« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008-10-27

コラム変えました…

先日の「コラム書きました」ですけれども、本日「コラム変えました…」。はい。なんか、UPのタイミングが諸事情により週明けの今日に持ち越しになるってことになり、ならばこの隙に!と大きな課題の一つであった「頭でっかち」なのをバランス整えました。帽子をぬがせて靴はかせた感じです。危機一髪。

といっても、もう一つの問題に手の入れようがなかったので今回はこれで…。残った課題は、今後のコラムづくりに活かして精進してまいる所存です。これを一応まとめておくと、って言うか自分用のメモを残させていただくと。

追加したい要素としては具体性、実践性。プラスして、ここのコラムとしての文章は、ネタは外からあれこれ気分でもってきつつ、そこから自分で「主題をおいて」「ストーリーを起こす」こと(これが、当然のことなんだけどまだやりきれていない感じ、軸足がふらふらしてる)。そこから、さらに役立つ外部の情報ソースを集めて肉づけて、もっと広がりある文章に仕上げられたら理想形。

そんなわけで、こちらはそんなことできていないコラムですが、前よりはバランスよくなったコラムということで、前のを読んじゃった方もよろしければBefore/Afterをお楽しみください…。

それにしてもこの週末は、土日とも仕事を終えて帰宅するやいなやばたんきゅーで、両日とも20時就寝でした。これでは「8時だョ!全員集合」も観られません。病み上がりで体力が落ちているだけなのか、土日出勤となると眠くなる体質なのか、単純に子ども化しているのか(はたまた老化?!)。

ともあれ今日からは朝のプールも再開しましたので、体力つけて本調子で頑張りたいと思います。もう10月も末、2008年も末ですよ。驚いた、驚いた。なのに雷に夕立ち。驚いた、驚いた。

2008-10-24

コラム書きました

風邪ひいたりなんだりで少し遅くなりましたが、今月もキャリアコラムをアップしました。クリエイティブ・タブロイド「withD」というサイトで月連載している「キャリア」コンテンツで、今回は「効果的な学習方法」の再考がテーマです。

毎回書いてますけど、ほんと文章をまとめるのが難しくてため息吐息。成長がないなぁ。話を具体化することを意識したら、終わりがしりすぼみになってしまい。じゃあ終わりの具体性を確保できるようにと始めの話を範囲狭めてみたら、なんかそもそも書きたかった核心がなくなってしまって、あららあらら。ともあれ、その時の状態よりはまともに仕上げましたので、部分部分でもおいしいところがあれば、ぜひつまみぐいしていってください。

あ、今回は「パワポ画家はやまり」の絵もご覧いただけます。絵心はダウンタウンの浜ちゃんより下、そこは超自信ありで昔から自覚しています。下手うま路線なのかなって思わせてごまかせるんじゃないか?という、絵が下手な人が考えそうなことを考えてみました。

もう少し突っ込んで書くと、どちらかといえばビジネス畑の人間(私)というのはこういうのを視覚化しようとするとき、なんでもかんでもExcelのグラフ機能に頼りがちなんです。私もExcelが自動で生成するグラフをそのまま使うことはないものの、とりあえずExcelにグラフ作ってもらった後、配色をいじって、ものの配置や大きさ、線の太さやフォントを調整して見栄えを整えるどまりがほとんどです。

でもそういうのって思考範囲が狭いまんまで豊かじゃないなぁって思うので、今回は絵で表してみようと思ったわけです。そういう試みって(たとえ絵心がなくても)大切じゃあないですか!ということで、寛容に受け止めてください。絵はいいとして、文はもっと頑張らんとなぁ。

2008-10-22

運命のすれちがい

ある日の昼下がり、渋谷のマークシティを歩いていたら、見知らぬ人に声をかけられた。すごく丁寧にお話しされるので、それに受け答えしているうち10分近い立ち話となった。

名刺をいただいて一通り用件をうかがったところ、某大手の保険会社で、中途社員のリクルーティングみたいな仕事をしている女性だった。募集をかけて集まる人ではなかなか採用に至らず、街中でキャリアがありそうだなぁと思う人を見かけると、時々声をかけたりしているとのこと。まぁ実際は、きっとそれ目的で街中を歩いているんだろう、大変なお仕事だなぁと思いながら話を聞いていた。

ちなみにその時は夏真っ盛りで、私は真っ白いTシャツ一枚(上)だった。お昼休み中で、歩き方もものすっごいのらーりふらーりだった。だから、そんな敷居高くない…。あとは持ち主を凌駕するごっついデカカバンの威力とみた。

