比較的幼い頃から「巫女っぽいよね」という、褒めてるのかけなしてるのかよくわからない形容をされてきた私ですが、別に巫女的パワーをもっているわけではありません。先日の話のように「風が吹いてる」とかいうと、私が感じているよりはるかにミラクルな巫女パワーを内に秘めているのではと妄想される方が見られますが、んなこたぁありません。
私は自分を過信することほど恐ろしいことはないと思っているので、自分が感じている「風」のことも半信半疑でみています。風が吹いているとは思うけれど、次吹いてきた風に考えなしに乗っかろうという気もまったくありませんし。ただ半分は信じているので、いつも以上に感覚を研ぎ澄まして風の音をよく聴こうという感じ。そこで風を感知した後、それを吟味して乗っかるか乗っからないかを論理半分+直感半分で決めるのは、通常となんら変わりません。
ただ、実際あの話を書いてから想像以上に早い展開で外からの風が起こりだしてきて、それが一つや二つではない連なり加減であることに、自分自身ちょっと驚いています。あら、本当に吹き出したわ…というか。この半年くらいでいろいろ環境変化が起こるだろうとは思っていたものの、こう急展開で起こりだすと、私前世は巫女だったんじゃないかしら…とか。
んなこたぁ思いませんが、人には元来そういう力が備わっているとは思っています。ただ、世の中が便利になればなるほどそういう力を意識して使うことがなくなってしまい、現代人のそういう力は昔より相当弱まっていると思うし、現代でもそれを意識している人は多少なりとも発揮され育まれてもいるだろうけれど、そうでない人の力は限りなくゼロに近い状態だろうと、そういうふうには思っています。別段オカルト的な発想でなく、普通に「人の機能」として。
とりあえずここ数日でわが身に起こったあれこれは、私に外的な変化をもたらすものというより、今後の外的な変化に備えて、私の中に内的な変化(気づきや成長)を引き起こすための機会として起こったのかなぁと思っています。
実際そのおかげで、私は毎日のように自分の考えや読みを人に語る機会をもつことになり、そこで話した直後から、本当にそうなのかって自分に問い直すことに
なり、そうして自分が漠然と思い込んでいたことが不確かなものになっていったり、再考する機会を得て、私の中では相当な内的変化が起こっています。
ここ半年くらいで自分の内側が変化することは必然になりつつあります。それを着実に進めて、これから本格的に起こってくるであろう外的な変化に自分らしく適応したり道を選択したりできるようにしておく、そんな時期なのかなぁと思っています。まったく答えは見えないけれど、地に足をつけて、自分の内的な変化にあわせて自分の行動も高めていかなきゃって思う今日この頃です。
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