« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007-11-28

ぬるま湯プール

ここんとこ、ぬるま湯プールだったかなぁって反省した。25mの温水プールを行ったり来たり、同じところをぐるぐるぐるぐる。忙しくしてるとか、ルーチン じゃなく新しい仕事してるとか、そういうこととは関係なく。つまり相当忙しく仕事していようと、どんどこ新しい仕事こなしていようと、自分が自分としてぬ るま湯な環境に落ち着いちゃってる状態って十分起こりうるんだと思う。で、最近の私はどこか安住しちゃってたところがあったんじゃないかなぁって思った。

もともと私は会う人が年上に寄っているんだけど、ここ最近10とか20とか上の尊い人とゆっくりお話する機会が立て続けにあって、その連打の刺激が大きな ひと塊になって私に気づきを与えてくれたんだと思う。こういうのって、なんか偶然も必然も本人の解釈次第って感じで、不思議だし、またありがたいなって思 う。それと、こういう「風」を意味のあるものとして感じとれなくなったら私はおしまいだぞって、少しこわくも思う(他から見てそれに意味があろうとあるま いと)。

ある人は、今の私じゃ出ていってもすぐ足つって溺れちゃいそうな大海原をどどーんと見せつけてくれ、また潜水艦で深海の様子も覗かせてくれた。またある人 は、私の書いた文章をがっつり核心ついてダメ出ししてくれて具体的なアドバイスもくれた。これについていろいろ考えてみたんだけど、つまり、自分がアウト プットしたものそれ自体にフォーカスして出来不出来をみてくれて、さらに「なるほどー」って納得しちゃう添削指導をしてくれる人って、ものすごく稀有な存 在ってことだ。それで私こんなにありがたいって感じてるんだ。

とにかく世の中はものすごい高いクオリティの力で動いていて、逆に言えばものすごいクオリティの高い人たちが裏方で実質的に世の中を動かしているんだよ な、とか。また自分にとって「痛いけど有益なこと」をぽーんと真正面から言ってくれる尊い人の言葉をしっかり受け止めて、がくっと落ち込んで、きちんと活 かしていく真摯な強さを、歳をおうごと厚くしていきたいと思った次第。

ぬるま湯って気を抜いてると、ぬるくなっちゃってることに気づかないまま長湯になっちゃうからこわい。ずっと気を張ってる状態じゃたまらないけど、「会社 の仕事」ってくくりでもなく「一切合財全部」でもなく、人についてとか仕事についてとか、肌感覚でここの辺って思っているところは、安住せず頑張り 続けたいなぁと思う。

2007-11-26

単純な動機

今日は私にしちゃかなり大きな話のプレゼン日で、夕方お客さんとこに出かけていきました。1時間予定をもらっていたところ、結局最初のご提案からいろいろ 話が展開していって、とってもお忙しい方々なのにプラス30分強話し込んでお開きとなりました。いろいろ腹をわって相談してくださっているのが伝わってき て、とっても嬉しかったぁ。

さらに終わり際、この提案書って毎回hysさんが作ってるんですか?と尋ねられてそうだと答えると、すごくすっと頭に入ってくるって言われて、これもでれでれに嬉しかったぁ。

プレゼン資料の類は毎回苦手意識を抱えながら頑張ってまとめているので、そういうとこ誉められるとすごーく胸に染み入るんですよね。なので、オトナはもっ と「いやいやいや」って言わなきゃいけないのかもしれないけど、「ありがとうございます、ありがとうございます」とお礼を言って素直にいただいていまし た……(まぁ普段誉められることが少ない身ですから良しとしてください)。

これから提案内容を実践していくのが一番重要なところなんだけど、ともあれハッピーな一日。明日からまた頑張ろう!ということで、今日は直帰してきました。

結局すごく単純なことで、人のために自分が何かできるって嬉しいことだし、人のために自分が何かできる場があるってありがたいことだなぁって、しみ じみ思いました。つまるところ、私はこの単純な動機で、毎日仕事して、毎日生活して、毎日を生きてるんだよなぁと思った次第です。

2007-11-21

「書きながらものを考える」

何やらいろんなことでせわしなく働く日々ですが、先週書いたコラム「リフレーミングで、考えの枠組みを変えてみる」がアップされたので読んでください話。毎回同じこと言いますが、今回もまた大変でした。編集某氏より「OKです」って返ってきた時「うぉーっ」と叫びたくなりました。でも「んー」って頑張った、そして「ほっ」と胸なでおろしました。

ほんと成長しないんだけど、今回一つ学んだことがあります。私、仕事で文章を書く行為を重ねていく中で、どうやら「きちんと素材集めして、構成や表現方法 もしっかり固めてからPCに向かうこと!適当に打ち始めないこと!」っていうのを無意識のうちに前提にしすぎちゃってたところがあったみたいで、それを自 覚できたのと、そうじゃないやり方でもいいじゃん!って割り切れたのとが、今回得たものとして大きかったです。

