原因ときっかけ
5年つきあった恋人と、自分の言った「たった一言」が原因で別れたという人がいた。「あの一言が原因で……」と悔やむその人に、ある人が言った。その一言は原因ではないと、「5年もつきあって、たった一言が原因で別れるようなことはない」と。(山田ズーニー著「おとなの進路教室。」より)
恋愛に限らずとも、また「たった一言」のせいにしないにしても、実はきっかけに過ぎないことを自分の頭の中で原因に仕立て上げてしまっていることって結構 あると思う。私自身を振り返ってみると、ある。絶対の正解なんてないかもしれないけど、少なくとも思い当たることはある。
あれはただのきっかけに過ぎなくて、本当の原因はもっと別のところにあったんじゃないか、もっと前から始まっていたんじゃないかと思うことが。山田ズーニーさんの言葉を借りれば、「もっと水面下で、もっと静かに、もっと決定的に」分かれ道は始まっていたと思うこと。
でも、本当の原因を探り当てるのって、本当に大変なことで、5年10年経ってみないと見えてこないこともある。それだけの時間がどうしても必要なこともあ ると思う。自分の「あれはもしかすると…」と思い当たることも、もう何年も前のことを今振り返ってみるからそう思えることだ。
渦中にいる時、それもその原因が水面下にある場合、目の前のきっかけと本当の原因を明確に見分けて認識するなんて、相当に難しい。集中力も要するし、時間 も必要だ。さらに、きっかけに過ぎないものをきっかけと割り切って本質的な原因に向かうのは、時として自分の心の奥をえぐるようなとてもつらい行為だった りする。だから、無意識のうちに目の前の分かりやすい出来事を、自分の頭の中で原因に仕立て上げてしまいやすいんだと思う。
だから今も、5年後10年後に振り返ってみてみないとわからない原因ときっかけのすり替えを仕出かしてしまっているのかもしれない。けど、仕方ないよ ね。ってそういうオチでいいのか…。まぁ、そういう不確実な自分をわきまえておくと、自分に対する投げかけはもっと豊かにできるようになると思うんだな。
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