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2008-01-31

コラム書きました

なんだか最近「作りもの」仕事にうずもれています。といってもサイト作りではなくて(作れないけど)、台本を作るとか提案書を作るとか、コラムやコピーを 書くとかの文章ものです。まぁ作ってなんぼの仕事なんですが、平日日中は諸々業務と会議・接客をこなし、平日晩と休日で作りものに励む日々です。もう少し 頑張ったら、曜日感覚を取り戻したいと思っています。

で、ここのところの作りものの一つで、遅ればせながら今年初コラムがアップされたのでご報告です。今回は「業界」と「職業」の未成熟さを愉しむというテーマで書きました。お時間許しましたら、ぜひ読んでやってください。

今回もまた、というか、いつもにまして生みの苦しみを経てのもので、もう数日おいているというのに未だまったく客観的な評価の目をもって自分の文章が読め ない状態です。言いたいことが伝わる文章になっているのか、誰かに何かを感じてもらえる中身が詰まっているのか、その程度が、実に謎です。

とりあえず編集の方のOKがあって出しているので、まぁ大丈夫ってことでいいんだろうということにしていますが、感想も酷評もありがたく頂戴しますので、 「読んでこんなこと思った」とか「ここがいけてない」とか、思うところがあればなんでも聞かせてください。 今回は取り上げたテーマも微妙なので、あー、そー、へー、かもしれませんが。まぁ、えぇ、そうなんですよ、はい。

2008-01-27

見えにくい仕事

どちらかといえば目立つ仕事でなく、日々の積み重ねで確実に会社を支えている仕事というのがあります。「運用系の仕事」とか「コストセンターに属す仕事」 とか「非正規社員に割り当てられる仕事」とか。なきゃまわらないし、その品質如何で会社の存在価値が大きく変わる大切な仕事なのですが、業績に与えるイン パクトで捉えると、その意義が見えづらい仕事というのか(という浅薄なものの見方が、私にはどうも理解できないんだけど)。

私は最近、自分が「この人たちは本当に会社を支えている、仕事できるし、日々の電話のやりとり一つひとつでお客さんに極上のサービスを提供しているし、う ちの会社にとってすごく貴重な存在だ」と思ってきた人たちに、そのことを切々と語る機会をもちました。どこがどう素晴らしいのか、気持ちを込めてお話しし ました。あー、すみません、酒の席です、はい。

そういうのって、日常静かに感じていても、なかなか伝える機会がなくて、そのままずるずると時を経てしまう。そしてまた、わかる人は無言ながらも感謝はし ているんだけど、インパクトのある成果をあげる仕事と比較すると、どうしても評価する人の数が減ってしまうところがあります。上から見えにくいとかよそか ら見えにくいとか。

でも、そこが会社を支えている部分って実際ものすごく大きいわけで、今回その想いを一生懸命伝えたわけです。一人の女の子はそれを聞いて「そんなことを 言ってもらえたのは初めてだ」とボロボロ泣いてしまいました。私は私で、なんでこれまで、こういう気持ちを伝えてこなかったんだろうって情けなくなって、 目頭が熱くなってしまいました。(なんか夜8時台のテレビドラマみたいな居酒屋風景に…)

私が感じること、感謝してること、あなたすごいよって思うこと、もっと率直に、躊躇せず、機会があればその時に…じゃなくて、自分で機会を作って伝えてい くのって大事なんだなって、思いました。伝えないと伝わらないことってたくさんあるし、伝えられることで救われることも、伝えられないことで静かに確実に 損なわれていくものも、たくさんありますよね。自分が伝えたいこと、自分だから伝えられること、もっと大切にしないとなって反省しました。

2008-01-24

エアコンの翼

我が家は床から天井まで3mあるのが一つのウリになっているのですが、それはつまり、部屋が狭いので、天井を高くして閉塞感を和らげようという策に他なり ません。それはそれとして、そのおかげでエアコンが天井近くのものすっごい高いところに設置されていて、まったく手が届きません。

それはそれとして、手元で操作できるリモコンみたいなのに翼の向きを調節する機能がなく、手を伸ばしても届かないわ、リモコンでも向きをいじれないわ。さらに入居したときから今日まで、エアコンの翼は常に上のほうを向いていて、下界に微笑みかけることがありません。