それは、ちょうどこれを書いている時に読んでいた村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」で、こんな一節に出会ってのこと。

前にも書いたが、職業的にものを書く人間の多くがおそらくそうであるように、僕は書きながらものを考える。考えたことを文章にするのではなく、文章を作りながらものを考える。書くという作業を通して思考を形成していく。書き直すことによって、思索を深めていく。

こういう感覚は私も書いている時常々味わっていることで、首を縦にぶんぶん振りたくなるほどものすっごい「そう、そうなのっ!」と思ったんです。それが自 分なんだって自覚したら、さらに村上春樹だってそうなら「そっか、それでもいいのか」って一気に楽になって、「今度からそうしよ」って思い直しました。

もちろん、ある程度の素材と構成案はまとめてからPCに向かったほうがいいし、そうじゃないと私も書きようがないんだけど、「ある程度」じゃなくて「しっ かりきちんと」まで紙上でまとめることに執着しちゃうと、どうにもまとまらないまま時間ばかり経過して、紙ばかり消費して不毛なんですよね、私の場合。

だから、ある程度の素材と構成案を紙上に書き起こした(というか書き散らした)段階で、ひとまずPC上で粗くてもいいから全部書き上げちゃう、とにかく最後まで到達してから推敲に入る ようにしようと。今もそういうやり方ではあるんだけど、今よりもう少しその「ある程度」のネジを緩めてかかろうかと。その方がものすっごい効率的に事が運 ぶ性質なんだと、今さらながら自分を理解して許してあげました。

これもコラムの話に通じるかな。無意識のうちに私の中に作られていた「べきだ」「あらねばならない」を意識の上に引き上げてリフレーミングする。「あらね ばならない」ことなんてそうそうないから、見方を変えた方が気持ちよくかつ有意義に生きられるなら、あっさり変えちゃった方がいいってもんですね(変えずに頑張った方が大変だけど有意義なものもあるので、見極め重要!)。

2007-11-18

私の新聞つくって

実にありそうなサービスですが、どこにあるのかわかりません。あったら教えてください!なかったら作ってください!という超他力本願な話。ちなみに日本語版でどうか一つ…。

●困っていること
今やWeb上にはたくさんの読みたいニュースがある。しかし、長時間画面をみていると目が疲れてしまう。ゆえに長い時間・長い文章を読む気になれない。といって、それぞれのページを印刷にかけると紙は膨大な量に……。

●欲しいもの
気になったいろんなサイトの記事ページをブックマークすると、自分用の新聞を“きれいに”紙出力してくれるサービス

●サービスフロー(妄想)
【1】まずはユーザー登録&初期設定
日常的に使っているブックマークサービスを登録しておくとか、いくつかのテンプレートから自分の好きな新聞デザインのテンプレートを選んでおくとか(文字 の大きさとか種類とか、タイトルやトップニュースの配置とか、画像入れる入れないとか、カラー版もあったりとか)、それを公開するかしないかとか。
【2】いざ利用!記事を登録
(RSS配信している)いろんなサイトから自分の気になる記事ページをブックマーク(これは使い慣れた普段使っているブックマークのサービスでOKに)。
【3】マイページで新聞づくり
自分のマイページ上でブックマークを読み込んで、記事の読みたい度で順位づけ。情報鮮度やカテゴリーなんかでソートをかけられたり範囲を決められたりする。
【4】印刷
印刷ボタンを押すと、きれいに整形された状態で新聞ぽく印刷される。
【5】ルンルン持ち歩く
外に持ち出して、電車の中とか駅の待ち時間とかで新聞のように読める。

●付加サービス
・有名ブロガーなどのブックマーク情報なんかも読み込んで新聞を作れる
・自分専用のテンプレートデザインも作って登録できる
・「山田くん厳選!今日のニュース」みたいな名入りの新聞も作れる

●サービス提供上のポイント
・記事登録の操作が簡単
・可読性高く、持ち歩いて人前で開きたくなるようなテンプレートデザイン

●収益の仕組み
広告収入。ネット売りじゃなく店頭売りがメインの商品を出している企業さんに広告営業。新聞と同じように広告を掲載。

ブックマークやらRSSやらがごった煮な感じだけど、きっとこんな感じのこと。いかようにも都合のいいように解釈して、誰かぁ、レッツトライだ。

2007-11-09

「共感」は慎重に

私は「共感」という言葉をかなり慎重に使う。これはあくまで私個人の「共感」という言葉とのつきあい方にすぎないって前提なんだけど。「共感する」という のは、誰かが言っていることを、それよりも前に自分も思ったり考えたり感じたりして、さらにそれを表現していた場合に限って使ってよし、としている。

