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2007-03-31

小学生以来の短さ

明日が友人の結婚式のため、3ヶ月おきの美容院へ、風邪も治らぬまま若干無理やり今日の仕事帰りに行ってきました。お店に入って待機中、なんだか「今まで(10数年)の中で一番短くしてください」と言いたくなり、美容師さんの「どうしますか?」に、そんなお願いをしていました。10数年毎回同じ「切りそろえるだけ」の退屈な注文を受け続けてきた美容師さんは、まさに水を得た魚のように、嬉々としてカットしてくれました。

私は、信頼をおくプロフェッショナルに何かをお願いする際は、一番やりたいことを一つ簡潔に、それにあたってどうしても考慮してほしいことがあれば最低限を伝えて、後はお任せしますと頭を下げるのを基本姿勢としておりまして、つまり、丸投げしました。切り落とされてゆく髪の長さがあんなに長かったのも、肩に落ちる髪の毛があんなに重量感をもっていたのも、前回を思い出そうとするとどうしても小学生の頃になります。

と、ここまで読んで「そうか、ようやく!」と大胆な変化を期待している方には大変申し訳ないのですが、パーマやカラーはもちろんしていないですし、長さだってセミロングの域です。これまで髪を切っても1割未満の人しか気づかなかったのが、今回は5、6割は気づくんじゃないか?というくらいかもしれません。でもやっぱり、私にしては大いに変わったのであります。結ぶと前のラインはアゴ上になりますし、これは(過去20年の自分比で)激変です!

なので、私と今日以降初対面した際は、わかるとわからざるとに関わらず、「あ、hysさん髪切ったんですね!」と、とりあえずはっとしたふうに声をかけてください。さらに言えたら「似合うじゃないですか!」まで息つぎ無しで頑張ってみましょう。この際棒読みでもいいから。

ともあれ、世の中に変わるもの、変わらないものがあるように、自分の中にも変えるもの、変えないものの両方をバランスよくもっていたいですよね。どちらかに意固地にならずに。明日から4月だし、春だし。

2007-03-28

山本君と白菜

すっかり風邪をひいてしまった。体温は37.5度で、普通に考えると微熱なんだけど、昨晩の34.5度から数えると3度アップ、と考えると高熱なのだろうか。昨日会社のお手洗いで話した同僚が平熱36.8度って言ってたけど、彼女で考えると39.8度に到達した状態に相当するのかと一人で勝手に想像して参っている。要は気のもちようなんだろうけど。そもそも平熱36.8度の人と比べる時点で何かが間違っている。でも私の場合、風邪っちがまだ2度ぐらいはゆうに上がる余力を蓄えている気がしてならない。

とりあえずこういう時くらいカラダに優しいごはんを食べようと、今日は鍋にすることにした。それでスーパーに出かけたんだけど、そのスーパーにはなぜか白菜がなかった。白菜を売っていないスーパーがこの世に存在するのか。白菜の入ってない鍋なんて、山本君のいない光GENJIみたいなもんじゃないか。この微妙なニュアンスが伝わるでしょうか。っていうかネタが古い。

白菜なしだったけど、お鍋はほっとあったかくて気持ちもほっとした。とりあえず今晩で、せめて1度は下げたい。風邪をひいていい時期なんてないけど、今は本当にまずい。

で、なんでそんな時にお話を書いているかって、それは山本君と白菜のことを書きたかったからです。私的にはものすごく言い得た満足感。早く寝なきゃ。

2007-03-27

低熱と葛根湯

めちゃめちゃノドが痛くて、カラダも浮いたようになっていて、アタマもぼーっとする。冬も終わりだというのに風邪をひいてしまったらしい。なんか寒いしなぁ、熱があるのかなぁと体温を測ってみたら、34.5度だった……。そっちか。

よく考えてみたら「熱が高いから寒い」より「熱が低いから寒い」のほうが理にかなっているような気がしてきた。それで結局、私は大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか、どっちなんだ。とりあえず今倒れるわけにはいかないので、葛根湯で気を紛らしてみる。

今日は21時開始の大切な打合せ。素敵な人たちと話をしていたら、以前当たり前のようにもっていた感覚がむくむくわいてきて、自然のうちに心が清められた気がした。自分は何も特別なことはできない、だけど地べたで一所懸命人の支えになるようなことを積み重ねていきたい、そう思っていた。いろんな感情といろんな体験を経て、気持ちは再びそこに帰り着こうとしている。

