« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009-03-29

講演をする

ひょんなことから30分の講演をすることになりました。といっても普段自分が企画とか運営とかしているWebまわりの話じゃなくて(って話せないけど)、キャリアカウンセラー向けのものです。なのでそっち系の友人・知人には誰にもきかれません、きかせません…。

いやはやしかし、当然「hysさまにぜひともー」という依頼であるはずがなく、定例でやっている会の講演者が見つからず困っていたところ、ふいに主催者の頭に浮かんできたのが私だったというだけの話なので、何を話せば参加者にとって有意義な時間になるのか、うーん、なかなかムツカシイお題です。

年齢層は30代から60代と幅広く、皆キャリアカウンセラーの有資格者。まぁ一応これというネタを出して主催者がそれでOKというので、それで対象者に案内メールがまわって席は埋まったらしいのですが、今日ネタを具体的に考えていたら、あれ、こっちの方面の話のほうが潜在的ニーズにあっているのでは?ということになってきて。でももう案内出しちゃったしなーと、うなり中。

とにもかくにも、今は本業が繁忙期まっただ中なので、準備にさける日が今日しかないと思われ、まぁどうにかしようと思います。たぶん内容は、ここに書いていることの講演バージョンみたいな、私がたまにスイッチが入って居酒屋で熱く語ってる例のあれのシラフ版みたいな感じになると思います…。みんなに引かれないように頑張りますので無事を祈っていてください。来週日曜日が本番です。祈る方角は東方向でお願いします。千葉の友は西を。

2009-03-28

花粉症は3年で治る伝説

私が個人的に信じてること。花粉症は3年で治る。根拠は「信ずる者は救われる」だ。そう、「俺についてきたいやつは勝手についてこい」的根拠だ。これで、それはもっともだー、もっともだーと思う人はそう信じておくといい。きっと楽になれるぞ。3年経過してしまった人は効かないけど。私は昨年デビューなのでこの根拠をもって信じるほうにつく。今年が2年目、来年で終了ということになってる。あと1年かーと思ってる。それで治らなかったら潔くあきらめる。

もう一つたのもしい根拠を提示するなら、「雨降って地固まる」じゃなくて、それもいいけど「世の中、何が起こるかわからない」だ。もう少しかみ砕いて言うと、花粉症って「一回なったら一生治らない」っていうけど、そんなのどうなるかわかんないよね。だって人間一人の一生どころか、世の中レベルで何が起こるかわからないっていってるんだから、というのはどうだろう。だめかい、そうかい。

あとそうだ、この時期花粉症の話をしていると、「昔花粉症だったけど治った」という人や、「花粉症のはずなんだけど今年は何の症状もない」という人が出てくる。3年かどうかは別として、これが世の中的には一番信じる根拠にふさわしいネタかもしれない。「一回なったら一生治らない」って話は、そんな絶対のものじゃないと思う。それで私は「花粉症が3年で治った」という人にも遭遇して、ならば私も…と妄信中なのだった。

そう思うと、これがまた治ってきてる気がしてくるから人間ってたくましい。今期も初めは外出時忘れずにマスクをしていたんだけど、ずぼらな性格も手伝って最近はマスクをそうそうつけていない。あまり頑丈にいろいろ装備していると、花粉症が治っても気づけないじゃないか!そんな惜しいことあってなるものか!と。あえてそこそこ花粉に触れさせて適宜様子をうかがってみる必要があるのだ。

で、これが結構大丈夫なんだな。完治しているわけじゃないけど「1外出1くしゃみ」くらいでいける。これが来年は「3外出1くしゃみ」くらいになる見込みで、再来年にはよろしくお願いします!ということで。

この間ラジオのニュースで、もう何十年も足の不自由だった人が毒蜘蛛にさされて歩けるようになった話が出ていたけど、もともと10年前くらいには歩ける状態だったりして…と思って。毒が効いたわけじゃなくて、「歩けるんだから歩きなさい」と歩くきっかけを与えてくれたのが毒蜘蛛だっただけでは、と。

だから試すのは大事だよね。子どものときまずいと思った食べ物も、もしかしたら今はそういやな味に思わないかもしれない。時は知らず知らずいろんなものを変化させる力をもっているのだ。人間はそれになかなか歯向かえるもんじゃないし、だからわかりづらいけど変化に気づいてうまく対応していくことが大事だ。しいたけの味だけはずっと変わらないけど!

