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2007-01-06

拾うこと

「本買いに行ったら面白そうな本が売ってたから、これも買ってきちゃった」とか、「電車でぼーっとしてたら、隣のおばさんがこんなこと言ってたよ」とか、以前はその辺で思いがけず拾って帰ってくるものが多いのが、普通だった。

世の中にはいろんなひっかりどころが用意されていて、みんなが各々それに引っかかってはそれを活かしたり共有したりしてチャンスを拾ってきた。半分は企業のマーケティング活動の仕業かもしれないけど、もう半分は見えざる手の仕業だと思う。

企業のマーケティング活動は、仕掛ける企業がネット戦略に移行すればそれで済む話かもしれないけど、見えざる手によって仕組まれる仕掛けや、リアルな世界でしか届けられない人たちのそれに引っかかって機会を得るには、そういう余剰を残した生活スタイルを選んで暮らすかどうか、この先は意識的な個々の選択にかかってくるのかもしれないな、と思う。

最近はいろんなものが「効率化」とか「明確な目的」とか「本人の嗜好性」の一極集中に向かっていて、何をそんなムキになって効率化させたいのかとか、それにまで本当に明確な目的が必要なのかとか、そんな自分が好きなものだけ食べていて新しい何かと出会い損ねたりしないのかと、ちょっと天邪鬼に感じてしまう。いろんなものをそぎ落とそうとしているのをみると、おまえさんは効率化するために生まれてきたのかぃ!と突っ込みを入れたくなる。

きっと大切なのは、効率化すべきものや明確な目的設定をすべきものと、むしろそのまま遊ばせておいたほうがよいものとを見極められること。ぶらぶら歩いたり、ぼーっとしたり、身をおく空間や、眺める視界、送る時間にも、ものを拾える余剰を残せることだと思う。これからは、なんとなくではなく意識的に。そうしないと、ごく一部の企業のマーケティング活動と、自分の既視世界の中でしか永遠に生きられなくなってしまいそうで怖いよなぁって思う。

そういうおじいちゃんみたいなことを言ってるから、ネットで買い物ができず、音楽を聴きながら外を歩けないでいるんだけど。そんな私がこの度Amazonで一冊本を購入しました(絶版だった為)。で、この経験から、本当にスマートなのは、Amazonで買い物しつつ、本屋にも足を運び続けられることだろうと今さら学んだのだけど、そういうバランスの取り方って結構難しいんだよな。

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コメント

まったく同感です。

自分の価値観やものの考えかたか3種類。

1変えてはならないもの
2変えるべきもの
3どーでもいいもの

この「3」が割と人間に余裕を与えてくれているような気もする。
だから、気楽にのんびりと明確な目的を持たない行動も、それはそれでありだと思う!

ありだよねぇ、ほんと。これからの時代、意識的にやらないと飲みこまれそうなとこが怖いねぇ。
仕事時間が長いと、どうしても「余剰を残す」目が鈍りやすいので気をつけないといけません。

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