いさめてくれる人
先日同僚のお姉さまとランチに出かけた時、どんな経緯だったか私が熱く語っていたこと。歳を重ねれば重ねるほど、自分に苦言を呈してくれる人は少なく なっていく。それは紛れもない事実だ。だけど、それは途切れない時の流れの中でひっそりと始まっていき、ある時には決定的にそうなっているという類のもの だから、自分で意識しておかないと見事にはまってしまう。
すっかり雨は止んでいるのに、傘をさし続けている。誰も通りすがりに「もう雨あがってますよ」と声をかけてはくれない。そんなご時世では「悪いこと」に 限らず「ちょっとしたこと」だって人から指摘してもらえることを期待するのは難しい。これはある程度どうしようもないことと割り切って、それを前提にじゃ あどうすればいいかを考えたほうが、とりあえず建設的だと思う。
まずは、自分に苦言を呈する人を排除しないこと。なんでもかんでも打たれればいいというものでもないけれど、はなから心を閉ざさないでいったん受け止めて みる。そこからなんらか学べる要素があるなら「おいしいとこ」どりして多少痛くても学んでしまえばいい。そしてその人が健全で率直な人であれば、自分の弱 さに振り回されて安易に避けないで、その人を大切にすべきだ。その人が不健全で曲がりくねった人だったら、抜き足差し足忍び足だ…。
さらに、自分をいさめてくれる人がいる環境を、自ら作っていくべきだと思う。何か言ったら自分に被害が及ぶに違いないから言うのはやめておこうとか、言っ てぎくしゃくするくらいだったらとりあえずやめておこうと思われないように、何でも言ってもらえるような雰囲気をまとう。言ってくれたら、心から感謝して、心からお礼を言う。
さらにさらに、自分がまだまだなところの核心を引き出して、かつそれを具体的に指摘してくれる能力と愛情と率直さをもった人とつきあうようにする。そうい う人は歳を重ねれば重ねるほど稀有な存在になっていくから、そういう出会いは大切にする。そのためにはやっぱり意識的な働きかけが必要で、自分を奮い立た せないとできない局面だってたくさんあるし、なんとなくではできないことだと思う。
あとは、本。私は恥ずかしくなるほど大人になってから人並みに本を読むようになって、自分が井の中の蛙だったことを思い知った。世の中はもっともっと広く て、何においてももっともっとすごい人がたくさんいることを知った。でも一旦もってしまえばこの感覚を失うことは生涯ないと思うから、あとは継続すること だ。この感覚を持ち続け、本の著者との出会いを大切にし続ければ、自分をいさめてくれる人を失うことはとりあえずないと思う。
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