で、確か、暖かい空気というのは冷たい空気より軽くて、どちらかというと上に向かっていくんじゃなかったでしたっけ。だから、暖房のときはエアコンの翼を下向きにして暖かい空気が循環するようにしなさい、とどこかで誰かに習ったようなおぼろげな記憶…。

我が家のエアコンは、毎日全力で上のほうの空気を暖めてくれています。それはいつもボーっと音を出して頑張っているのでわかります。しかし、私の生活圏(下のほう)はいつも凍える寒さです。

部屋の中でコートを着ているとかニット帽をかぶっているとかは日常茶飯事。立ち上がっているノートPCをしばらく置いておいたところの下に手を入れて、そこのあったまってるところで暖をとることもしばしばです。私のPCハック。

それにしたってこの冬をどう乗り切るべきか。たぶん床に置いて部屋をあっためる系の暖房器具を買えばいいんだと思いますが、狭い部屋の中では場所をとるし、優柔不断な私が大物を買うにはそれなりの時間を要するのに当分はそんな時間と心の余裕がない。

というわけで、今冬の休日は(も)近所のカフェなどはしごしつつ、ノートPCの下で暖をとりつつ、お風呂につかって紛らわしつつ、しのぎたいと思います。実にくだらない話ですみません…。

2008-01-21

平日の夜時間

とりあえず3月までは土日もほぼ途切れなく、多かれ少なかれなんらかの仕事をし続ける日々となりそう。なので、平日の「夜時間」を少し意識的に会社以外の時間に開放していこうと思う今日この頃。

この秋以降はさらに作業系・運用系が削られ、考えてアウトプットして動かす仕事がほとんどになった。交通費清算とかやっているとちょっと癒されるくらい。だから一日の仕事時間にも限りがある。 長時間だってできる人はできるんだろうけど、私のもつ集中力では朝8時半から仕事開始して、間休憩をはさんでも19時にはくたくただ。

そこで連日連夜それに耐えられるだけの集中力を養うっていう鍛え方の方向性もあるんだろうけど、そっちに頑張る気は起こらない。時間を延ばすよりは、今く らいの仕事時間の中で、その集中力の濃度を高めていったり、そこでアウトプットされるものの品質を高めていくほうに頑張りたい、個人的に。

そう考えると、がむしゃらに夜中まで仕事して、長時間耐久性のある体に仕立て上げていくより、そこはもういいやってことである程度の時間で切り上げて、夜 は人としての豊かさを高める時間にあてたいと思う。そのほうが、集中力の濃度やアウトプット品質を高めるのに有効な気がするし、長期的にみて私が仕えるシ ゴトにもはるかに有意義な時間の使い方だと思う。

本を読んだり勉強したり、人に会ったり街を歩いたり、いろいろ考えたり計画立てたり。運動は朝に任せるけど、一日を通じていろんなことに触れて、頭も体も心もバランスよく豊かにしたい。

きちんと生きていくためには、仕事から離れた時間を確保する仕組みを自分でつくっておくことがとても大事だと思う。人はなかなか、仕事に明け暮れているの をみて、ねぎらってくれることはあっても注意はしてくれない。日常の自分も同じく。頑張ってる自分に対してねぎらいはするけど、「不毛だ」「非効率だ」な んてそんな非人道的なことは思えない…。

けど、分かりやすいけど非効率な成果の裏側で、分かりにくいけど大切な何かを得る可能性を損なっていることに、私は目を向けたい。だから、やっぱり日常と 違うところで、時間の使い方の意識転換と仕組みづくりをしておくのが大事だと思う。たとえば平日の19時以降をどう使うかについて考え直してみるとか。 まぁ、まっさらな休日が少なそうなので、この辺でお茶を濁して頑張ろうというたわ言なのかもしれないけど…。

2008-01-19

一対一党

年始からずっと、濃厚な仕事がかなりどかどかあって、たいてい夕方くらいには頭から湯気が立ちのぼってきます。そうすると、近くのお姉さまがお団子とかく れたりします。向かいの出産をひかえた同僚が、私の3秒ルール(食べ物落としたときの)に関する考察を文句言いながら聞いてくれたりします。新卒の女の子が私のヤッターマン話 につきあってくれたりします。ありがたいことです。

で、3、4分ふぃーっとやったら、また淡々と淡々と仕事をします。今も昔もなく、社内も社外も関係なく、とにかく私は淡々と仕事をするらしい。いろんな人の話を聞くにつけ、そのことに改めて「へぇ」と思わされる今日この頃です。

