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2007-04-07

生傷に泣く

珍しく正午過ぎに目が覚めた。目を開いた瞬間、自動的に昨晩反省モードに切り替わり、目がうるんでいった。

昨晩はひと通りの仕事を終えて一人になるやいなや、終電に揺られながら深海に落ちていった。自分の至らなさを自分で支えきれなかった。思考も感情も、全力でもって私を責め立てた。それはすべて討たれるべき矢であって、だからすべての矢に正面から討たれるほかなかった。もう穴ぼこだらけだった。

一夜明け、自分の至らなさを真正面から受けとめるバカ正直さだけはあるという発見が、唯一救いになった。ぐさぐさっとやられて奈落の底に落っこちても、見てみぬふりしたり責任転嫁することは選ばない。少し時間をおけば、一つひとつ洗い出して成長につなげていこうと思う楽天性もある。生傷は絶えないし、泣くことも多いけど、これは結局のところ怖いものなしって捉えられるのかもな、と自分を慰めてみた。

だからこそ、私は絶対に、自分に対する正直さだけは失っちゃいけないのだと思った。これを失ったら、私は本当に無価値な人間になってしまう。それはとても怖いことだ。

もう一つ、今日近所を歩きながら湧き上がったきたのは、何かを全責任をもって担うことの大変さは本当に並々ならぬものなのであって、世のそういう役割を担って動く人たちに対して、涙が出るほど心の底から愛してあげたいという思いだった。その行いの尊さに対して、私の理解はまだまだ浅薄だ。

それからコンビニに着いて椎名林檎の曲がかかる中、すべてを覆いつくすぐらい愛情たっぷりな人になりたいと、痛切に思った。本物の愛情や本物の優しさは、強さなしにはありえない。絶対に。昨日の経験をもって、私は絶対の自信をもってそう断言する。だから、もっと強くなりたい。何十年もかけて、絶対に折れない芯のしっかりした強さをもちたいと、自分の弱さをひしひし感じながら、強い気持ちで思ったのだった。

あとあともう一つ思ったことは、こういうとき、音楽は無条件に心にやさしい。

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コメント

まりさん、、まりさんと私は絶対に前世は双子だったと固く信じています。あるいは姉妹だったのかも。。

まりさんが願っていることは、まさに私の常日頃の願いと同じです。。
強くなりたいです。。強く。。
何事があっても折れることなく、足を踏ん張りきれるくらい、、そして一人っきりでも生きていけるくらい。。
「強さ」は私の求めるものの全ての根源なのです。。

まりさんの日記を拝見していると、いつもとても自分自身を真正面から受け取り、そして常に謙虚に捉え、反省し、自分自身に鞭打っているように見えます。。
えらいなぁ、、その部分は私とは違うなぁ、と思うと同時に、
そんなに自分を追い詰めなくても、、という気持ちもあります。。(私のほうがきっとずっとヌルイ人間なのだと思います)

「いい加減」というのがきっと許せないまりさんなのでしょうね。責任感があり、とても真面目で人の気持ちがわかる人だからでしょう。。
でも、、どうかあまり自分自身に矢を放って穴だらけにならないでください。。

ベルさん、本当に私も毎度しみじみ思います。前世は何らかの血縁関係があったに違いないと。強く、しなやかに、ですよね。いつもたどり着くところは……。(^^;

でも、私こそまったく全然ダメダメですよ。一人っきりでも生きていけるくらい、ともなかなか思えないですし。誰か助けてくれーくらいの勢いです。

振り返ってみると、自分の傲慢さや思い込みにはっとさせられることもしばしば。そういうときってものすごく恥ずかしくてやりきれないけれど、唯一そこで目をそらさないよう自分に働きかけるのが私のまともさです。

だから、常に自分を真正面から受け止められているわけではまったくないんですよね。気づいた限りでそこから逃げないよう踏ん張っているくらい。かなり底辺で頑張ってる気がします……。それでもそこだけは頑張りたいですよね。

こんばんは。ひたむきさと真摯な心はcocoroさんの特権ですね。読んでて心地よく響きます。人は生まれた時には一身に愛情を受ける側ですが、成長すると与える側に変わりますよね。とても単純な事に思えてもなかなか理解できず実行できないのが現実。それを自然と心に思えるのはすばらしいことだと思います。人ってほんとに複雑で単純。受ける側にいるか与える側にいるかそれだけのことなんだと思うんだけど・・。もちろん幸せになれるのは・・・・。。^^

まるさん、メッセージありがとうございます。おぉ、まるさんの文章だー!と感じ入って読みました。なんだかものすごく懐かしい感覚に。
そう、言葉にすると単純なんだけど、実際それを奥のほうまで理解したり、本当の意味で実行するのって、ものすごーく難しいんですよね。本当の意味でできているかどうかの判断にすら絶対の明快な指標がない。
だから、自分のことをバカ正直に見つめて、もっと先へもっと奥へと自問自答しながら突き進むしかないかな、と。無償の愛を与える、それが自分の自然な行いであり、幸いである人間でありたいですねぇ。

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