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2008-12-23

コラム書きました

あれ、なんか久しぶりじゃない?とか野暮なことを言いなさんな。クリエイティブ・タブロイド「withD」というサイトで月連載している(けど1月から数えるとなぜか年11回になる)怪奇コラム12月号をアップしました。今回は「できる」のレベル、5段階というお話。「後で読む」とか言わずに、さぁ、ほら、えい。

さて、今回の話は、あるテーマで「わかる」から「できる」の上位レベルに達するまでを軸にしているんですが、それを下支えする想いとしては、私たちが目指すべきは何か一つのテーマの「わかる」「できる」を超えた先にあるんじゃないかと、そんな壮大なイメージも秘めつつ文章を書きました。

別に秘めなくてもいいんだけど、そっちの壮大なテーマを具象的な何かと関連づけながら鮮やかに描き出すには文章力足らず、無理やり表現しようとしても昨日の話のように収拾つかなくなること必至なので、あまり無茶をせずに最後の一文にそういう想いを忍ばせて仕上げました。

で、収拾のつかない話の続きはここに書いて、友だちのよしみで無理やり読んでもらおうという魂胆…。つまり、そうやって何かを知って、それができるようになりたいと「知る」フィールドから「できる」フィールドに移動すると、そこはだまし絵のように「できる」レベル2につながっていて、そのレベルを2から5 まで上がっていくと、それはまただまし絵のように別テーマの「できる」レベル2につながっている。そこをまたレベル2から5へと上がっていく。

そうやっているうちに総体として自分の視座みたいなものが高まっていって、自由自在にあちこちの階段を移り渡りしながら上がっていくようなものではないかと。どの階段を捕らえてどっち方向に上がっていくかは人それぞれだけど、ともあれそれぞれの階段を上り続ける。

人には生死以外、終わりも始まりもないわけで、その間で終わりとか始まりを規定しているのはいつだって人間の頭だ。自然は江戸時代と明治時代の間に何の線も引いていないし、赤道の上にだって線が引かれているわけじゃない。人間の頭がペンをもって線を引いたり名前をつけたりしている。

最終的には自分の認識次第。連なりの中に断絶を設けて、次とか前とか上とか下とか長いとか短いとか言いながらそこに意味をつけて彩っている。もっと広い空、深い海を目指して。それが人の性、止めてくれるなおっかさん、なんて思う年の瀬。またわけのわからない話に。まぁ友だちのよしみで、はい。

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コメント

このコラムのシリーズ、愛読していますが、今回、ライトなようでいて深い、と思いました。

でも、たぶん、一番リーチしたい層に、この手の内容が届きにくいのが悲しいです。たぶん、上っ面だけみて「そんなこと知っている」とか思っちゃうんじゃないか、と。

teeさん、初めてコメントですね。さらに「愛読」だなんて、なんて奇特なお方…。ありがとうございます、ありがとうございます。
この手の話は確かに、本質的な内容の届きにくさってありますよね、人によって(笑)。その辺は、コラムで伝えるという手段自体が適さないんだと思います。がしかし、実は今の私の本職が得意とするところなので、そっちの手段で、そっちはそっちでがんばっときます!
teeさんも「あなたにこそ読ませたい!」的な人が身近にいたら、ぜひご紹介ください(笑)。何かの役に立つかも、立たないかも…。

いつも「そうそう!」という部分と、新しい気付きを与えていただいてもらう部分があります。
今回もそうでした!

実は最近職場の下級生を観てて感じるのですが、
「自分が知らなかったということを、恥じるというより当然のことのように堂々と主張する」人が結構いるんです。
特に実際に優秀で自尊心が高い子たちがよく口にするんですが、
「(間違ったことでも)そういうもんだと思ってました。」
「私たち先輩からちゃんと教育受けてないので知りませんでした。」
ということを実に堂々と主張して自分のプライドを守っています。

私自身でもいまだ、たぶん会社の常識として「知らなかった!」と思うことが時々あるし、「えーー、それは言ってくれなきゃわからないよ」と、「知らない」ことを自分の正当化として使いたいときがうっかりありますが、
これってやっぱり、、レベル1にも達していないということで恥ずかしいことだと思います。

あと、レベル4までですべて完了したと思いがちで、レベル5が存在するのだということをコラムを拝見して私も初めて知りました。
うーーむ、、まだまだ未熟です。でも気付きを与えてもらって有難いです。

ベルさん、コメントありがとうございます!知らないことがたくさんあるのはもう当然なんですよね。自分の専門分野という領域でも皆多かれ少なかれそうでしょうし、私など常識しらずなところが恐ろしいほどあるので、人のことなど何も言えません…。(笑)
が、知らないことを知ることができたなら、「知らなかった」じゃなくて「知った」ことに反応すべきだし、「知った」ことをどう受け止めて次にどうつなげたいかは、前向きに自力で考えていくべきじゃないかって思いますよね。それをどう捉えられるかが生きる力かなーと思ったりします。

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