そうそう。1月は、ランチや晩ごはんで新旧のお知り合いとお話しする機会がちょこちょこあって、なんだかすごく人好きな自分に気づきます。団体でわーっと やる会に出ると、自分は人嫌いなんじゃないかと思えてきたりすることすらありますけど(笑)、一対一でお話しているとやっぱり人が好きなんだなって思いま す。

私実は、ものすっごい一対一党なんです。理由も明確に把握しています。一対一で会うっていうことは、その時点である程度、その人は自分と一対一で話す ことに意義を感じてくれている、少なくとも私が自分の話をすることに対して許してくれているって前提で会えるわけです。そうすると心置きなく話せる。そう じゃないと、自分が話すことは、この場でどれくらい許され、求められているのか、どういう話ならこの場にとって有意義なのか、どこから先は要らないのか、 そういうことがどこかで引っかかり続ける厄介な人間なんです。

なので、旧友などに一対一で会って「mrkさんはどう?」「どう思う?」「どうしてた?」なんてこちらに自然に関心を向けてくれているような視線や質問を受ける と、なんて奇特な人なんだろうとしみじみ有難く思ってしまいます。そうしてするする気持ちがほぐれていって自分の思うことを思い切りしゃべっていて、 あぁ、私こんなに話すんだなぁと自分でも不思議に思ったりすることがあります。

そして思うのは、そういう人たちに対して自分が話しているときの自分のことを、私は結構好きなんだよなぁと(笑)。その人といるとき、その人と話している ときの自分のことが好きだと思う、それが究極の、その人が好きということなのかもしれないなぁなんて、なんとなく思ったりもしました。そういう人との関係 を、出会った時期の新旧を問わずこれからも育んでいきたいものです。

それとはまた別の話ですが、一対一党ということでは、広義のシゴトの方面でも、今年からはカウンセリングそのものも少しずつ手がけていこうかなと思い始めたりもしています。今、ちょっとずつ準備中。

2008-01-14

気絶

三連休中日の明け方、思いっきり意識が飛びました。急に気持ち悪くなって過呼吸気味になってきたので、これはどうしたことかととりあえず起き上がって冷蔵 庫へ。そこで水を手にしてそのままお手洗いに向かう途中、玄関のところで一気に意識が飛び、ペットボトルの水は放り投げられ、体はバタッ。

たぶん意識が飛んでいたのは数十秒くらいだったと思いますが、おうちの中でこんなことになろうとは…。フィットネスクラブのサウナなんかでは何度か同じ症 状にあっているのですが、それで今はサウナも禁止にしているし…。そう振り返ると、私人生の中で結構気絶してるんだなぁ。

で、原因について考えてみますと、脱水症状と風邪の併発かなと。この日私はプールで泳いだ後、書店をふらふら、街中をふらふら、その間ずっとずっと水一滴 飲まずにいて、晩ご飯をいただいたときも、まったく飲まずで就寝してしまっていました。これでサウナ直後の体と同じ状態になってしまっていたのではないか と。水分補給は大切ですね。

さらに、時同じくして風邪もひいていたようで。意識が飛んだのは脱水症状だけど、吐き気は風邪だったのではないかと。ネットで調べたまでですが、今年流行っている風邪の一つに「胃腸風邪」というのがあるらしく、突然の吐き気や嘔吐、熱なんかに苦しむんだそうです。

で結局、吐き気の後は熱も38度まで上がり、今36度台まで落ちてきているところ。食欲が出るまではスポーツドリンクを飲んどけ、風邪薬は飲むな、1~2 日で治る、ということらしいので、これを信じておとなしくしています。同じ症状が出た方はご参考になさってください。というわけで、この連休中なんにもで きていません。すみません。

2008-01-06

料理元年

ときどき私のことを料理上手だと勘違いしている人がいますが、そんなことはまったくありません。なんとなくの雰囲気で、自分が認識している自分 とはあまりにかけ離れた印象をもたれていて、その差異にこっちのほうが驚いてしまうことがあります。それで実際を知って、イメージと違うなんて 落胆されてはこっちが参ってしまいますわ。

