寒いけど、なまぬるい話
寒い。家の中にいて暖房もつけているのに、お昼の時点で体温が35.0度をきってしまった。冬を越せる自信がない、というか今日を越せる自信がない。
それはさておき、先日「今年はカウンセリングそのものをきちんとやっていこうと思っている」と書いたけど、実際風が吹いてきてキャッチしてみたら、明日1回目のキャリアカウンセリングをするに至った。すごい。風って吹くもんだ。
今の会社は、これまでいろんなところで身につけてきた経験やらノウハウのパーツを結集させて、自分で新しいものを創造していく場を提供してもらえているという感じがしているんだけど、今回の対面カウンセリングの機会にしてもまさしくそんな感じだなぁと思った。
それもさておき、カウンセリングというと、なんか「なまぬるい」というイメージをもつ人が少なくないと思う。厳しい言葉もなく、ただ相談者の話を受け入れている感じや、相談者が勝手に治ったのかカウンセラーが治したのか曖昧な二律背反性の中で行われている感じ。一般の人から見て、見た目に分かりやすい外的な厳しさに乏しいため、実態を知らない人にはそう映りやすい。
話を聴いて心を癒して問題をやり過ごして時間を引き延ばして、相談者が本質的な問題から顔をそむけるのを手伝って終わりであれば、まさしくなまぬるいカウンセリングだと思う。相談者からどんなに感謝の言葉をもらってカウンセラーの自己満足になっても、結局本人は重たい荷物をしょい続けたままだ。
でも、少なくとも本来のカウンセリングは違う。相談者は自分の問題に直面していって、それを受け入れてこそ得られる本質的な解決を目指す、それをサポートするのがカウンセラーだ。誰だって、自分の悩みや欠点からは目をそむけたい。けれど、見てみぬふりしていては、より大きな問題を抱え込んでしまう場合、いったん谷底に下りていって本質的な問題解決に挑まなくてはならない。より高いところを目指す登山型の相談者でも同じことだ。
つまり、(そう思ってカウンセリングを受けにくる人は少ないかもしれないけど)結局は谷に下ったり山に登ったりする、内的には決してなまぬるくない試みが本来のカウンセリングの実態だ。確かにカウンセラーは相談者の気持ちを受容することを重視するけど、相談者が抱える課題に対して、慰めることも甘い言葉でわき道に逃がしてあげることもしない。逆に、本人がその問題に直面して克服することをサポートする、そういう内的な厳しさをもっている。私はこの内的な厳しさが本物の人の温かさだし、カウンセラーに求められる素養の一つだと思う。
単に感じがよくて話をいくらでも聴いてくれて受け入れてくれると評判のカウンセラーではなくて、相談者が課題に直面していく過程をともにして、本質的な解決をサポートできる、健やかで、あったかくて、自分なりの信念をもった、本物のカウンセラーを目指したいと思う。
※参考文献:河合隼雄氏「カウンセリングの実際問題」(誠信書房)
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