2月半ばから昨晩まで、とにかく毎日が納期…みたいな感じで大変な状態でした。一日たりとも動き止めるべからずな状態で、ひと月の間に各社の提案書4本、レポート3本、枚数にして80枚近くを書き納め、私の人生史上最高記録を打ちたてました(記録更新の野望はありませぬ)。
その間もヒアリングに出かけ、打合せに出かけ、プレゼンに出かけ、クライアント先で社員研修のワークショップを1本、社内で一般向けのワークショップを1本開催し、その他もろもろもろっこでおおわらわでした。土日出勤も3週連続に突入し、完全に曜日感覚が麻痺した状態で2月が暮れていきました。
そうしてとにかく、一つずつアウトプットしては納めるしかあるまいとこつこつこつこつ仕事してきて、昨日コラムを書き納めたところで壮絶なひと月がひと段落。まぁ来期の提案書は通ってからが本番なので一息つけたというだけなんですが、ともあれ我ながらよく頑張ったなと思うのであります。
でもさ、結局自分ができていることってものすごく限定的なことなんだよね、というか周辺的なこと。どんなことだって自分一人でできるわけじゃないっていうのはもちろんそうなんだけど、私はやっぱり核心をもっていない。
10枚の提案書書くのでも周辺の9枚は自分で起こすけど、核となる1枚に書くネタは人から頂戴することが多い。それを組み込むから中身のある提案書になるわけで、私はそこにたどり着くための道筋とか、それを実現するための方法を描くだけだ。80枚書いたって何枚書いたって、そんなの本質的には枚数で何かを測るもんじゃなし。その辺、本とかの書き仕事と全然違うなぁと。
それでも私はそこに自分の仕える事があるんだと思っていて、核心を与えてくれる人と一緒に組んで、それを欲している人に届ける道筋を描いてつなげて、そこに何かが生まれるような場を作っていけるなら、そこに貢献したいと思う。それを自分で有意義だと思っているなら、そういう生き方でいいじゃないかと思う。核心と周辺の仕事は、優劣じゃなく両輪あってこそとも思うし。
時々そういう自分に空っぽさや薄っぺらさを感じて滅入ることもあるけれど、それはやっぱり一時的なもので、もとに戻ればそういう自分を受け入れる度量くらいこの歳になってもてている気がする。
ただこの間はぐさっと滅入った。実際の出来事としてはほとんど何もなかったといっていいくらいなんだけど、個人的にマイナスの風を心のど真ん中で感じ取ってしまって相当参った。それを一言で言い表すなら、他の人に「自分のやっている曖昧な仕事の価値を自分と同じ奥行きでみてほしい」という甘えた感情だったと思う。
んな贅沢なこと望むなというのが頭の中にはある。自分のやっていることを自分の中で意義を感じてできていれば、それこそ幸せなことじゃないかと思う。んだけど、どうもある一瞬の「間」に足元をすくわれて、本当にもう誰か一人でいいから、私の目の前で「あなたのやっていることは価値のあることだ」と一言言ってくれと心のうちで懇願した。
でもまぁそんなの頼んで言ってもらうもんじゃなし、それを家に持ち帰ったら、こんな甘えた想いを自分でどうにもできないなんてなんて情けないんだろうなぁという思いに、でも人間なんてそんなもんじゃないか、誰にも存在価値を認められず生きていくなんて人間にゃできんだろうという思いがやってきて。それで行き着いたところは、だからこそ自分の周りにいる人たちに、その人がいてくれることに自分がどう支えられているのか、何らかの形で届けながら生きていきたいなぁという思いだった。
なんというか、究極な状態に追い込まれるとそういう時にこそ感じられることってあるし、まぁ今回はそんなことを泣いたりほっとしたりしながら感じた繁忙期でありました。
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