぁ。。

言われてみれば、そりゃ、一番湯船に近い人がシャンプーとかしていたら泡も入るかもしれないが。。
これだけ作るのにもお金もかかったでしょうに、、それを決意させるだけの声が多く集まったのでしょうかねぇ。

ですよねぇ、ベルさん。明らかにおかしいお風呂。この景観の損ない加減はちょっと異常です。絶対作っている途中で気づいたはず。天秤にかければ、一番湯船に近いところのお湯なり泡なりが入ってしまうかも?くらいの問題は明らかに軽すぎるのでして、作る前に頭の中で天秤にかけなかったことが問題と思います。そんなの全部ケアしてたら世の中壁だらけになっちゃうよ。いやいや、参った参った。あまりにすごい見た目なので、おいおいとりはずされるんじゃないかと期待しています…。

「何もないようでいて、そこに確かにある大切なもの」本当にそう思う。失ってから気づくんじゃ遅いのよね。

そうですねぇ、あやさん。失ってから気づくんじゃ遅いもの…、いろいろありますねぇ。だからこそ、目に見えないものを感じながらていねいに生きていきたいもの。しみじみ。

「ですよねぇ」
と、私もつぶやきました。
なんか、細かいことにいちいち反応しすぎな世の中ですよね。

ですよねぇ(笑)。
今のところ、まだ取っ払われていません…。
でもいつかきっと!

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