ともあれ、そんなわけで彼女は「保険とか営業とかは未経験なんだけど、別のキャリアを積み上げてきている営業マネージャー候補」な女性に、ぜひうちの仕事をもっと知ってもらって興味があったら…みたいな目的で声をかけてこられたようで、「今度メールをお送りするので、そこで断ってくれてもいいので」みたいな話でその場は終わった。

で、私は個人的に、そっちのほうの仕事に転向する気がまったくなかったので(それはその時にも言っておいたんだけど)、その会社の他の方からメールをいただいた時にその旨を返信して、それでその話は完全に終わっていた。という何気ない日常の1ページだったのだけど。

その女性に今日地元で声をかけられた。なんという運命的な出来事。彼女もまたどんだけ守備範囲広いんだか。そしてまた、この「運命的」度数めちゃめちゃ高そうな現実を目の前にして、運命も縁もまったく感じられない私の興味のからっきしなさ。なんという運命のすれちがいでしょうか。彼女にしても私にしても、「もっと意味のあるところに運命をあててください!」と見えざる手に懇願せざるをえない。

その女性には、私はあなたに以前マークシティで声をかけていただいて、その時こうこうこういう話になって、こういう話に落ち着きましたという話をして、今回はあっさり終了。そんなこと言われたらバツ悪いよなぁとは思ったけど、何も言わずまた同じ話を10分繰り返してもお互い有意義でないのは明白だったし…。で、「そうでしたか、私も前にお声がけしたことある方かなぁとも思ったんですけど…」という、逆の立場だったら私は絶対覚えてません!という話を笑顔で受け止めて終了。まぁ、そんなこともあったりする人生は奥深い。

2008-10-19

全部タダでいいのか

超日記だけというのも、それがどうした…という気がして気持ちよく眠れそうにないので、もう少しまともな話を一つ。広告について最近思っていたことで、ちょうど数日前広告代理店の方相手にしみじみ語り聞かせてしまった話。以下、全然話まとまってないけど、答えのないなんとなくな話をつらつら。

昨今はあれもこれも無料尽くしで、このままいくと世の中の大方のものは“広告付きで無料”で入手できるようになるんじゃないかと思ったりするんだけど、それってどうなのかなーと。

確かにおいしい話だし、「今までお金とってたのがおかしいんだよ」って思考の大転換やってみるのも一つなんだけど、“好意で無料”って話じゃないからどうもすっきり腹に落ちない。“広告付き”って条件付きで、裏で法人間の莫大なお金のやりとりが行われている時点で、やっぱりなんとなく、この「なんでもかんでも消費者の手には無料」って流れはどうなのかなぁと思ってしまう。

誰かが一生懸命手塩にかけて育てたもの、何百・何千の試行錯誤の果てに生み出したもの、過去の経験や知識・スキル、センスや知恵や直感を総動員して創りあげたもの、そのすべてが平等に無料で消費者の手に渡る世の中というのは、どうなんだろう。作り手に対してその対価を支払うという単純明快な愛情の仕組みがすっかりなくなってしまうと、人の気持ちはどうなるんだろう。何か大切なものを見失ってしまわないだろうかと不安になる。

作り手個々人が判断してそういった流通にのることを拒めば、そうではない市場も残るだろうといえるかもしれないけれど、他方であらゆるものが大いに無料で配布されている世の中で、いったいどれだけの消費者がその市場を残すことに貢献してくれるだろうか。

今はまだ選択の余地があるかもしれない。けど、あらゆる分野のものが品質そこそこに無料で入手できる生活が定着してから生まれてきた人たちに、上質なものを知り欲する機会は十二分に与えられるだろうか。そういう機会がなければ、ものの質の差異性を知らない消費者は、あえて有料のものなんて欲したりしないし、その存在価値すら意味不明だろう。無料の、それなりのもので舌が慣れてしまえば、そのまま無料のもので生きていくはずだ。

そういうものとの出会いに興奮したり、より上質なものを生み出したいって奮起したり、そういう気持ちを交換し合ったりできない世の中になってしまうとしたらつまんないなーと。私もあれこれの品質がわかる人間じゃないけど…。

あと、広告と消費者の関係もまた、「あれを無料にしてやってるんだから、広告見なさいよ」「はいはい、分かりました、分かりましたよ!」みたいな“無理やり見せる”系になるとしたら、なんか本来的でないなーって残念に思う。

Amazonのレコメンド機能とかって実際役に立ってるし、あんな感じで、広告っていうのは本来「その存在と価値を、それを潜在的に欲する人に気づかせて手元に届けるための橋渡し役」みたいな、もっと健やかな価値をもったものだと私は思っているんだけど。だから、それ以上にもそれ以下にもなっちゃいけないというか、そうなっちゃうと存在として無理が出てくるのかなーと思ったりしているんだけど、どうなんだろう。私は広告ビジネスはまったく門外漢だけど、善良な一市民としてそんなことをぼーっと思う今日この頃です。

