パナマと日本
パナマは熱帯の国。熱帯ということは一年中蒸し暑いのであって、つまり「来る日も来る日も一年中蒸し暑い」ということだ。ところ変わって、アルバ島は「来る日も来る日も一年中東から風が吹いている」のだそうで、それも昼夜かまわずずっと。「んなアホなことありますかいな」と突っ込みいれたくなるほど、四季に慣れきった私には現地の具体的な生活イメージがわいてこない。
だけど、パナマやアルバに限らず一年中同じような気候の中で暮らしている人は少なくないようで、見方を変えれば春夏秋冬がこれだけはっきりしている日本の暮らしのほうがよっぽど珍しいのかもしれない、とはっとさせられた。
このお話は、香取一昭さんが「もう一つの日本人論」の中で取り上げているのだけど、香取さんの言及はこれに留まらない。うなった文章を以下引用…。
パナマに行ってから、四季があるということが、日本人の楽観的な性格に大きな影響を与えているのではないかと思うようになった。「冬きたりなば、春遠からじ」という言葉に代表されるように、我々はどんなに厳しい冬であっても、やがていつかはさわやかな春がくることを知っている。また、どんなに厳しい夏であっても、いつかは「天高く馬肥ゆる秋」がくることも知っている。どんなにつらい時であっても、そのうちどうにかなるさといった楽観主義を日本の四季は教えてくれているのかもしれない。
春夏秋冬が「日本人の生活に独特のリズム感を与え」、「精神世界にも多大な影響を及ぼしている」という話。なるほどぉ。そしておそらく私たちは、四季が繰り返されるのをなんとなく受け入れていく過程で、自然界に「繰り返しが起こる」ことも学んでいくし、とはいえまったく同じ夏もまったく同じ冬もやってこないことから、繰り返しているようでも「まったく同じことはやってこない」ことを自然のうちに学んでいるんだろうなぁとも思った。
どういう環境の中で生きているかによって、人それぞれ、環境に学ぶことも違うし、同じ物事や事象に向き合っても、背景となって意識にのぼってこない人もいれば、表に浮き上がって強調されて見える人もいる。そういう話が詰まっていて、すごく面白い本だった。
- 各人が背景にもつ「環境」は限りなく多様性に富んでいること
- 人はその「環境」に大いに影響を受けること
- 「環境」という背景にまわっているものだから、自分がその環境からどんな影響を受けているかにはなかなか意識が及びにくいこと
頭でわかったつもりでわかっていなかったことを少しだけわかった気がした。
« 「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」 | トップページ | 人が倒れてたとき »
コメント