といって正月早々「私は料理ができません」なんて宣言したいはずもなく、「今年は料理をしますよ」という話です。一人暮らしも長く、過去何度か試みたこと はあるのですが、なんやかやと結局習慣にならずにここまでやってきてしまいました。まぁ、今回も毎日の習慣にする気はないのですが、水泳や読書よりちょっ と習慣性の弱い日常にしてみようかと思っています(弱気…)。

そのためには、過去日常化しなかった原因とその対策を整理しておかなくてはなりますまい。まず一つ、気合いを入れすぎない。毎日やろうとかそもそも無理の ある野望を抱かない。やりたい時にやればいいじゃないか!ぐらいの構えにしておく(と、結果的に長続きする性質なので)。

一つ、高望みしない。凄腕のお姉さまに囲まれていた時代、ダシのとり方やら何やらやるならしっかりやらないと!と気負って身動きとれなくなってしまったこ とがあるので、もうなんだって食べられればいいじゃん!という超等身大で取り掛かる(と、少しはこだわろうという気になる性質)。

一つ、思い立ったその日のうちに下準備を済ませておく。過去、せっかく始めようと思ったのに、調理器具がない/食器がない/調味料がないことで、ここから揃えるのかぁ、と一気に気持ちがなえてしまったことがあるので。

調理器具や食器類に関しては、まぁ過去何度かの試みとクレジットカードのポイントを意味なくこれにあててきたことで、最低限のものはある。というわけで、 その日のうちに調味料を買い込み、さらに何かをちゃちゃっと作ろうと思った時にダシの用意がないとこれまたなえるので、作り置きをしておきました。

それにしても、これだけの対策を書き連ねていると、自分が本当にダメな人間に思えてきますね…。部屋の中で煮干しの頭とはらわたをひたすらとり続けていた 時も、あぁ、きちんと生活している人はこういう時間も含んで生きているのか、と感慨深さを覚えました。まぁ、これくらい対策打っておけば今回はちょこちょ こ楽しくやっていけるんじゃないか、と淡い期待を抱いています。

「料理元年」の写真記録

2008-01-03

奔放さと愛情の深さと

実家に帰ってテレビを見る度、彦摩呂が膨張しています。大丈夫でしょうか。昨年のお正月も驚いたけど、今年さらに大きくなっていてびっくりしました…。

それはそれとして、新年。時々思いきった舵取りをするものの、たいていは風に吹かれて生活を送っている私ですが、今年は「あぁここは行くべきかなぁ」と 迷った時には行くほうを採れるぐらいの若干「挑戦」エネルギー増量版で日々の生活を送りたいと思っています。なんか中途半端なやる気ですが…。

基本は自分に向かって頑張る性質なのですが、少し意識的に人に向かって頑張ることも取り入れていかないと、いろいろと限界が出てきますよね。広がるものも 広がらないし、深まるものも深まらない。叶えたいものを叶えることも、叶わないものをあきらめることも、できないままになるんだろうな、と。

なのでね、もう大人なんだから、いや大人だから無鉄砲になれず臆病になっているということでもあるんだろうけど、少しは外に向かって舵取りする意欲とか奔放さを取り戻したり、新たにもったほうがいいよな、と思う年初めです。

それはそれとして、今年の目標は、意識せず与えられる人になりたい。あと、もっともっと愛情の深い人になりたい。人からそう見られるようになることがゴー ルじゃなくて、私が私の中でそうだと偽りなく思える意識の増量、愛情の増量を図れることが重要です。見せかけの行動はいくらあっても意味をなしません。本 物であること、本質的であることが目標の肝です。

仕事は、今年は風任せです。たぶんたくさん風が吹きます。だから、私は目の前にやってきたものに誠実に取り組むのみ。それでたぶん地道に成長できるかな、 とある種他力本願に考えています。変化が必要なら、その風は今年は向こうからやってくる気がします。一応いくつかの方向づけは内々に考えていますが、基本 風任せで頑張ります。

毎年あっという間に過ぎていくけれど、一年前の今日には予想つかなかったことが毎年起こっていて、たぶん今年もそうなんですよね。昨年の今頃には知らな かった人に会っていたり、昨年の今頃にはなかったものが生活の一部になっていたり、昨年の今頃にはなかった思いや考えや経験が自分のものになっている。決 して楽しいことばかりではないけれど、そういうのって振り返ってみるとなんとも味わい深いものですね。今年もよろしくお願いします。

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