こういう気持ちと向上心を並存させられるくらいには成長したから、安心して帰っておいで。早く帰っておいで。心の窓を開け放して、帰りを待っていよう。この機を逃しちゃいけない。ものすごく健やかな風が吹いている。やっぱり今倒れるわけにはいかない。というわけで、とりあえず葛根湯だ。

2007-03-25

自分負け

最近よく思うことは、自分がアウトプットするもの、例えば自分の発言とか書くこととかの方が私自身よりもずっと立派になってしまっているなぁということ。別段たいそうなことをアウトプットできているわけでもないのに、それでも自分のほうが負けてしまっている感が否めない。だから、自分の言葉が時にとても薄っぺらく感じることがあって、決して自分がそうできていてそれを発言したり書いたりしているわけではないことに、やるせなくなることがままある。

何が大事だとか、それを自覚しているとか、それとそれができることとはまったく別もので、そりゃ知らないより知っているほうがいいんだろうけど、知っていたってできないことばかりだし、世の中には知らないのにできている人だっている。私は、知っているのにできていないことばかりを日々抱えてこんでいる気がする(知らないでできていないこともてんこもりなんだろうけど)。

インプットしたものを、自分の中で咀嚼して自分の力として消化せぬままにアウトプットしているっていう側面はきっとあって、ただそれは自覚できれば解決の道も頭で考えられると思うし、そうしていかないとなぁって反省ももったんだけど、実際もっと根の深い問題を抱えていて、今日それに気づいた。

実は私、あるものをどこかに置いてきてしまって、しばらくそれをもたずに生きていたみたいだ。それをもっていた記憶はひどくおぼろげで、いつまでどんなものを持っていたのか思い出せない。少し前のことなのかもしれないし、ずっと昔から欠けてしまっていたのかもしれない。

とにかく、今日ようやくそれに気づいた。それがないと、やりたいことよりやらなきゃいけない責務のほうが勝ってしまって、責任で生きるようになる。責任で生きていくのはつらい。だから、それをとりにいかないといけない。いかないとっていうのがまた責務な表現なんだけど、そこに到達するまでは、まぁ仕方ないかなぁとも思う。

暗いねぇ。でもまぁ、健全に生きていくためには避けて通れない道ということで。過去にとりに戻るんじゃなくて、未来に見つけにいこうとしてるんだから、まぁ前向きだよな。こういう気づきに遭遇した時、放り投げないで受け止めるのは私の良いところだと思う。だけど、愕然とせずに淡々と受け止めるのは私の悪いところだと思う。

2007-03-21

「検索するな思索しろ」

私の好きな伊坂幸太郎さんの作品に「おまえ達のやっていることは検索で、思索ではない」(「魔王」講談社より)という言葉が出てくる。ちなみに私はまだこの作品を読んでいないのだけど。本の雑誌「ダ・ヴィンチ」の今月号が伊坂幸太郎特集で、ここの本人インタビュー記事で知った。

私たちは、「わからない時」あまりにも“検索して調べる”という行為に慣れすぎてしまった気がする。何かのやり方というのは、いつも「効率的」という長所をもつ一つの方法論に傾いていく。そうして通り一遍のやり方に慣れていって、それが当たり前になって、そのうち人は向こう側の手段を選ばないのではなく、選べなくなってしまう。

でも、私たちは元来「わからない時」の解決策として、それ以外の方法も持ってきたわけで、「検索」と対照的に「思索」という言葉が在るのも、その証なんだろう。検索して、すでに誰かが出している答えの中から、今の自分により適当なものを、できるだけ早く選択して解決。それは何より効率性が重視される場合に最適な手段であって、すべての「わからない」に最適じゃないと思う。

「検索するな思索しろ」というメッセージはものすごく突き刺さった。わからない時に、頭の中であれこれ思索するのも一つだし、足を動かして探索するのも一つ、手探りで模索したり、時には実際に試作して手にとってみるのだって一つだ。私たちはいろんなやり方を選べるのであって、ならばもっといろんなやり方を柔軟に選んでいくべきなんじゃないかと思わされる。検索だけで「わからない」をすべて解決していては、他の人がまだたどり着いていない答えを生み出すことはできないし、人の想像力も創造力も損なわれるばかりだ。

自分の視界って、狭まるのは無自覚に起こっていくのに、広げていくのは自覚的にやらないとできないものなんだよな。逆だったら楽ちんなのにね。最近そういうことをよく思う。そして、それを気づかせてくれるのはいつだって、本だったり会話だったり、自分じゃない人の言葉なんだよね。大切にしないとね。