なんとなく「前にそんなことを思ったことがあるような気もする」とか、「過去に考えたことはないけど、今言われたその話には激しく同意!」とか、そういうのは「共感」にしちゃいけないというのが、私の自分に対する決め事。

なんというか、それを「共感」としちゃうのは、漠然としたままじゃなく、他人である私にも届くように形作って表現してくれた人に対して失礼な感じがしていやなのだ。「表現」という行為を軽視しているような気がして。

例えばそういったプロセスの初期段階を「発見」だとして、発見するのもそりゃ大変だけど、それと同等かそれ以上に「表現」するってのも大変なわけで。それ をするところまで自分はしなかったのに、あたかも前に自分もしていたかのように(私には)感じられる「共感」って言葉を使っちゃうのはどうも落ち着かない んだよな。だから簡単には使わない。解釈が極端だとも思うんだけど。

というどうしようもなく長ったらしい前置きの後で、村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで、どっぷり共感してしまいました…。

いやはや、彼の見ているものの深さとか広さとかと雲泥の差があることは明らかなんだけど(彼が週60km走っているのに対し、私はせいぜい週10km泳い でいる程度というところに、1/6って具体的なサイズの差が出てる気がする)、とにかく同じ方向性だったり同じタイプのことを考えているという意味で、 「共感」といって差し支えないんじゃないかと身勝手裁決を下しました。

これはやっぱり、買って、読んで、正解。ってまだ一つ目のお話しか読めていないんだけど。やっぱりなぁ、私は小説以上に彼のエッセイが好きかも。生粋の村 上春樹ファンには白い目で見られそうだけど。久々手にした村上春樹。いやぁ、なんかホームタウンに帰ってきた感じがする。続きも楽しみ。

2007-11-07

キャリアカウンセラーと仕事力

組織改編から1ヶ月、今期のトレーニングの全体計画だったり、外向けの営業企画だったり、クライアントさんの来年度の人材育成の体系作りだったり、社内の 業務引継ぎの交通整理だったり、業務提携契約の取りまとめだったり、なんだったりかんだったり、「それまわりのあれこれ全般」というザ・サラリーマン的仕 事を営んでいる今日この頃です。

タイプの違う仕事に一つひとつきちんと対応できるのが「仕事力がある」ってことかなぁと思われ、それによって「あいつは仕事がデキル」とか「あいつは仕事 がデキナイ」とかいうことになるのかなぁと思うわけですが、そこで共通して求められている「仕事力」ってなんとなくわかるような、わからないような。

いずれにしても、発展途上真っただ中かつ動物的かつ臆病者の私が仕事力を鍛えるのに、サラリーマンっていうのはなかなかの好環境です。何せいろんな方角か らいろんな話がふってくるし、「できるできないじゃなくて、できることを前提にどうすればいいと思う?」的表情を浮かべて目の前でボールをトスされると、動物的 にアタックしにいかざるをえない状況にはまるわけで。自らボールをとりにいけない臆病者にとって、この絶え間なく目の前でトスがあがる環境というのは、あ る意味恵まれた環境といえるのでしょう、きっと…。

私はいつの頃からか「仕事がデキナイやつは、優秀なキャリアカウンセラーにはなりえない」という頑固ジジィ的持論をもち始め、いかに柔和な雰囲気で包み込 んで心から相談者の気持ちを受け入れられても、自分自身が自分の仕事を通じて「仕事がデキナイ」状態から「仕事がデキル」状態へのプロセスを経験して体得 していないと、自分が提供できる支援はひどく限定的なものにならざるをえないと考えていたりします。

それは一つに、いかに優秀なデザイナーであっても、Webを知らなければ優秀なWebデザイナーにはなりえないのと同じ感覚です。キャリアを専門に扱う以 上、「自分の仕事」を通じて仕事の何たるかを深く理解しておくことは必須だし、何をもって「仕事がデキル」ってことになるのかも、自分の仕事を通じて肌感 覚で理解しておく必要があると思うわけです。たとえ自分が「デキル」まで到達できなかったとしても、「デキルが何かを理解する」までは私的に到達必須です。

またそれとは別に、キャリアカウンセラーも一職業人として、問題の核心をつかんでそれを解決する糸口を探り、具体的な解決策に落とし込んでは相手の意向をくんで提案内容を調整していくといった地の力を、誰より意識して磨いていく必要があるように思うの です。というか、よくわからないけど、単純に私はそういう力を備えたカウンセラーでありたい。そうすると、その分だけ自分の仕事のパフォーマンスがあがって人にサポートできることも深く広くなるし、それだけでなくいろんな人の仕事を、その仕事力という共通言語をもって理解しやすくなる気もします。

今はその修行期間として企画・編集・調整っぽい仕事を主にやっているわけですが、うーん、その道中で本来のほんわかさを置いてきぼっちゃ意味ないな、なんてことも、最近よく思ったりします。バランス、バランス。

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »