自分負け
最近よく思うことは、自分がアウトプットするもの、例えば自分の発言とか書くこととかの方が私自身よりもずっと立派になってしまっているなぁということ。別段たいそうなことをアウトプットできているわけでもないのに、それでも自分のほうが負けてしまっている感が否めない。だから、自分の言葉が時にとても薄っぺらく感じることがあって、決して自分がそうできていてそれを発言したり書いたりしているわけではないことに、やるせなくなることがままある。
何が大事だとか、それを自覚しているとか、それとそれができることとはまったく別もので、そりゃ知らないより知っているほうがいいんだろうけど、知っていたってできないことばかりだし、世の中には知らないのにできている人だっている。私は、知っているのにできていないことばかりを日々抱えてこんでいる気がする(知らないでできていないこともてんこもりなんだろうけど)。
インプットしたものを、自分の中で咀嚼して自分の力として消化せぬままにアウトプットしているっていう側面はきっとあって、ただそれは自覚できれば解決の道も頭で考えられると思うし、そうしていかないとなぁって反省ももったんだけど、実際もっと根の深い問題を抱えていて、今日それに気づいた。
実は私、あるものをどこかに置いてきてしまって、しばらくそれをもたずに生きていたみたいだ。それをもっていた記憶はひどくおぼろげで、いつまでどんなものを持っていたのか思い出せない。少し前のことなのかもしれないし、ずっと昔から欠けてしまっていたのかもしれない。
とにかく、今日ようやくそれに気づいた。それがないと、やりたいことよりやらなきゃいけない責務のほうが勝ってしまって、責任で生きるようになる。責任で生きていくのはつらい。だから、それをとりにいかないといけない。いかないとっていうのがまた責務な表現なんだけど、そこに到達するまでは、まぁ仕方ないかなぁとも思う。
暗いねぇ。でもまぁ、健全に生きていくためには避けて通れない道ということで。過去にとりに戻るんじゃなくて、未来に見つけにいこうとしてるんだから、まぁ前向きだよな。こういう気づきに遭遇した時、放り投げないで受け止めるのは私の良いところだと思う。だけど、愕然とせずに淡々と受け止めるのは私の悪いところだと思う。
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