2007-03-17

昇進した

なんとなく書くのがためらわれたんだけど、人生の記録として今感じていることを残しておこうと……。驚くなかれ、会社が私を昇進させてしまった。いいのか、それで。別に部下をもつわけではないので、仕事はこれまでどおり7、8割がた職人的にやっていくと思われ、大事には至らないと思うけど。ともあれ「リーダー」というキログラム未満な重みのある肩書きがつくことになった。

ちょっと前に上司にほのめかされた時も、発表前日そうなりましたと告げられた時も、社内で人事発表された昨日も、めでたいとか嬉しいとか、そういう感情はまったくわかなかった。他人事というのともまたちょっと違って、つまり「もっと頑張れよ、成果出せよ」という圧力と、「今まで以上にいろいろ振るからな」という予告なんだろうと受け止めてしまって、それで心のうちがいっぱいになってしまったのだ。それ以上に何かを感じる余剰がなかった。

それに、もともと形あるものに執着できず、無形のものに心ひかれてしまう性質なので、これに生来の天邪鬼体質も加わると、昇進という現実から嬉しいというプラス感情への流れが自然に組めないのである。喜ぼうとしても顔がひきつってしまう。だから無理せず平静にしているんだけど、一方で頭のほうはどうも刺激を受けていて、これをどう解釈すべきなのかと考えこんでしまう。

つまり、もっと洋服や化粧品にお金を使え、見た目に頓着しろという天からのメッセージなんじゃないかとか、いやこれを機に新聞を買えとか経済誌を読めとかそういうことかとか。そろそろ使って10年になるお財布やキーケースは買い換えたらどうなんだとか、5年以上同じPHS使うのはいい加減やめなさいって警告かもしれないとか。あぁ、その狭い家にいつまで住んでるつもりなんだってこと?頭の中の妄想はどんどん広がって追い込まれるばかりである。

まぁ、とにもかくにも、それになったからといってグンと伸びるものでもなし、求められることが今まで以上に高くなり、広がりをもっていく中で、1日1日経験を積み上げて自分を押し上げていくほかないよなぁと淡々と思う次第である。

あとはとりあえず、表向きめでたいということにして「酒の肴」にするに限る。発表の日、向かい席の女性が私の側にまわって来て「おめでとう、お祝いしよう」と声をかけてくれた。なんて美しい人なんだろうとじーんときた。うん、やっぱり「酒の肴」にするに限る!と思った。ちなみに、今日人間ドックの結果が返ってきて、体重は標準を10kg下回るのに脂質高で要経過観察になっていた。というわけなので、私にお菓子は与えないでください。煮物、焼き物、蒸し物を食べにいこうよ。酒の肴なら用意します。

2007-03-13

カトラリー

いつのまにか、世の中を頭でばかり食べるようになっていた。
人は頭と体と心のカトラリーを持っているんだ。
全部使って食べないと、いろんなものを食べ損ねてしまう。

ナイフは頭、フォークは体、スプーンは心。
全部を使って、ごちそうを食べていきたい。

私は批判するために生きてるんじゃないでしょ。

あともう少しだ。
もう少しで、もとの場所に戻れるかもしれない。

2007-03-09

31歳の誕生日

今日は31歳の誕生日。今回の誕生日は自分にとってどんなもんかなぁと、その印象を自分に尋ねてみると、「20代という10年がしっかり終わって、30代というこれからの10年がしっかり始まった感覚」という答えが返ってきた。「30歳」は、まだ30代の予備軍っぽい感じが強かったんだけど、この一年で徐々に「30代として生きていかなきゃ」感が養われた気がする。

歳をとるごと確かな後ろ楯を失っていく感覚は強まっていくのだけど、今回は特にそういう不安が時期的に強くあって、私はこのまま立ち続け、きちんと歩き続けていけるのだろうかとちょっと不安に押しつぶされていた。でも、かといっていくつになったって一人で生きていけるわけではないし、そこまで求められているわけでもないんだろうな、ということも少しずつ感じ出していたこの頃だった。

環境変化を真正面から受け止める強さを奮い起こしながら、柔軟性をもって自分で良い環境づくりや人との交流を生み出していくことが求められているんだろうという気がしている。何でも一人でやらなきゃいけないわけじゃない、でも何もしなければそのまま落っこちていってしまう、支えられるだけでなく支え&支えられの関係を築けるまでにはならないといけない。そういう意味ではやっぱり、意識変革と30代なりの強さや成長を求められているんだろうなぁ。