※あ、すごくナイーブな話でうまく言い表せていないと思いますが、広告を収入源とするものを、相対的にみて品質悪いとかどうもなぁとか思っているわけじゃありません、もちろん!そういう話じゃなくて、えぇ、意図を汲み取ってやってください…。

復帰のもよう(超日記)

なんだか結局この1週間も体調不良花盛りで、前半の無理がたたって、半ばから違うお医者さんとこにかかったり、終日休みをもらう日があったり、もがき苦しんで一睡もできない日があったり。いやー、金曜の晩はほんとどうなるかと思いました…。

土日はなんとしても出勤して仕事しないといけなかったので、金曜の深夜このままでは非常にまずい…という焦りと身動きのとれなさに、救急車呼んで数時間で快復する糸口を探ろうかとも思いましたが、区の救急対応の人がとても不親切だったので大ごとにならずに済みました…。結果的に良かったので、なんとなく感謝。で、とりあえず土・日曜の仕事を無事に終えて、体調もひと段落しました(たぶん)。

気づけばもう10月も下旬なんですねー。下期のスケジュールも具体的に進めていかねばなりません。いやー、時の流れの速さにびっくりびっくり。しばらく「その日最低限の仕事」しかせずになまけさせてもらったので(個人的にはかなり戦ってましたが)、今週からはしっかり仕事せねば…と思っております。

で、なんとなく当分は休みという休みがとれなさそうな予定になっていますが、「平日休みで、家でやらなきゃいけない仕事がある」という微妙なゆるみのある日は確保できるので、そこをできるだけ気持ちよく過ごすようにしたいと思います。上旬に相当睡眠時間とったからもつかなーという希望的観測。

今の夢。箱根仙石原温泉に行ってススキの草原を眺めること(ラジオでやってた)。見頃のうちにいけるかなー(すでに見頃だそうです)。まだ伊東のサンハトヤにも行ってない。うーん、さ、3年以内には行きたいなぁ…。いや2年。最近散策に精を出してる父に代わりに行ってきてもらうとか…。

2008-10-12

薬の過剰摂取

えっと、申し訳ありません。昨日「今年の風邪体験記」の中で、処方された薬の数が足らんとお医者さんのせいにしていた私ですが、自身の不注意(プラスα) により短期間に過剰摂取していたことが発覚いたしました。1回1錠のところ3錠とかのんでいたわけで、そりゃ3倍速でなくなりますわね…という話。False_4

なんでこんなことが起こってしまったかというと、こちらの写真をご覧ください。

この「本日のお薬の説明」の紙の各薬の名前の右側に書かれている錠数。これってぱっとみて何を表していると思いますか。私はこれを1回分の錠数と思い込んでいたわけですが、どうやらこれは1日に消費される錠数らしい。そんなのってあり?

まだ処方した錠数の総数が書かれているならわかります。そうしたら数も10とか15錠になっているわけで、いくらあんぽんたんな私でも1回に10錠ものもうなんて思いません。でも、1回分でもなく総数でもなく、間をとって1日分の錠数って…。私にはどうしても、それをこの場所に明示する理由がわからないのですが、私が一般の人の感覚とずれているだけなのでしょうか。True_2

で、これが発覚したのは思い切り過剰摂取して薬がすっからかんになった本日の朝。こちらの写真をご覧ください。

これは明らかに、すべての薬が1回1錠という意。「あ、ああぁぁーっ」というわけで、まぁ、私にも踏みとどまる余地は十分にあったのに注意不足で間違った方向に突き進んでしまったわけです。

さぁ、薬を一気に2倍、3倍のんだところで、体調が2倍、3倍速で治るわけではないことは私が実証しました。皆さん、薬は適正な量を適切なタイミングで服用するようにしましょう。そして「あれ、なんかおかしいな」と思うことがあったら、きちんとお医者さんに確認するようにしましょう、事をなす前に…。

2008-10-11

今年の風邪体験記

今年の風邪はねばちっこいです。ひかないに越したことはありません。まぁそれは今年に限らずのことですけれども。ただ、この時期ひくべくしてひいたような気がしなくもない私はただいま混沌の中におります。人生には、こっちから仕掛けなくてもあっちからやってくるイベントというものがあるものです。