というわけで、しばしお休みしていたブログ。思いがけない人からのメールもいただき、ためこんでいる心のうちのつぶやきをちょぼちょぼ再び書いていきたいなーと思っています。その一つ目はゆるめにこれということで堪忍。さぁ、今日も仕事です。

2009-03-11

コンペとれた

3月1週目までお客さん案件のつくりものを仕上げては納め仕上げては納めしてきて、先日ようやっと社内向けのつくりものに再着手したのもつかの間。数日前の33歳の誕生日、コンペ案件のクライアントさんから、ほぼほぼうちの提案でお願いしたいという途中経過のお電話プレゼントをいただき、本日正式発注いただきました。

コンペというのは、私ほとんど経験がないのでして、これはまた独特の感慨深さがありました。正式受注となった今では、もはや成功させなきゃ感でいっぱいいっぱいなので感慨深さとかないのですが、「ほぼうちで」話を聞いたときの、あのなんというか、一瞬ながら明確に“許された”感じというのは、なかなか趣きのある体験でした(そんな頻繁に経験したいわけじゃないですが)。

こんな感覚は私だけかもしれませんが、「とったー」という歓喜というよりは、「あぁ、私この仕事してていいですか、いいっていってくれますか」という安堵感とでもいいましょうか。どんだけ追い詰められてんだって感じですが…。

なんか、そこには嘘がない、遠慮も気遣いもない純度で複数の中からこれと選ばれるというのは、こういう役割で自分が社会の中で生きていくことを一瞬許してもらえたような。それを受けて、そこで気をゆるめちゃ絶対だめだって思いと、一瞬だけ自分を許してあげようって思いとを、自分の中で静かに受け止める感覚というのか。言葉にするのが難しいんですが。

ともあれこれからまた大変な日々になりそうですが、紙に描いたことがきちんと結実していくように明日から仕込み作業に勤しみたいと思います。またしばらく気の張った毎日が続きそうです。気がついたら初夏だと思う…。そしたら今度こそバカンス!

2009-03-08

コラム書きました

書きましたとも。前の話で触れたとおり、ひと月の壮絶つくりものキャンペーンの最後をしめくくったのがコラム書きの納期。3月5日アップ。見事に2月過ぎてますけど…、“ほぼ”月一連載、今回のは「2月号」じゃなくてあくまで「第26号」ということでお茶を濁してみます。

今回は「具体性が重要!」という話なのですが、コラムのタイトルは「自分のキャリアを人に伝える方法」という、なんだかなーなタイトルで申し訳ないかぎりであります。なんなんでしょう、このタイトルの具体性欠如感は…。

採用面接の話してるんだから、せめて「具体的にうにゃうにゃする面接技法のほにゃほにゃ」くらい考えられただろうと思うのですが、原稿を送った後に「hysさん、タイトルお願いしまーす」ってメールが返ってきて、もう糸の切れたタコの頭で言葉を並べて送ってしまったタイトルなのでした。ごめんなさい。

しかし、そこで一区切りとはいかず、今回は出した後も自分の中で、うーん、やっぱり、うじうじ、がいつも以上にひどく、それはたぶん通常よりずっと自分の中で納得がいっていない状態だったからだと思われ。

それで隣のお姉さまに読んでもらって、本当にお願いだから率直にダメ出しをしてくれと懇願し、その回答が実に的を射たものだったのでとにかくそこだけでもどうにか改善しようと書き換え、みてもらってさらに書き換え、アップ後に一段落分を総とっかえさせてもらったというありさまです。ほんとすみません。でも、今の状態が今の私の精一杯であります。これで読んでやってください。

それにしても、やっぱりもっと潤いのあるネタを出せるように私本体を磨いていかなきゃどうしようもないわってことで、次回はもっとのびのびした文章になるようにインプットに努めます。もう今回は相当自分の中で、この仕事を受けていていいのだろうかとうねうね思いましたが、せっかくいただいている機会なので走りながら磨いていきたいと思います。