「30代は」なのか「31歳は」なのかはよくわからないけれど、31歳の誕生日に今後について思うこと。面白い体験を自分でつくって、心地よい感覚を自らとりにいく。ゲームのプレイヤーになった気分で、人生の愉しみを味わい尽くすような生き方を選んでいきたいと思う。

自ら体験してこそ、人に届けられるものがある。本当にそうだよなぁと思う。自分が人に届けられるものを豊かなものにしていくために、30代、意識して体験主義を取り入れたいと思った誕生日の朝だった。

それから、自分と異質なモノと化学反応を起こしていく愉しさを味わっていきたいなぁと思う。それって大人になってこそできること。異質な方、もちろん同質な方も、31歳の私もどうぞよろしくお願いします。

2007-03-07

人間ドックに倒れる

今日は人生初の人間ドックでした。かれこれ一年以上前の話になりますが、「30歳になったら、次の誕生日を迎えるまでの1年以内に人間ドックを受診すること」という通達があり、それから早11ヶ月半が経過。いい加減重たい腰をあげなくては!と先日申込み、本日受診してきた次第です。ナナロク世代もいよいよ人間ドックの時代ですよ。まったく。

人間ドックは30歳で一度受けたら、次は35歳まで受けなくていいらしいのですが、私が苦手なのは「採血」なのであって、採血付きの健康診断の時点でダメなのでもう逃れようがないです。で、どうだったかっていうと、予想以上の惨敗に終わりました。今後増加の一途をたどる「○○検診」という名の数々の大人の試練に耐えていけるのか、心底不安になりました。

それにしたって倒れるのも当然です。前日の20時から飲まず食わずで、当日の朝は水すら飲めない状態で臨んで、始めから明らかに元気じゃないわけです。そこにきて採血の前の血圧測定では、測って第一声「だ、大丈夫ですか」と声をかけられ、さらに不穏な心理状態に。自分が低血圧とは知らなんだ。

そしていよいよ先ほどから視界にちらついていた採血のコーナーへ。右腕を出すと、ひじの内側をじりじり探られ、緊張が高まります。目をつむります。「血管が細いですね」と言われ、心に「一回や二回失敗するかもしれませんネ」と響きます。「左腕を出してみてください」と言われ、手から腕へ「どっちも変わらないですネ」という落胆が伝わってきます。さらに緊張が高まります。

「はい、ちくっとしますよー」と言われて、数人の小人たちが私の頭の中で壇上にすっくと立ち、息を大きく吸って注射の時のテーマソング「おお牧場はみどり」を大合唱し始めます。肩を組み、体を揺らし。みんな、ありがとう。すると程なく「一旦抜きます」と言われて別の痛みが走ります。なんと左腕失敗。

そういう経緯で右腕の採血に入ったので、「今度はきちんと採れてますよー、ご気分は悪くないですか?」と看護婦さんの声が聴こえてきた時、確かに気分悪くなっているような気もしたけど、「気分悪いです」と答えてまたやり直すなんてありえない選択だったわけです。でも明らかに気が遠くなっていて、これはどうも気分が悪いということかもしれないと思えたので、意識朦朧とする中「えーと、ちょっとは…」と答えたのを憶えています。なんだそれ。

「あともう少しですからねぇ」と遠くの方で声が聞こえて、「そうか、もう少しか」と思っていた頃は、もうかなりの前傾姿勢になっていて、終わった頃には看護婦さん二人に囲まれ頭と体を支えられ、車椅子に乗せられ、フロア脇のベッドに運ばれ……。ずいぶん開けたところで血を採られていたので、背後で待機している皆さんにはさぞいやぁーな光景を見せつけてしまっているだろうと。採血してくださっている方もこの後さぞやりづらいことだろうと。遠ざかる意識の中でそんなことを詫びていました。

ベッドで看護婦さんに冷や汗をふいてもらい、その後しばらくぼーっ。あれだけ親切にしていただいて、安心感をもてる演出が施されている環境の中で、あんなに切実に早く帰りたい、早くここから出してくれーと思う場所もそうそう無いよなぁと思います。情けない、ふがいない。採血はこれから毎年健康診断に組み込まれると思われ、今から身震いがします。

私の未来予想図では、21世紀には富士フイルムが医療分野で大躍進を遂げ、内臓の悪いところもカシャッと撮れてしまう「写るんです」を発売、お正月には樹木希林がCMで「体の中身も、写るんです。富士カラーで写そっ!」と跳ねているはずだったのに。全然遅れてるよ。頑張れ、富士フイルム!

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