それはさておき、今私の周りでは風邪が大流行です。この風邪がほんとねばちっこくてなりません。うちの会社には脱水症状を起こして病院に行くやいなや即入院を命ぜられた女の子もいます。風邪をばかにしちゃいけませんね。

私も今週月曜の晩あたりから本格化して、火曜の午前中には同僚から「hysさん、顔がほろ酔いになってますよ…」と言われておりました。それで最低限の仕事を済ませて夕方切り上げてきたのですが、そこからどんどん悪化していって水曜は完全停止。木曜も最低限の仕事をして早々に切り上げてきたものの、寝れば寝るほど悪化。症状は喉の痛みに始まり、鼻水、熱、頭痛。

木曜の晩は熱も38度近くなり(平熱が低いため通常+2度)、もうこの頃になるとへとへと状態です。ねばちっこい風邪は疲労困憊なところに追い討ちをかけるようにしてもっと重たいのをのっけてくるので、ほんとぐったりします。とはいえもう会社も休んでいられないので、病院の薬に切り替えたほうが良かろうと判断し(遅い)、夜間やっている診療所を調べて行くことにしました。

そこがまたかなり微妙なお医者さんで、答えられない質問のオンパレード。何の補足説明もなく「PLって風邪薬出すのと、症状にあわせてそれぞれ薬出すのとどっちがいいですか」「抗生物質はいりますか、いりませんか」「1日2回と3回、どっちがいいですか」「3日分と5日分どっちがいいですか」、しまいには「ロキソニンと○○とどっちがいいですか」って「んなもん、知らんがな」と笑って突っ込みいれそうになりましたが、その後「双方のメリットとデメリットは?」とか質問返しする元気もなく、「いやー、どちらと言われても…」と返しているうちに勝手にどうにかなっているので、それに任せることにしました。

それで薬を飲んだ後は布団をかぶって眠り、1時間半して目が覚めると全身汗びっしょり、着替えてはまた眠り1時間半後にまた目が覚めて全身びっしょり。このワークアウトを4~5セット朝まで繰り返し、熱下がって出社。これだけ汗かけばもう大丈夫だろうと思っていたのですが、金曜の午前中超集中モードで仕事して打ち合わせ開いて午後外出して夜会社に戻ってきたら、一気に緊張の糸がきれたのか自席に腰をおろすやいなやパッタン。

で、まだ治っていないのですが、あのお医者さんがくれた薬はいずれも個数がずれてて、1回2錠、1日2回、5日分って書いてあるんなら20錠入ってるもんなんじゃないのって思うのですが、なぜか10錠しか入っていない。どの薬もそんな調子で、すでに薬が切れてしまい、あとは自力で治すかなーという感じ…。元気なうちにかかりつけの医者は選んでおいたほうがいいですねぇ。

どうか皆さま、風邪はめされませんように。咳き込んでいる人がいたらダッシュで逃げてください。風邪ひいてる人は極力マスクを。私も会社の男子に「hysさん、これから集会ですか?」とか言われながらマスクしてます。

2008-10-06

表彰してもらった

今日は半年に一度の会社のキックオフミーティングがあった。その後のパーティーで毎回社長賞が発表されるんだけど(ということすら忘れていたけど)、それに加えて数名に授与される社長奨励賞なるものをいただいてしまった。驚いた。前にチームでもらったことはあるけど、個人で何かの賞をもらうなんて小学生以来じゃないか…。

単純に嬉しい、ありがたいって気持ちももちろんあるんだけど、なんというか両親に教えてあげて、良かったねぇって言ってあげたい気分になり、また研修サービスをわが子化して、良かったねぇって言ってあげたい気分になった。

自分が賞をとったというより、母一人(私)子一人(Webの研修サービス)で近所の皆さん(講師とか他部署の皆さんとか)に支えられながら生きてきて、その子が何か特別な賞をもらったときの母心のような感覚。

うちは営業会社なので、基本売上インパクトのある方に注目が集まりやすいんだけど、そういう中で今回こちら側に光をあててくれたのは私の上司の計らいだと思う。だから、きっとそういうのがなかったら賞なんてもらわなかったと思うし、私の中に優秀性があっての受賞というふうには思わない。

と言うと卑屈に聴こえるかもしれないけど、やっぱり私は嬉しい。こつこつお客さんのためにやってきたことや、それなりに戦略を練って取り組んできたことなどが実を結んで、人を育てるサービスの価値とかポテンシャルに会社が目を向けたということが嬉しい。まだその難しさとか品質の良し悪しまで共有できてない気はするけど…。

とにもかくにも、今後も私ができること、会社ができることを育てつつ、形にこだわらずにより有意義な学習の場を作って提案して提供して法人・個人のキャリアをバックアップしつつ、社内の営業活動にも貢献していきたいなぁと思います。