こういうとき、ほんとソーシャルブックマークをつけてくださる方には救われますね。少なくとも一人以上に何らかの何か(ってなんだ)を届けられたのだと思うと、心底救われます。感謝の気持ちをもって精進いたします。

2009-03-06

「よくやったとは思う」の後

2月半ばから昨晩まで、とにかく毎日が納期…みたいな感じで大変な状態でした。一日たりとも動き止めるべからずな状態で、ひと月の間に各社の提案書4本、レポート3本、枚数にして80枚近くを書き納め、私の人生史上最高記録を打ちたてました(記録更新の野望はありませぬ)。

その間もヒアリングに出かけ、打合せに出かけ、プレゼンに出かけ、クライアント先で社員研修のワークショップを1本、社内で一般向けのワークショップを1本開催し、その他もろもろもろっこでおおわらわでした。土日出勤も3週連続に突入し、完全に曜日感覚が麻痺した状態で2月が暮れていきました。

そうしてとにかく、一つずつアウトプットしては納めるしかあるまいとこつこつこつこつ仕事してきて、昨日コラムを書き納めたところで壮絶なひと月がひと段落。まぁ来期の提案書は通ってからが本番なので一息つけたというだけなんですが、ともあれ我ながらよく頑張ったなと思うのであります。

でもさ、結局自分ができていることってものすごく限定的なことなんだよね、というか周辺的なこと。どんなことだって自分一人でできるわけじゃないっていうのはもちろんそうなんだけど、私はやっぱり核心をもっていない。

10枚の提案書書くのでも周辺の9枚は自分で起こすけど、核となる1枚に書くネタは人から頂戴することが多い。それを組み込むから中身のある提案書になるわけで、私はそこにたどり着くための道筋とか、それを実現するための方法を描くだけだ。80枚書いたって何枚書いたって、そんなの本質的には枚数で何かを測るもんじゃなし。その辺、本とかの書き仕事と全然違うなぁと。

それでも私はそこに自分の仕える事があるんだと思っていて、核心を与えてくれる人と一緒に組んで、それを欲している人に届ける道筋を描いてつなげて、そこに何かが生まれるような場を作っていけるなら、そこに貢献したいと思う。それを自分で有意義だと思っているなら、そういう生き方でいいじゃないかと思う。核心と周辺の仕事は、優劣じゃなく両輪あってこそとも思うし。

時々そういう自分に空っぽさや薄っぺらさを感じて滅入ることもあるけれど、それはやっぱり一時的なもので、もとに戻ればそういう自分を受け入れる度量くらいこの歳になってもてている気がする。

ただこの間はぐさっと滅入った。実際の出来事としてはほとんど何もなかったといっていいくらいなんだけど、個人的にマイナスの風を心のど真ん中で感じ取ってしまって相当参った。それを一言で言い表すなら、他の人に「自分のやっている曖昧な仕事の価値を自分と同じ奥行きでみてほしい」という甘えた感情だったと思う。

んな贅沢なこと望むなというのが頭の中にはある。自分のやっていることを自分の中で意義を感じてできていれば、それこそ幸せなことじゃないかと思う。んだけど、どうもある一瞬の「間」に足元をすくわれて、本当にもう誰か一人でいいから、私の目の前で「あなたのやっていることは価値のあることだ」と一言言ってくれと心のうちで懇願した。

でもまぁそんなの頼んで言ってもらうもんじゃなし、それを家に持ち帰ったら、こんな甘えた想いを自分でどうにもできないなんてなんて情けないんだろうなぁという思いに、でも人間なんてそんなもんじゃないか、誰にも存在価値を認められず生きていくなんて人間にゃできんだろうという思いがやってきて。それで行き着いたところは、だからこそ自分の周りにいる人たちに、その人がいてくれることに自分がどう支えられているのか、何らかの形で届けながら生きていきたいなぁという思いだった。

なんというか、究極な状態に追い込まれるとそういう時にこそ感じられることってあるし、まぁ今回はそんなことを泣いたりほっとしたりしながら感じた繁忙期でありました。

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »