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2007-11-09

「共感」は慎重に

私は「共感」という言葉をかなり慎重に使う。これはあくまで私個人の「共感」という言葉とのつきあい方にすぎないって前提なんだけど。「共感する」という のは、誰かが言っていることを、それよりも前に自分も思ったり考えたり感じたりして、さらにそれを表現していた場合に限って使ってよし、としている。

なんとなく「前にそんなことを思ったことがあるような気もする」とか、「過去に考えたことはないけど、今言われたその話には激しく同意!」とか、そういうのは「共感」にしちゃいけないというのが、私の自分に対する決め事。

なんというか、それを「共感」としちゃうのは、漠然としたままじゃなく、他人である私にも届くように形作って表現してくれた人に対して失礼な感じがしていやなのだ。「表現」という行為を軽視しているような気がして。

例えばそういったプロセスの初期段階を「発見」だとして、発見するのもそりゃ大変だけど、それと同等かそれ以上に「表現」するってのも大変なわけで。それ をするところまで自分はしなかったのに、あたかも前に自分もしていたかのように(私には)感じられる「共感」って言葉を使っちゃうのはどうも落ち着かない んだよな。だから簡単には使わない。解釈が極端だとも思うんだけど。

というどうしようもなく長ったらしい前置きの後で、村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで、どっぷり共感してしまいました…。

いやはや、彼の見ているものの深さとか広さとかと雲泥の差があることは明らかなんだけど(彼が週60km走っているのに対し、私はせいぜい週10km泳い でいる程度というところに、1/6って具体的なサイズの差が出てる気がする)、とにかく同じ方向性だったり同じタイプのことを考えているという意味で、 「共感」といって差し支えないんじゃないかと身勝手裁決を下しました。

これはやっぱり、買って、読んで、正解。ってまだ一つ目のお話しか読めていないんだけど。やっぱりなぁ、私は小説以上に彼のエッセイが好きかも。生粋の村 上春樹ファンには白い目で見られそうだけど。久々手にした村上春樹。いやぁ、なんかホームタウンに帰ってきた感じがする。続きも楽しみ。

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コメント

オチの部分は未読なので置いておくとして、前半部分には非常に共感します(笑)。

同様に僕は「直感的」という言葉にも慎重かつ懐疑的になってしまいます。

あは。“慎重かつ懐疑的”って表現がさすがです。「直感的」もか、確かにそうですね。これは共感でなく納得!(笑)
その理由を思考することをしていないだけなのでは?と自分に問いかけてしまうような。できるだけ「なんとなく」を使いたくないのと同じ感じかな。全部を「カワイイ」で終わらせたくないとか。
でもだからこそ、本当に直感だと思えるときには、迷いなくその直感の言いなりになってしまったりします…。

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