それにしても、会社の人は皆一様に「おめでとう、ごちそうさまです」と声をかけてゆくのだけど、「おめでとう、今度ごちそうするよ」ってのはないんですか。麻雀にも誘われたけど、役を3つしか知らないからと失礼して帰宅。…したら会社から電話があってもう一度出勤したほうがいい状況になって2回目の出勤。結局夜中まで仕事して帰途について発熱。早く寝なきゃ!と思いつつ、でもやっぱり嬉しい記念だから書いちゃった。明日両親に教えてあげよう。

2008-10-05

大丈夫か、日本。

「学校の名簿 男女別は差別?」って、おいおい。そんなの「差別」のほかに「区別」って概念があることを認識できてないだけじゃないか。男女別の名簿なんて単なる「区別」だと思うんだけど。んなこと言って世の中の「区別」を全部とっぱらっていったら、ごっちゃごちゃになっちゃうよ。ってそういう話じゃないのかしら。苦情を言う側はおいといて、受け止める側の対処がこれというのはどうなんだろうか。大丈夫か、岩手。しっかりしろ、日本。なんでこれが議論のテーマになるんだ。なんでこれが新聞記事になるんだ。なんなんだー。

ところで一昨日、ひとり川原に立って、右手に握りしめてるしいたけを水面に向かって思い切り放り投げる夢を見た。たったそれだけの夢だった。しいたけは数十年来の宿敵だけれども、それにしたって。いったいなんなんだー。

私がおかしいのか、世の中がおかしいのか、全部しいたけの仕業か。いや、それはいくらなんでもしいたけに悪い。今回の夢だって、無意識とはいえしいたけには申し訳ないことをしたと思ってる。本当だ。

と、公私ともにいろいろ思うとこある今日この頃ですが、遅ればせながらこの週末の土曜日で今年の夏納めができた気分。今年のっていうよりここ数年分まとめて。いい天気だったし、懐かしい空気を吸った。で、今日から秋到来。早速風邪ひいた。そういうとこだけ流行に敏感。明朝には治っている予定…。以上、秋初日の雑記でした。

2008-10-01

「わかりやすいもの」と「わかるもの」

確かに「わかりやすい」と「わかる」は、違うと思いますね。

とは、北川一成さんの「変わる価値」という本に出てくる、グラフィックデザイナー佐藤卓さんの言葉。これは目から鱗だった。その後こう続く。

今、世の中は、なんでもわかりやすく作ろうとしていますが、わかりやすくするから、逆に届かないものになっちゃうということがある。だから、わかりやすいではなく、わかるものを作らなきゃいけないんだと思うんです。じゃあ「わかる」ってなんだろうと。それは、不思議さも含めて腑に落ちること、自分の中に入ってきて、さらに興味を抱くっていうのが『わかる』だと思うんです

ものづくりの担い手は、「わかりやすい」ものじゃなくて「わかる」ものを作らなきゃ。というのは、これこそ「わかりやすくはないけど、わかるなぁ」って話だった。

「わかりやすい」と「わかる」は、似て非なるもの。そこには距離1ミリメートルにして、実はものすっごい歴然とした差異があるんじゃないかと。実際に作るときの作り方のアプローチが全然違う気がする。「わかりやすいもの」は論理を積み上げていった先に何らかの妥当な答えを見つけられる気がするけど(その論理性の高さを求められているような)、「わかるもの」はつまるところそういう道筋でつかめるものじゃない気がする。

「わかるもの」っていうのは、日頃からそれについてうんうん考えている人のもとに、ある日突然、隕石のようにドーン!と落っこちてくるようなもんじゃないかと。論理を積み上げていけば必ず到達するほどの必然性はなくて、かといって日頃からうんうんと考えていない人のもとに落っこちてくるほど偶然の産物でもない、というような…。

そしてその隕石の中にこそ、論理の積み上げでは生み出しえない「不思議さも含めて腑に落ちること」「自分の中に入ってきて、さらに興味を抱く」って要素が詰まっている気がする。そんな不安定なものだからこそ、成功体験と志しと闘志と度胸のある人はそれを追求できるし、ない人はそこに踏み込めないというか。

ただ、やっぱりこの言葉に触れると、こちらに導かれる。使い手にとって本当に価値をもっているのは「わかりやすいもの」じゃなくて「わかるもの」。作り手にとって本当にワクワクするものづくりも「わかりやすいもの」じゃなくて、みんなが皮膚感覚や身体感覚で「わかるもの」を作ることじゃないかと。「使いやすいもの」もおんなじかなぁと。

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »